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なぜ超有名フレンチのシェフは自分の店を「7合目」と語るのか

様々な分野で強い「志」を持ち活躍するゲストを迎え、その人生観等をパーソナリティの嶌信彦さんが引き出すラジオ番組『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』。今回嶌さんは自身の無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』で、伝説のフレンチシェフ・井上旭を迎えた際の放送内容を要約という形で紹介してくださっています。

TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 井上旭氏

TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(日曜21:30~)は様々な分野で志を持って取り組まれている方々をゲストにお招きし、どうして今の道を選んだのか、過去の挫折、失敗、転機、覚悟。再起にかけた情熱、人生観などを、嶌が独自の切り口で伺う番組です。2002年10月に開始した『嶌信彦のエネルギッシュトーク』を含めると間もなく17年を迎える長寿番組です。

これまで放送の告知のみを行なってまいりましたが、各界の素晴らしい方々の言葉を残したいと思い、今後放送内容の要約を本ブログに記してまいります。

11日は老舗フランス料理店シェ・イノのオーナーシェフ井上旭氏をお迎えした通算881回目の放送でした。以下放送内容の抜粋をお届けします。

■日本でのフランス料理の広まり

日本でフランス料理が浸透したのは吉田茂首相や白洲次郎氏などヨーロッパに渡られた方々がご贔屓にされていたクレッセントハウス(現:レストランクレッセント)や料理人の志度藤雄氏(※1)の存在が果たされた役割が大きい。その後、東京オリンピック(1964年)を機に日本に広まった。

※1 日本のフレンチの草分け的存在。吉田茂首相の官邸料理人

■料理人を志すきっかけ

当時、家督は長男で次男は外に働きに行かなくてはならなかった。出身が鳥取県で京都や大阪に集団就職する人が多く、京都の染物会社に就職。当時の初任給は3,800円くらいだった。この仕事にむいていないと思い、京都駅前の「駅前ステーションホテル」に入ってから料理の道を志した。

その後、料理の道を究めるにはヨーロッパに行かないといけないと感じ、英語のできる同僚に履歴書を書いてもらい応募。兄が畑4反を売って28万円ほど作ってくれたお金を借り、アンカレッジ経由で21歳の時に渡欧

■看板メニューの誕生

スイス、ドイツ、ベルギーを経て、フランスへ。トロワグロのアシスタント、71年~72年マキシム・ド・パリで働く。帰国後「レカン」の料理長時代に生み出したのが今だに人気のある「マリアカラス」という料理。羊の油をとると臭みはなくなり、フォアグラ、トリュフを入れてパイ包みにしたもの。これは、今なお看板メニューとして人気を博している。

■華やかなパリのフランス料理店

マキシム・ド・パリは貴族も集い、品格が漂う店だった。貴族の集いでは、チップがはずまれていた。

また、トロワグロ兄弟が作る料理はおいしく、人柄がにじみ出る料理だった。一流のお店には一流のお客様が来店し男女とも品格が問われ会話の内容も上等でさまざまなことをトロワグロで学んだ。金曜日、オペラの終演後にドレスアップした姿でお店に来られていた姿はみんなかっこよかった。

■今の日本のフランス料理について思うこと

日本におけるフランス料理はまだ最高峰とは言えず、まだまだやることはある。今の若手が迷っているのは、フランス料理の最高峰を知らずにフレンチを作っているから寿命が短い。木の幹が太くないと厳しい。60年代のフレンチが基本だがまだまだ…。

■お客様からの教え

10代にがむしゃらに遊んだことが人間形成につながっている。遊んでいない人はいいことが出来ない。例えば相手を殴って痛みがわかり、加減もわかる。まさに「いい加減」。また、いいお客様にお越し頂き、人間を研かせていただいたことが今、良い方向で生きていられることにつながっている。

30代は社会のために、40代になると育成につなげていく。若手には「金を追いかけるなロマンを追いかけろ」と伝えている。

■食を通して希望を届ける

最後までおいしいものを食べたい。食は人生の希望。ガンを患って、この先生がいるからこの先生に任せれば大丈夫という心の安心を感じたようなことを食を通じて届け続ける存在でいたい。

■人の育成

日本のフランス料理はフランスの技術を求めきっていない。フランス文化の歴史をもっと勉強し、基礎体力をつけて30歳までに力をつけ新たなことに対抗すればよい。ボキューズ・ドール(※2)という料理コンクールの中には文化があり、文化が無かったりお金を文化にするというのは国力が問題。どういう目標で食文化を育成するのかをもう少し考えていかないと負けてしまう。また、そのコンクールにお金がかかりすぎるという問題もある。

先輩や自分たちは上司に殴られてもその中に愛があり平気だったが、今料理界にも働き方改革の問題が出てきて、あまり厳しく出来ない。そんな状況だが、本物を本気でやる人間性が育っていない。私はこれまで命をかけて仕事をしており、第三者から見たら厳しいかもしれないが、ダラダラ育てても成果は出ずそれが愛ということを理解してもらわないと世界一を取ることは厳しい

※2 1987年にポール・ボキューズが創設した世界最高峰の料理コンクール。奇数年の1月にフランス・リヨンで開催されている。日本は第1回大会から出場。

■一流と考える水準

「シェ・イノ」は私が一流と考える水準からまだ7合目。あとの3合は、人の育成。お店を担える次世代を育成していく。国を背負ってやれる器量がないと厳しい

自分の人生は最後の最後まで良いものを食べ、いい話を聞き、楽しい会話をし続けて全うしたい。これまでさまざまなお客様と接してきたが、人間の考え方や品性がお金の使い方にも出てくると感じている。


●「シェ・イノ

ブログには関連画像や井上氏を取材された新書や料理本を合わせてご紹介いたします。ご興味をお持ちの方は合わせて以下を参照下さい。

image by: Shutterstock.com

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ジャーナリスト。1942年生。慶応大学経済学部卒業後、毎日新聞社入社。大蔵省、日銀、財界、ワシントン特派員等を経て1987年からフリー。TBSテレビ「ブロードキャスター」「NEWS23」「朝ズバッ!」等のコメンテーター、BS-TBS「グローバル・ナビフロント」のキャスターを約15年務め、TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」に27年間出演。現在は、TBSラジオ「嶌信彦 人生百景『志の人たち』」出演。近著にウズベキスタン抑留者のナボイ劇場建設秘話を描いたノンフィクション「伝説となった日本兵捕虜-ソ連四大劇場を建てた男たち-」を角川書店より発売。著書多数。NPO「日本ニュース時事能力検定協会」理事、NPO「日本ウズベキスタン協会」 会長。先進国サミットの取材は約30回に及ぶ。

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【著者】 嶌信彦 【発行周期】 ほぼ 平日刊

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