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【書評】「上級国民」と「下級国民」を作り上げた元凶の世代は?

近ごろよく耳にするようになった「上級国民」という文言。日本社会は、やはり上級国民と下級国民に分かれているのでしょうか? 今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で編集長の柴田忠男さんが取り上げているのは、日本に突如として現れた「上級」「下級」の分断に関する定義、そしてそれを作り出した「ある世代」について厳しく論じた一冊を紹介しています。

偏屈BOOK案内:橘玲『上級国民/下級国民』

上級国民/下級国民
橘玲 著/小学館

いやな言葉だなあ。かつては〈専門家/非専門家〉を表すネットスラングだったものが、いくつかの事故や事件の解釈が妙な方向に拡張されて「日本社会は上級国民によって支配されている」「自分たち下級国民は一方的に搾取されている」との怨嗟ルサンチマンの表現が定着した、ンだそうである。10連休のとき、ツイッターで「上級国民」という言葉があふれた、ンだそうである。

「上級国民」は「エリート」「セレブ」「上流階級」とはニュアンスが異なる。「エリート」「セレブ」は〈努力して実現する目標〉であり、「上流階級/下層階級」は前近代の身分制を表していたが、その後、階級は下流から〈成り上がる〉ものに変わった。しかし「上級国民/下級国民」は、個人の努力が何の役にも立たない、冷酷な自然法則のようなものとして捉えられている。

いったん「下級国民」に落ちてしまえば、「下級国民」として老い死んでいくしかない。幸福な人生を手に入れられるのは「上級国民」だけだ。というのが「現代日本社会を生きる多くのひとたちの本音だというのです」……恐るべき、衝撃的な〈まえがき〉である。誰がそんな身分制度を決めたんだよ。俺は聞いてないぞ。SNS界隈のヨタ話ならともかく、橘玲が本にしてるんだからヤバイ。

まず、バブル崩壊後の平成労働市場がどのように「下級国民」を生み出したか、データをもとに事実を説明。次に「上級国民/下級国民」が「モテ/非モテ」につながると論じる。現代日本の若い男性は「モテ(リア充)」と「非モテ(リア終)」に分断されている。モテ=性愛である。豊かな世界における幸福とは、究極的には愛情空間が満たされることだ。「下級国民」はそれが満たされない。

次に世界中で「上級国民/下級国民」の分断が進んでいる背景を考える。なぜ世界中で同じ現象が起きているのかというと、人々が「知識社会化・リベラル化・グローバル化という巨大な潮流の中にいるからだ。よく理解できないが、結果として「近代」が完成へと向かう〈進化〉の不可逆的な過程だから、世界はどこにも希望はない、らしい。だが、個人的に解決は可能だ、と橘玲は説く。

団塊の世代は70年代に「企業戦士」として戦後の高度成長を牽引する。しかし、阪神淡路大震災のあった1995年からバブル崩壊の影響が広範囲に表れ始め、90年代末の金融危機へとつながっていく。「第三の敗戦」といわれた未曾有の国難も巨額の公的資金の投入で景気を下支え、〈団塊の世代〉の雇用は守られた。その結果、彼らの子供たち〈団塊ジュニア〉の雇用破壊という皮肉な事態に。

この本に出てくる事実は、2001年に労働経済学者の玄田有史が著した『仕事のなかの曖昧な不安 揺れる若者の現在』(中公文庫)で指摘されたものである。「若者の失業率が大幅に上がっている」「職を失う中高年は低学歴層に多い」という正しい情報が報道されなかった理由は、「誰も興味がないから」という橘の決めつけがスゴい。パラサイト・シングルは1999年に〈発見〉された。

フリーター→パラサイト・シングル→ひきこもり」という現象は、1990年代半ばを基点に一直線につながっている。2000年代には働き方を見直す気もなく、「手厚く与えられている既得権益」にしがみつく中高年がものすごく多くいた。〈団塊の世代〉である。いまも活字メディアにとって、彼らを批判することが最大のタブーになっている。もはや活字を読むのはこの世代しかいないからだ。

「中高年の雇用を過剰に保護していることが、若年層の失業を招いたのではないか」という切れ味の良い特集を組んだ新聞が、主要購買層であった団塊の世代から猛烈な抗議を受けて、連載予定を撤回、一回で封印してしまった。日本がなぜこんな社会になったのか、よく分かるエピソードだ。

1970年代から半世紀の間、「団塊の世代」は一貫して日本社会の中核を占めていたので、どんな政党が政権を握ろうとも、彼らの利益を侵すような「改革」は不可能だった。彼らが現役を引退したことで、「働き方改革がはじめて可能になった。ようやく日本でも、前近代的な雇用制度を見直す機運が生まれた。

2019年6月、「高齢社会における資産形成・管理」と題した金融庁の報告書が炎上し、撤回される騒ぎがあった。「高齢者夫婦が退職後30年暮らしていくには、年金以外に約2,000万円が必要だ」と書いてあるというのだ。著者が報告書を読んでみると「現役世代が同じような『平均的家計』を望むなら、2,000万円を目処に資産形成したほうがいい」という、至極まっとうな提言であった。

どこが「問題」なんだ。炎上の理由は、報告書が示す平均が高すぎたことだった。そんな豊かな高齢者世帯は全体の3割くらいだ。「平均以下」とされた7割の高齢者の不安を煽り、選挙を控えた与党に大きな衝撃を与えたのだ。高齢世帯が金融資産を殆ど保有していない3割と、多額の金融資産を持つ3割に二極化しているのが実態で、年金受給権に触れるのは、政治的に最大のタブーなのだ。

平成が「団塊の世代の雇用(正社員の既得権)を守る」ための30年だったとするならば、令和は「団塊の世代の年金を守る」数十年になる以外にはない。団塊が90代を迎える2040年には、団塊ジュニアが前期高齢者(65歳以上)になり、高齢化比率は35%に達し、現役世代が1.5人で高齢世代1人を支えることになる。

これが日本の高齢化のピークで、医療給付費、介護給付費、年金給付すべてを合わせれば168兆円というとてつもない金額になる。河合雅司『未来の年表』でも、団塊の世代の動向を中心に日本の将来が予測されている。2026年には高齢者の5人に1人が認知症患者、その人数は施設の収容能力を超える730万人。2030年には団塊の世代の高齢化で、東京郊外にもゴーストタウンが広がる。

2033年には空き家が2,167万台に達し、3戸に1戸で住人がいなくなる。2040年には全国の自治体の半数近くが「消滅」の危機……。人口動態は未来を確実に読める。大規模な移民や戦争などがない限り、先進国では死亡率や出生率は安定しているので、10年後、20年後どころか半世紀先までほぼ確実にその動向が分かる。これら単純な予測は、まともな政治家や官僚なら知っているはずだ。

著者は経済官庁の若手官僚に「働き方改革がようやく始まったが社会保障改革はどうなるのか」と訊いたら「誰も改革なんかに興味はない」と応じた。じゃどうするんだと迫ると「ひたすら対症療法を繰り返す」と言う。年金が破綻しそうになったら保険料を引き上げる。医療・介護保険が膨張したら給付を減らす。それでもダメなら消費税を少しだけ上げる。そうやって20年間耐え続ける。

2040年を過ぎれば高齢化率は徐々に下がっていく。だったらなぜ、わざわざ危険な「改革」などというゲームをしなければならないのか、これが「霞ヶ関論理」なんだって。以下太字で

この持久戦に耐え抜けば「下級国民」があふれるより貧乏くさい社会が待っており、失敗すれば日本人の多くが難民化する「国家破産」の世界がやって来る。

平気だ、わたし冥途にいるもん。

編集長 柴田忠男

image by: Shutterstock.com

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