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日本の印鑑はサインより合理的?米国人が主張したハンコ文化の優位性

日本の学校に通っていた人なら、卒業記念品として贈られたものが個人として初めての印鑑だったという人も多いはず。大人になって日本に来た外国人の場合はどうなのでしょうか。菅政権による行政手続きからの「脱ハンコ」が実現すれば、印鑑を持つ外国人はもう増えないのかもしれません。メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、初めてのハンコをとても気に入り「ハンコ文化」を愛したアメリカ人の友人の思い出を紹介。外国人の彼の目にハンコは、文化だけでなく日本人の合理性をも示していると写っていたようです。

印鑑のこと

「デジタルトランスフォーメーション(DX)」。きっと必要なことなのだろう。確かにコロナ禍の今、印鑑を押すためだけに満員電車に乗って出勤するなど愚の骨頂と言われても仕方はあるまい。とは言え、たとえば役所などにはひたすらハンコを押すだけが仕事の人もいる。その人たちのことを一応思えば多少は同情の気持ちが出て来ないでもない。お役御免内定だからである。時代の変化の犠牲者は何もハンコ屋さんばかりではないということである。

改めて今、自分の書斎を見渡してみる…。ハンコを押した書類だらけである。重要なものから何でもない領収証まで、およそ書類と名の付く物にはことごとく朱印が押してある。これだけでも日本人の印章へのなみなみならぬ信仰が分かる。古くは朱印状、さらに古くは志賀島の金印、いつの時代も権威はことごとく印章とともにあった。近代になり個人レベルでも印鑑を使うようになるとそれはその人の社会人としての人格を担保するもののような存在となり今に至っている。

そういった堅苦しいもの以外でも、たとえば年賀状のイモ判で思わず笑い、旅先で見かけるスタンプラリー用のスタンプの図案に旅情を感じ、子供がそこいら中に押しまくるアニメキャラクターのスタンプに閉口し、文豪の蔵書印を見てその知性の一端に触れたような気になって感動したりなど、誰の思い出にも多かれ少なかれハンコ関連の何かがあるのではないだろうか。

私のそれを一つ紹介する。学生時代の友人の一人にアメリカ人の男がいた。名をケント・アームストロングと言った。その男が英会話教室の講師のアルバイトをするとかで会社から指定された銀行に口座をつくらなければならなくなった。銀行口座の開設には印鑑が要る。という訳で初めての印鑑をつくることになったのだ。

私は彼のファミリーネームに因んだ「剛腕」を主張したのだが、見かけによらず保守的なその男はファーストネームから「賢人」とした。自分で自分のことを「賢人」とはよくも言えたものだ、と散々にからかったりしたが、本人はその「賢人」印を大層気に入り何かに付けそれを使っていた。署名文化の国に生まれ育った彼にしてみれば、捺印という行為そのものがあるいは面白かったのかもしれない。

その彼が後に自身の英語の文章の中で、印鑑という物について「日本人の合理性をよく示す天才的な発明」と言っていたのを覚えている。彼の意見は大体こうである。

地位が上がれば決済すべき事柄は当然増える。と同時にその他の重要な仕事も増える。自署も数が増えると単なる了承あるいは許可、認可を示すためだけでも相当な時間を奪われる。一方、印鑑なら誰が押しても価値は変わらない。重要な地位にある人が重要な事柄により多くの時間を当てることができるから日本の会社は強いのではないか。

日本人としては「ごもっとも」とは言い難いところも少々あるが、比較文化はその両方を体験した人の言こそ何より説得力があるから無視もできない。確かに信頼さえできるなら他人に自分の印鑑を託すことで能率化を図ることは可能であろう。

彼はとにかくハンコを愛した。蔵書印の話をしたらすっかり気に入ってしまい「賢人山房」という印章をすぐに拵えて本と言う本に押しまくっていた。しまいには蔵書印を押したくて本を買っているのではないかと思うほどであった。

私が本を出す時には「なぜ著者検印をしないのか。印も押さずに印税をもらうつもりか」などと言ったりもしていた。まったく「著者検印」など一体どこで仕入れた知識なのか。

その彼も十年前にガンで死んでしまった。もし彼が生きていたらハンコをなくそうとしている今の日本を見てどう思うだろう。なにしろ「著者検印」に拘った男である。だまってはいないだろう。ひょっとしたら「日本が駄目ならアメリカで」などと言い出したかも知れない。

私の有印文書だらけの書斎も五年後、十年後には少しは片付くのかな、などと思いながら友人「剛腕・賢人」氏のことを懐かしく思い出すのであった。

image by: Shutterstock.com

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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