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心理学者が憂慮する「日本社会の息苦しさ」客観主義は人を幸せにするか

私たちの生きる世界には個人差があり、それぞれ見え方や感じ方が異なりますが、その無数にある世界を「客観的」に繋ぐものが「言葉」です。しかし、その言葉にも人間の限界があると説くのは、心理学者でメルマガ『富田隆のお気楽心理学』の著者である富田隆さん。富田さんは、言葉では表せない世界を尊重することが大切であるとし、「敬天愛人(天を敬い人を愛すること)」の無い社会には生きられないと、日本を含む世界中に蔓延しつつある全体主義的な社会傾向に警鐘を鳴らしています。

「初めに言葉ありき」以前に存在する、主観的世界

貴方が観て聴いて味わっている「世界」と私の認識している世界は違います。

貴方も私も、確かに同じ人間には違いありませんが、それでも、それぞれの個性は、大きく異なっています。感覚器を作り出す遺伝子情報も違えば、生育環境も違い、今現在置かれている状況も違います。

世界に何十億もの人間が生きていますが、二人として同じ人間、同じ状態の人間はいないのです。

たとえば、私はいわゆる「色弱」で、おそらくあなたとは色の見え方が違うのです。

私の場合は、いわゆる「色盲」の方々のように、赤とか緑とか特定の色が見えないわけではありません。

RGB(赤・緑・青)の光の三原色に対応する光センサー(錐体細胞)は3種類とも機能しているのですが、その反応ピークが微妙にズレているため、多数派?の皆さんとは違ったように色が見えてしまうのです。

色弱や色盲をみつけるために「石原式色覚検査表」というものがあります。

点描派の絵画のように、小さな色の点で描かれた数字などを読み取るというものです。

この検査をやりますと、私の場合、多数派の方なら読める数字がわからなかったり、別の数字として読めてしまったりするわけです。

現代では、こうした違いを「特性」として理解しようという考え方が主流となっているので、差別されたこともありませんし、自分自身も個性の一種だと思っていますが、要するに、色彩ひとつでも、個人によって微妙に見え方は違うわけです。

おそらく、貴方がご覧になっている美しい秋の紅葉や、春爛漫の桜、南国の島に咲き乱れる極彩色花々も、私には微妙に違って見えているのです。もちろん、貴方と同じようにそれらが美しいと感じることはできるのですが……。

そして、視覚だけでなく、聴覚や嗅覚、味覚、触覚と、それぞれの感覚器において、生まれつきの「個人差」は存在し、それだけを考えても、私たちが認識している世界の様相にはそれぞれ違いがあります。

サルの顔、ヒヨコの尻

その昔、アフリカ南部のバントゥー系種族の中には、一生を森の中で生活する人々がいました。

彼らは、直線というものをほとんど見た事がありません。

天然素材の木や草で作る家も丸い形をしていますし、森の中を移動する道も曲がりくねっています。

身の回りに直線が無かったのです。

当時の彼らは、ヨーロッパや日本、アメリカなどで普通に見かけるような、真っ直ぐの道も、立方体のビルディングも、直線で構成された工業製品も見ることなく成長していました。

今から半世紀も昔のこと、英国人の心理学者たちが、彼らに「錯視図版」を見せる実験を行いました。

錯視図の多くは直線で描かれていましたが、そうしたものに対して、彼らはヨーロッパ人とは違う反応を示しました。ほとんど、錯視が生じなかったのです。

彼らには、いわゆる絵画の「遠近法」も通用しませんでした。

二次元平面に描かれた遠近法的な絵画は、ある意味で「錯視」を利用したものと考えることができるわけですが、直線というものをほとんど体験することなく育った彼らにとって、二次元はあくまで二次元であり、そこに錯覚的な「奥行き」を感じるということはなかったのです。

このように、生育環境や文化の違いは、ものの見え方や感じ方に影響を与えます。

これに加えて、個人が受けた教育の違いや、個人の興味や趣味による学習の違いによって、見えるものは違ってきます。

たとえば、植物に詳しい友人と散歩をしていると、彼は、藪の中に珍しい希少種の小さな花を簡単に見つけてしまいます。

私も、同じようにその藪を見ていたはずなのですが、私は見逃してしまったのです。

しかし、彼の眼は見逃しませんでした。

彼の歩いていた世界と私が歩いていた世界は違うのです。

また、生物学者の先生方は、観察しているサルの群れの個体を識別することができます。それぞれのサルの顔を憶えていて、その名前(勝手に人間がつけた名前ですが)を言える人はざらにいます。

同様に、これは名人芸の領域ですが、養鶏場で働いていて、瞬間的にヒヨコのお尻を覗いただけで、雄雌を識別できる人たちもいます。

香水などの調香師の人たちが発揮する「カミワザ」については、貴方もよくご存じでしょう。彼らは混ざり合った匂いの成分を正確に言い当てます。

このように、仕事や専門によって、認識の精度は大きく異なります。

彼らは、一般の人には識別することのできない、微妙な要素の存在やパターンの違いが分かるのです。

遺伝的なレベルでの個人差に掛け合わされるかたちで、こうした「経験」レベルの「個性化」が作用した結果、人間は、驚くほど多様な「その人だけの世界」を創り上げるのです。

言葉

しかし、私たち一人一人が、別々の世界に住んでいるということは、考えようによっては寂しいことです。どんなに愛し合っている恋人どうしでも、二人の間には超えることのできない「深淵」があるのです。

そうした孤独を忘れさせてくれるのが「言葉」です。

貴方と私の見ている世界は違うのですが、二人が同じリンゴを見て、「これはリンゴだね」「綺麗な赤い色をしているね」と言葉を交わすことで、私たちは同じリンゴを見ているのだと確認するわけです。

認識をつかさどる情報処理の仕方が個々に違うわけですから、それぞれが見た主観的リンゴ像は違うのですが、言葉を交わすことにより、そうした各自の主観像のもとになっているリンゴというものが「客観的」に存在すると二人は確信するのです。

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ここに、個人を越えた「客観的世界」というものが成立します。

それは、私たちが「言葉」というものを共有しているからできることです。

そして、私たちは、こうした言葉による無数の確認を繰り返して、社会一般で信じられているような「客観的世界像」というものを創り上げるのです。

人類が共有している世界を創り上げたのは言葉です。

ですから、聖書にあるように「初めに言葉ありき」なのです。

現代では、この世界を「科学」によって記述し表現していますが、この科学も煎じ詰めれば言葉です。数学も化学式も全てが言葉です。

AIのアルゴリズムも、AIがディープラーニングする際の膨大なデータも、全てが言葉なのです。

人類は、言葉によって、強力精緻な「客観的世界」を創り出し、共有することができました。確固たる文明も築き上げました。

ただ、忘れてはいけないのは、「言葉以前に」、個々人が隠し持つ固有の「主観的世界」が存在するということです。

敬天愛人

科学の限界が人類の「経験」の限界であることは周知の通りです。

たとえば、新しい観測方法が開発されるたびに、この宇宙のイメージは変わり、新たに発見された現象を説明するためには、新たな説明が必要になります。

従って、今後、新たな「経験」の拡がりが、現代の科学をより正確で包括的なものにしていくであろうと、私たちは楽観的に考えています。

しかし、こうした経験による限界以前に、言葉そのものが個別の主観的世界の差異を捨象(現象の共通性以外を捨て去る)することにより、はじめて客観的世界を構成する力を得ているという、原初的な言葉の限界があるのです。

そしてそれは、人類が「世界」を創造するそもそもの「出発点」に隠されていた限界なのです。

ですから、科学という言葉や法律という言葉によって創り出された「客観的世界」が強力精緻になった今日こそ、私たちは、言葉自体に潜む「限界」を認め、言葉によって表すことのできないものに対する「敬虔さ」を取り戻すべきではないでしょうか。

それは、未知の部分も含めて人を尊重し愛するということです。

言葉だけでは到達することのできない、未知の本源的存在に畏れを抱くことでもあります。

先哲が「神」や「天」という名で呼んでいた「言葉にすることができない本源的で偉大な何か」に対する敬虔さと、個人の内に潜む、触れることも言葉にすることもできない「世界」を尊重するということは、対を成して大切にされなければならないことなのです。

西郷隆盛も大切にした「敬天愛人」という言葉の重みは、この辺りにあるのかもしれません。

ですから、私はこの二つを無視する社会には住みたくありません。

そうした社会は、唯一公認の「客観的世界像」のみを個々人に押し付けます。

たとえ、一党独裁の中共が支配する全体主義社会ではなくとも、現在、そうした傾向が世界中に蔓延しています。日本でも、いわゆる「マスゴミ」の驕りと腐敗は目に余ります。

自分たちの都合の良いように「客観的世界」の偽物をでっち上げ、まるでそれが錦の御旗か何かであるかのように偽装して、これに対する「信仰」を個人に強要するような社会は、まっぴらごめんです。

最近、時折、息苦しさを感じるのは、コロナ除けのマスクのせいばかりではないのかもしれません。

image by: Shutterstock.com

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