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「人事介入」自体が喜びか。学術会議問題で見えた菅首相の人間性

国民が納得できる説明もなされぬまま、発覚から1ヶ月以上が経過した日本学術会議の任命拒否問題。国会で辻褄が合わない答弁を繰り返す菅首相の態度からは、政権の国民軽視姿勢がうかがえると言っても過言ではありません。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、「任命拒否」という行為がどれだけ大きな問題をはらんでいるかを改めて確認するとともに、首相の不見識さと無責任な人間性を批判しています。

国民に責任を負えないから6人を任命拒否したという菅首相の不見識

日本学術会議の任命拒否問題で苦し紛れの答弁を繰り返す菅首相。どうみても打った手が無理筋なのだから、言い分が支離滅裂になるのは仕方がない。

総理大臣が、日本学術会議の推薦する会員候補の任命を拒めるか否か。この問題については、1983年の国会ですでに決着がついている。立法を担う国の最高機関で、政府が明言した法解釈は、国民への約束事である。

それを、内閣法制局を抱き込んで捻じ曲げ、あたかも83年の国会がなかったかのように無法なふるまいをしているのが、今の菅政権の姿なのだ。

1983年5月12日の参議院文教委員会で、この件についてどれほど議論が尽くされていたかを確認してみたい。

当時の学術会議会員は、登録した研究者たちが、立候補者のうちから選挙によって選んでいた。しかし、集票をめぐるスキャンダルもあったようで、学術会議の推薦で決める方式への転換をはかることになり、学術会議法改正案が国会で審議されていた。言うまでもなく、問題となったのは下記の条文だ。

会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。(7条2項)◇

17条の規定とは、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考する、という部分であり、7条2項とこれを合わせると、「会員は、学術会議が優れた研究又は業績がある科学者のうちから候補者を選考、推薦し、総理大臣が任命する」ということになる。

「総理大臣が任命する」をどう解釈するかが、83年の改正法審議での最大の論点になったのは当然のことである。任命権者が総理大臣なら、会員の選考過程にまで介入される恐れがあるのではないか。それでは学問の自由、学術会議の独立性が危うくなる。

社会党参院議員の粕谷照美氏は、同委員会でしつこくこの点を確かめていった。

粕谷議員 「学術会議の会員について、いままでは総理大臣の任命行為がなかったわけだが、この法律を通すことによって、絶対に独立性を侵したり推薦をされた方の任命を拒否するなどというようなことはないのか」

 

手塚康夫・内閣官房総務審議官 「実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するとは考えていない。…仕組みを見ればわかるように、210名ぴったりを出していただく。それを形式的に任命行為を行う。従来の場合には選挙によっていたため任命が必要なかった。こういう形の場合は形式的にやむを得ない。そういうことで任命制を置いているが、これが実質的なものだと理解していない」

 

粕谷議員 「どこのところを読んだら、ああなるほど大丈夫なんだと理解ができるのか」

 

高岡完治・内閣官房参事官 「7条2項の条文を読み上げると、会員は、推薦に基づいて、内閣総理大臣がこれを任命する。210人の会員が推薦されて、それをそのとおり内閣総理大臣が形式的な発令行為を行うというふうにこの条文を私どもは解釈している。この点については、内閣法制局における審査のとき、十分に詰めたところだ」

 

粕谷議員 「法解釈では絶対に大丈夫だと理解してよろしいですね」

 

高岡参事官 「繰り返しますが、法律案審査の段階におきまして、内閣法制局の担当参事官と十分その点は詰めたところでございます」

推薦制度に変更する以上、総理による任命という行為が必要になる。しかしそれは、あくまで形式的なものであって、推薦された全員が任命される。議員が再三にわたって確認した政府の条文解釈は、間違いなくこういうことだ。

それに違反して今回、菅首相は6人の会員候補者の任命を拒否した。なぜ、そんなことができるのか。法解釈を変更したのではない、と言い張るが、それならどのように83年の政府答弁と辻褄を合わせるのか。

無味乾燥な繰り返し答弁を得意とする菅首相が、今国会で、とりわけ頼りにするリフレーンは「推薦のとおりに任命しなければならないわけではない」「内閣法制局の了解を得た」である。

2018年11月に日本学術会議の事務局(内閣府)が作成した文書の存在が最近になって明らかになった。法制局の了解を得て書かれたのであろうその内容が菅首相発言のもとになっている。

憲法15条第1項の規定で明らかにされている公務員の終局的任命権が国民にあるという国民主権の原理からすれば、任命権者の首相が、会員の任命について国民および国会に対して責任を負えるものでなければならない。首相に学術会議の推薦通り会員を任命すべき義務があるとまでは言えない。

この説明、ストンと腹に落ちるだろうか。こじつけの理屈としか思えない。国会に対し、任命は形式的なものと明確に示した以上、それを国会で変更しない限り、上記のように勝手な解釈を持ち出すことはできないはずだ。

もとより、今回の問題は、学者による政府批判を封じ込めるための人事工作を、安倍政権時代の菅官房長官と杉田官房副長官が画策したことに端を発している。

菅首相は「以前から学術会議について懸念を持っていた」と発言している。おそらくは、安保法制に反対する学者らでつくる「立憲デモクラシーの会」の活動などを苦々しく思っていたのに違いない。

現に、菅首相が任命拒否した6人の学者のうちただ一人知っていたという著名な歴史学者、加藤陽子氏も「立憲デモクラシーの会」のメンバーである。

菅官房長官と杉田官房副長官はこう考えたのではないか。学術会議を野放しにしておけない。税金で運営費が賄われる政府機関であり、その会員は公務員に変わりはない。首相が人事権を行使できないはずはない、と。

そして、ついに内閣法制局に杉田官房副長官から悪魔の問い合わせが寄せられた。「学術会議、全員を任命する義務はないよね」というような。

おそらく法制局は83年の国会答弁をもって、渋ったに違いない。解釈変更になると指摘することも忘れなかっただろう。

だが、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更のさい、自ら法の番人たる矜持を捨てた内閣法制局には、抵抗するエネルギーが乏しい。「解釈変更は無しだ」と杉田副長官に迫られて、むりやりひねり出したのが憲法15条第1項、すなわち「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」を利用した説明だ。

国民固有の権利を総理大臣が行使できる。その根拠は「任命権者の首相が、会員の任命について国民および国会に対して責任を負えるものでなければならないから」なのだそうである。

6人は「国民に責任を負える」人選ではなかったらしい。そのくせ、菅首相は6人のうち加藤氏1人しか名前を知らなかったというから驚きだ。

11月5日の参院予算委員会で、近藤正春内閣法制局長官は「どうしても国民に責任を負えないものまでは形式的任命のなかに含まれない」語った。つまり、形式的任命であるという解釈は生きているが、場合によっては形式的任命をできないことがあるという説明だ。

それなら、拒否された6人はそれほどのひどい学者だというのだろうか。学問的業績を知りもせず、不見識にもほどがある。

加藤陽子氏を見よ。日本近現代史の専門家として知られ、学術書は言わずもがな、一般書でも『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で小林秀雄賞を受賞するなど、高く評価される学者である。

加藤氏は2026年度に開館が予定される新たな国立公文書館についても、内閣府有識者会議のメンバーをつとめており、反政府的な活動など一切していないのだ。

そうした加藤氏の仕事ぶりについて、菅首相は「内閣でお願いしているとは承知していなかった」と、とぼけたことを言う。

菅首相は11月4日の衆院予算委員会で、辻元清美議員の質問に答え、任命から外された6人の名前を、9月24日より前に杉田副長官から聞いたことを明らかにした。99人の任命名簿の起案日が9月24日、決裁したのが同28日である。

菅首相はあらかじめ杉田長官から、105人の推薦名簿のうち誰を外すかを知らされていたのだが、加藤氏以外はどんな学者か全く知らないままに、99人を任命した。

つまり、菅首相としては、それが誰であろうと関心はなく、もっぱら学術会議の人事に介入してプレッシャーをかけることが目的だったということになるのだろう。

だとしたら、それこそ「国民に責任を負える」と胸を張れる人選の仕方とはいえないではないか。無責任極まりない人物が首相になった。

image by: 首相官邸

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