12月の声が聞こえると気になりだすのが大掃除。「どうしても物が捨てられない」と毎年憂鬱になるという方も少なくないと思われますが、それはもしかしたら「心」の問題かもしれません。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、そんな方々が抱えているかもしれない問題を記すとともに、解決法の「最初の一歩」をレクチャーしています。
現在にフォーカス
さて、本日は片付かない家によく転がっているもののお話。
- 必要ではないけど、使えるモノ
です。これ、要するに典型例が
- 試供品やオマケ
ですね。一応ちゃんと使えるでしょ。でも、その時点であなたにとって
- 必要なわけじゃない
んです。必要じゃないのに、もらっちゃうのは
- そのうち使えるかも
と思うからです。で、その「そのうち」は
- 永遠に来ない
んですよ( ̄∇ ̄) だいたいね。
使わなかった時点で処分すればいいんですが、もともとが「そのうち」という曖昧な未来をぼんやり予定しているだけなので、使わないと判断する時期も曖昧なんですよ。そして、その判断は必ず先送りされ
- 永遠に来ない
んです。
この「そのうち」問題って、多分
- 未来の不安ばかり見ていて
今現在、まさにこのときの生活は見ていないってトコに問題の根源があるんじゃないかと思いますね。
ああ、なんだか哲学みたいな話になっていますが、片付け問題に内在している心理的な問題ってこういうモンですよ。人生の時間軸の中でどこにフォーカスしているかで、その家に過剰にあるものが違ってくるんです。
人間は、まさに今現在しか生きていません。過去は二度と取り戻せないし、未来はどんなに急いでもその時になるまで来ません。過去や未来と適切な距離感で付き合う分にはいいんですが、これが不適切だと本来よく見つめるべき
- 現在がおざなりになる
んです。
「そのうち使えるかも」と考えて、いや、過剰に心配して、現在の生活に不必要なモノを過剰に溜め込む人は、使う未来が到来したときにそのモノが
- 手に入らないかもしれないという不安
に過剰にフォーカスしているんです。使う未来が到来したときにちゃんと手に入るに違いないと楽観出来ないんですよ。
そして、同じ人が同じ心で考えたり感じたりしているんですから、それが反映されるものが
- 家の中のモノだったり
- 人間関係だったり
- 仕事に対する態度だったり
するだけで、どうしたって似ているはずです。
片付けに関する心の問題(?)のお話でしたね。
「そのうち使うかも」「まだ使えるかも」で本来不必要なものを溜め込んでしまって片付けられない。こういうタイプの方は、現在の生活に必要なものではなく、未来にモノが手に入らないかもしれないという
- 不安にフォーカス
してしまっているのではないかというお話でした。
これとそっくりなことは過去に対しても起こるんです。
- 写真
- 思い出の品
- 賞状やトロフィー
などが過剰にとっておいてある場合には
- 過去の栄光や後悔ばかり
にフォーカスしているんではないかと思いますね。
あの、いずれも「過剰」な場合の話ですからね。いくつか持っている分には、全く問題ありませんよ。人生には思い出はつきものですし、それは人生の彩りですから。過剰な場合が問題なんですよ。部屋が片付かなくなってストレスが溜まるくらいの。
もちろん、こうした自分の心理的な部分に気がついて、ソコ自体を修正できることが一番良いのでしょう。ただ、自分の心のクセみたいなものは、自分ではなかなか気がつかないものです。当然ですが気がつかないものを直すのは
- かーなり難しい
でしょう。しかし、その思考のクセが表れている
- 行動なら直せる
んですよ。思考自体は直せなくても、その表れとしての行動は直せるんです。そして、行動と思考に相互関係があるなら、行動を直すと思考も徐々に影響を受けるはずなんです。
なので、まず
- 試供品・オマケを捨てる
んですよ。そうすることで、あなたは未来への不安をひとつ手放すことができるんです(いや、トロフィーや写真でもいいんですが)。
なにをオオゲサなと思うでしょうか。オオゲサじゃないんですよ。未来への不安をオオゲサに捉えていたから、使うアテもない
- プラのスプーンとか
- 割り箸とか
- お手拭きとか
- どっかのクーポンとか
その他もろもろを家が片付かないとストレスを感じるほどに
- 溜め込んでいた
んじゃないでしょうか?それなら、その行動を改めてみてはどうでしょうか。こんなことがきっかけで自分の心のクセに気がついて、なにか変われるかもしれませんよ。
片付けのキモは、現在にフォーカスすること。過剰すぎる過去や多すぎる未来が、現在の生活を圧迫しているんですよ。
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