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国民をバカにするだけの「うっかり道交法違反に注意」記事の無意味

膨大な量の情報が飛び交うネット空間において、「うっかり法律違反」を扱った記事をよく目にします。時に有益だと思ってしまいがちですが、そんな記事を全否定に近い形で斬るのは、米国在住作家の冷泉彰彦さん。冷泉さんは今回、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』でその理由を明確にするとともに、制度が改正された際に政府により行われる「周知キャンペーン」についても疑問を呈しています。

「うっかり法律違反」という話題に振り回されるな

日本のネット記事の多くは、ビューを稼ぐことが前提のビジネスモデルになっています。基本的には正しいことだと思います。そして、情報における需要と供給が自由にバランスして行くことは正しいことです。

ですが、それが100%正しいとも言えない、そんなケースがあります。最近ネット記事の中で特に目に付くのが「うっかり法律に違反していませんか?」的な「説教記事」です。

勿論、騒音を発生させて近所に迷惑をかけるとか、ペットの排泄物を処理しないといった迷惑行為が、単に民事上のトラブルだけでなく、軽犯罪法とか迷惑条例などの違反になるというような情報は大いに結構と思います。

また、交通関係でも自転車の酒酔い運転はダメだとか、追い越し車線を走り続けるのはダメだとか、知らないでは済まされない問題があるのは事実だと思います。

ですが、ランプの球切れは違反とか、ダッシュボードの上にぬいぐるみなどを置くのは違反といった指摘は、確かにそうかも知れませんが、球切れというのはそもそも片方が点灯していないと、他の車両から見えないことで、車幅を誤解されるとか危険な行為であるわけです。法律違反という前に、切れていたら怖いという感覚がなければおかしい話です。

またダッシュボード上のモノが視界を遮る場合は、マトモなドライバーであれば安全面から気にするはずですし、気にならない範囲のモノでも違法だからというのは余計なお節介というものです。勿論、白バイなどにイチャモンをつけられて違反切符を切られるリスクがあるのかもしれませんが、視界を遮るような大きさでないぬいぐるみを摘発するような話は余り聞いたことはありません。ルールのためのルールを「ご存知ですか?」とか「ウッカリ違法にならないように」というのは、やはり余計なお世話であると思います。

交通ルールに関して言えば、昨今増えているのが「歩車分離式信号の交差点」というものです。これはテクニカルには「スクランブル式」と同じです。全方向の車が一斉に赤になって、歩行者は全方向青になるというものです。これによって、歩行者が歩いている場合には車は全方向停止しているので、安全だという理由で導入されているのです。

警察庁によれば分離式にすると歩行者の事故は70%減るというのですから、とても良いと思います。問題は、厳密に言うと「保車分離」と「スクランブル式」は違うというストーリーです。スクランブル式交差点というのは、縦横だけでなく、斜め方向にも横断歩道が描いてあり、同時に歩道の縁石が斜め方向にも切ってあります。ですから、斜め横断してもいいわけです。

ところが、最近の「保車分離」の場合は斜めの横断歩道はありません。また縁石も縦横方向にしか切ってありません。また、歩行者の「青信号の時間」については、スクランブル式より短いものがあります。

この点を踏まえて、「保車分離」の場合は斜め横断は認められていないし、それで事故に遭った場合は保険金等で不利になるということを口うるさく説明した記事をよく見かけます。

実際に調べてみますと、多くの警察署が道交法の斜め横断禁止規定を絶対視しており、スクランブルでは特別に認めているが、保車分離では認めていないので、禁止だとしています。そのくせ、どうしてスクランブルにしないのかというと、縁石の改造工事の予算がないとか、斜めに高齢者が渡ると時間がかかるので、青信号を長くしなくてはならない、あるいは斜め方向の信号を設置する予算がない、といったいい加減な理由しかないケースがほとんどのようです。

ということは、かなり理由の希薄な問題で、脱法行為を誘発しているという構造の全体に問題があるわけです。問題は単に「ご存知ですか?」といったブラック校則に盲目的に従えというようなアプローチではダメだということです。

交通法規以外ですと、例えば酒税法があります。国税というのは、第二第三ビールに課税してイタチごっこを演じているように、酒税をガメつく課税するのが、先輩官僚から申し送られた鉄の掟だと信じているようです。

その酒税法からすると、「アルコール度20%以上の(ですから原則は蒸留酒)酒税を払っている酒」でないと、梅酒を造ってはいけないのだそうです。ですから、日本酒やみりんで梅酒を造るのは違法というわけです。

例えば、サングリアなどを造る場合に、酒と果実を混ぜるのは「呑む直前でなくてはダメ」ということになっています。仮にワインにオレンジを入れて一晩寝かしたらもう違法なのだそうです。

奇怪千万とはこのことです。要するに法律が守れないようにできているのです。これもブラック校則と同じ話で、法律のための法律になっています。理由は分かります。仮にサングリアを許可したら、じゃあ別の場合はどうなのかと、細かく規則を決めなくてはならず、イタチごっこになってしまうからです。

どうしてそうなるのか?理由は簡単です。日本の法体系にはその上位概念としての「法律の基本となる社会常識、共通価値観」というものがないからです。例えば、自宅での営利目的でない、アルコール度数の低い梅酒の漬け込みとか、サングリアの一晩寝かせなどもそうですが、とにかく社会通念上特に不道徳でなく、また他人に迷惑をかけないことであれば、自然権として「人間は何をやっても自由」であり、これに加える形で「紛争を回避し調整するための道具」として規範があるという「ちゃんとした順番」がないのです。

ですから、国税は酒税法で「ダメ」と書いてあれば、ダメなのだからダメという杓子定規になるわけです。そこに、弁護士など違法行為の容疑が発生した方が儲かるという利害関係者や、人を批判したり、人に説教するとメンタル的に落ち着くという自粛警察などが入ってきて問題をややこしくしているわけです。

とにかく、この種の「ご存知ですかその法律」とか「うっかり違反をしないために」といった種類の説教をしている暇があったら、「分かりにくい法律」や「市民の常識に反する法律」を改善するための議論を始めたらいいのです。

つまり法律のための法律が市民生活を不便にしているのであれば、問題提起をして法律をアップデートする努力を行うのが主権者であり、それをしないで、「ご存知ですか?」とか「うっかり」などと説教しているのは、主権者としての権利行使を妨害していると言えます。

これと関連して気になるのは、制度が改正された際に、法案を審議している時の報道は「政治が好きで野党側から政府批判したり、そのカウンターをしたり」といった人にしか分からないし、興味が湧かないような報道がされるわけです。ところが、その法律が成立して施行する段になると、急に政府が広告代理店に大金を投げて「ご存知ですか制度改正」などといったキャンペーンをやるという習慣です。

これは下手くそな野党も共犯であり同罪と思うのですが、そんなことをやるのだったら審議中にやって、民意をしっかり有権者に決めさせて、同時に新しい制度についても周知して行くということをすれば問題は減ります。少なくとも、「知られていないと役所が混乱する」などという心配から、大金をかけて周知キャンペーンをやるより、ずっと効率が良いはずです。

そうしたカルチャーの原因としては、貴重な思春期の時期に「ブラック校則に反論できるのは一部のエリート校の生徒だけ」という極端に差別的な、まるで封建時代のようなカルチャーを徹底的にたたき込まれるからだと思います。このカルチャーのために、結局のところは無能な官僚が野放しとなり、使い勝手の悪い法律が放置されるわけです。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋)

image by: Ned Snowman / Shutterstock.com

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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