ウクライナ出身の安青錦が、いま日本社会に受け入れられている一方で、もし力道山が現代に生きていたなら、その「朝鮮半島出身」という事実は、果たして同じように語ることができたのでしょうか。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では辛口評論家として知られる佐高信さんが、力道山が自身のルーツを隠し続けた「現実」を明かしています。
安青錦と力道山
ウクライナ出身の安青錦は受け入れられているようだが、朝鮮出身の力道山が健在だったら、その出自は現在でも公にはできなかったかもしれない。
「日本人ファースト」などとチンケな島国根性を振りかざす排外主義者たちは、とりわけ、朝鮮人に対して嫌悪感を示す。
しかし、その朝鮮の文鮮明が創めた統一教会の反日には目をつぶるのだからデタラメの愛国心である。
朴一の『僕たちのヒーローはみんな在日だった』(講談社+α文庫)に力道山が登場する。
日本中を熱狂させたヒーローだから当然だが、当時、力道山が朝鮮出身であることはタブーだった。
民族名が金信洛の力道山は、将来の横綱と言われながら、小結で相撲界から去った。
親方との確執と力道山は告白しているが、差別の問題もあっただろう。
そしてプロレスに転向して空前のブームの主役となった。
私も普及し始めたテレビで、力道山の空手チョップを見て興奮した1人である。
力道山の弟子にはアントニオ猪木の他に大木金太郎(本名、金一)がいる。
大木の必殺技は「原爆頭突き」だった。
そう名付けたのは力道山で、広島と長崎に原爆を落としたアメリカからやってきたレスラー、頭をかち割るほどの破壊力を持つ頭突きを浴びさせて、原爆の恐ろしさを伝えたいと思ったからだった。
力道山が相撲界に入った時の資料には「朝鮮出身」と書かれていたが、少しずつ書き換えられ、1943年には「長崎出身、力道山光浩、本名・金本光浩」となっている。
在日のプロ野球選手、張本勲が「憧れの人でもあり、英雄」だった力道山が自室でラジオをいじって、朝鮮の音楽をしんみり聞いているので、思わず、「リキさん、何もこそこそ、聞くことないじゃないですか」と言って、ぶん殴られたと語っている。
「日本の植民地時代にわしら朝鮮人は虫けらのように扱われたんだ。隠していかないと生きていけなかったんだ。今こうして国民のヒーローになったわしが朝鮮人だと言ってみろ、ファンがどれだけ落胆するか、貴様に何がわかるか」
こうブチまけた力道山の剣幕はすさまじかったという。
「北韓(北朝鮮)に行くことはできないだろうか。(北朝鮮にある)力道山先生の墓参りをしないことには自分は死ねない」
私の友人の辛淑玉にソウルの病院のベッドでそう語ったという大木金太郎は、ある時、力道山から「トラジはうまいんだぞ。お前もトラジも知らないのか」と怒られた。
トラジとは桔梗のことで、朝鮮ではその根が一般的に食べられている。
力道山は「そんな他愛もない話題でさえ、人前では語れなかったのだ」と辛は書いている。
辛はまた、ドイツに一時避難しなければならなかったほどの被差別攻撃を踏まえて「戦争は差別から始まる」と指摘している。
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