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天皇訪中を先導し中国を世界の迷惑国家に育てた日本の政治家の名

天安門事件により西側諸国から経済制裁を受け、窮地に立たされていた中国。そんな中国に手を差し伸べたのは、他ならぬ我が国の政府でした。今回の無料メルマガ『日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信』では株式会社オンザボード代表の和田憲治さんが、「天皇訪中」という究極とも言える手段で中共を救ったばかりか、増長までさせてしまった「媚中政治家」たちの行いを強く非難しています

天皇訪中させてしまった日本のマヌケな媚中政治家たち

米国のペンス前副大統領は、「北京はアメリカに4,000億ドルにも及ぶ貿易赤字をもたらしたが、これは全世界の赤字の半分に至る。我々は25年間を使って、中国を再建したのだ。これ以上に現実を表している言葉はないが、失ったものは戻らない」と発言しました。

ここに気になった表現があります。それは「25年間」という言葉です。

25年前に何があったのか?アメリカにインパクトを与えてしまった中国での出来事は何か?

それが、日本が中国を国際社会に復帰させるべく行った1992年10月の天皇訪中でした。

それ以前の1989年6月4日の天安門事件で、中国共産党は民主化運動をする自国の学生らを人民解放軍によって戦車までだして武力で徹底的に弾圧しました。

武器を持たぬ市民への弾圧を行った残虐極まりない中共政府に対して、G7はじめ、国際社会は外交や金融面などで厳しい経済制裁を掛けました。まだ自国の技術もろくな産業もないのに世界中から総スカンを喰らって、中国共産党最大のピンチが続いていました。

そこに手を差し伸べたのが、日本…。

91年8月に西側首脳として天安門事件後初めて海部俊樹首相が訪中し、トドメは宮沢喜一内閣の加藤紘一官房長官です。彼らが中心となって「世界から中国を孤立させない」外交として天皇陛下訪中を実現させました。

これによって、天安門事件に対する西側諸国の対中経済封鎖を解除させることになり、一気に対中投資が急増し現在の中国の繁栄と繋がりました。

実際に、当時の中国外交部長(外務大臣)だった銭其シンは回顧録で「天皇訪中は六四天安門事件での西側諸国の対中制裁の突破口という側面もあった」と発言している。

つまり、ニクソンによって米中デタントがあったものの、本当のフランケンシュタインを作ったのは要するに「日本の媚中派」の面々だったのです。

しかも、この天皇訪中の目的は、日本としての最強の切り札を使ってこれまでの戦争の精算などの日中関係に方をつけ、時代を区分するためと当時説明されていました。

しかし、まったくその効果なく、結局、経済発展してきた中国は、日本に対して「歴史問題」というカードを性懲りもなく、現在も持ち出しています。

故・渡部昇一氏は、「それまで中国は、日本に対して畏敬の念のようなものがあったけれども、天皇訪中のあとは、朝貢国かのような威張った態度になってきた」と言っていましたが、その大きな起点となったことは間違いありません。

以後、日本を馬鹿にするような発言が江沢民はじめ、在中日本大使などの高官からも聞こえるようになってきます。

後に、歴史問題を持ち出されても宮沢喜一や加藤紘一らは、「あの国際制裁されて困っていた時、手打ちしていたではないか」などと反論するはもちろんありませんでした。

日本の政治家が日本の国益のためでなく、中国に対しては常に譲歩する流れができてしまいました。中国に何か「悪さ」をされても“遺憾砲”で逆襲するしか能がないのであれば、誰にだって政治・外交が出来てしまいます。

そして、この宗主国・中国様の行動様式をじっと観察している“中華帝国の歴史的属国”である韓国からさえも、さらにありもしない捏造の歴史問題で日本は言い掛かり・いちゃもんを付けられることになるわけです。

和田憲治 ON THE BOARD https://twitter.com/media_otb

和田憲治

image by: Maksym Deliyergiyev / Shutterstock.com

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【著者】 アメリカ通信 【発行周期】 週刊、不定期

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