2月17日、新型コロナウイルスワクチンの接種が医療従事者を対象に始まり、翌18日には菅首相が田村厚労相らと接種状況を視察しました。しかし、首相と関係閣僚が率先してワクチンを接種したというニュースは一向に聞こえてきません。この状況に、軍事アナリストで危機管理の専門家でもある小川和久さんは「指揮官としての自覚なし」と呆れ、落胆。主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』で、他国のリーダーの「率先垂範」ぶりを紹介し、それと正反対のリーダーに導かれる日本の未来を憂えています。
ワクチン接種、どこに行った「率先垂範」
日本国内でも新型コロナウイルスワクチンの接種が始まりました。それを受けて18日、菅義偉首相は田村憲久厚生労働大臣らと東京の国立病院機構東京医療センターを視察し、「全国の皆さんにお届けしたい」とコメントしました。このニュースを耳にして、この国はダメかもしれない、と不吉なことを思ったのは私だけでしょうか。
日本には率先垂範という言葉があり、リーダーの条件とされてきました。辞書には「自身が進んで見本・模範になること、人がやりたがらない仕事などを率先して行う姿勢のこと」とあります。それなのに、菅首相、田村厚労大臣だけでなく、河野太郎新型コロナウイルスワクチン接種担当大臣も、西村康稔新型コロナ対策担当大臣も、率先して接種する話は出てこないのです。関係閣僚全員がアレルギー体質なんてことはないですよね。
これが戦場なら、そんな指揮官についていく将兵はいません。部隊の足手まといになるとみれば、躊躇なく「後ろ弾」が跳びます。味方の手で人知れず「戦死」させられるのです。菅首相以下、関係閣僚は、日本が「コロナの戦場」の真っ只中にあり、自分たちは指揮官の重責を担っていることすら自覚していないと思わずにはいられません。
世界を見ると、米国のバイデン大統領が昨年12月に接種の様子をメディアに公開し、国民に接種を呼びかけています。イギリスのエリザベス女王一家、ジョンソン首相やイスラエルのネタニヤフ首相、フィリピンのドゥテルテ大統領らも国民の先頭に立って接種しています。それが日本はといえば、以下のような有り様です。
「(前略)『総理ご自身が打って、経過の報告もする。安心はやはりリーダーからのメッセージだ』『野党の党首も含めて全員、ポリティカルリーダーが一斉に受け、その状況、経過を報告することで、国民に安心・安全を与えていただきたい』。2月15日の衆院予算委で公明党の岡本三成氏が迫ると、首相は『私も高齢者であるので、順番が来たら率先して接種したいと思う』と淡々と答えた。
政府の決めた順番に従えば、首相は『高齢者』に分類されるため、4月以降に接種することとなる。首相周辺は『まだいつ打つか決めていないが、4月の時点の世論次第だ』と語る。
一方、ワクチン接種を担当する河野太郎行政改革担当相(58)は16日の記者会見で、自身の接種について『現時点では一般の接種が始まった段階で率先して打ちたい』と答えるにとどめた。(後略)」(2月18日付 毎日新聞)
記事によると、自民党の二階俊博幹事長は「政治家だからどうだと言うわけではないが、こうした時には率先して(接種を)行うべきものだ。他のことは遠慮して後ろに回って、こういう時は前に出てやる」と述べているそうですが、党内には「どうせパフォーマンスだろう」との批判や「特権を享受している上級国民だから優先的に接種できる」との声を気にする向きがあるようです。
国会議員全体が優先的に接種できることになれば、上級国民批判が出てもおかしくないでしょう。しかし、コロナ対策で範を垂れるべきリーダーが先頭に立って接種するというのは別問題です。それを実行しないようでは、リーダーシップも何もあったものではありません。
関連して、コロナとの戦いを「戦争」に例えることへの疑問も聞こえてきます。ウイルス学者の山内一也さんは2月19日付の朝日新聞で次のように述べています。
「私には、ウイルスを『敵』ととらえる考え方がしっくりきません。ウイルスが地球上に出現したのは、30億年前と考えられています。一方、ホモサピエンスはたかだか20万年前。人間は、ウイルスが存在していた世界に現れた新参者です。ウイルスを根絶できるという考えは、あまりに人間本位だと感じます。実際、人間がこれまで根絶できたウイルスは、天然痘と家畜伝染病の牛疫だけです」(2月19日付 朝日新聞)
その通りだと思います。しかし、現実に多くの人命が奪われているのです。そうである限り、ウイルスとの戦いと位置づけて対処することも避けられません。山内さんも手を打つなと言っている訳ではありません。命を救うという最優先順位から考えると、「戦争」なのです。(小川和久)
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