子どもが生まれても夫婦「共働き」のまま生活するのは当たり前の時代となりましたが、実はそれによって夫婦関係が悪くなってしまう場面もあるようです。それは「妻の年収が夫よりも多い」パターン。なぜこれが不仲の原因になるのでしょうか? 今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、世界中で夫婦仲をギクシャクさせてしまっているという「妻の年収問題」の解決法を紹介しています。
妻の年収
さて、本日は実に悩ましいおカネのお話。
我が家はそこそこ仲良くやっていっているのですが、世の中の夫婦はそういうわけでもないようです。いろいろな理由はあるのでしょうが悩ましいのが
- 妻の年収がアップした
ことが不仲の原因になっている場合です。
いや、アップするだけならまだいいんですよね。日本だけではなく世界でも、
- 妻の年収が世帯収入の40パーセント超
になると、夫婦関係がギクシャクしてくるといわれています。
ギクシャクって、具体的には、
- 悲しい
- 緊張する
- 落ち着かない
- 絶望感
- 無力感
- 努力がムダになっている気がする
んだそうです。えええええ、大変…。
ちなみに、結婚前から妻の年収の方が夫よりも高い場合には、ストレスを感じにくいんだそう。つまり、結婚時には自分と同じか低かったものが、結婚後に自分を上回るとストレスを感じるってことでしょう。なんか分かる気がしないでもないけど、繊細だよなあ。
この話、個人的には
- すごく難しいな
と思います。
- 妻の年収がアップしたのを喜んでやれないなんて、サイテー!
という憤慨は、実に分かる。そして、その憤慨は完全に正しい。どんなことでも、出来ないより出来た方がよく、その結果周囲から評価されて、年収という具体的なものに結実するというのは
- メデタイ話
ですから。
他方で、揺るぎない事実として、男性が傷ついてしまうということがあるんです。サイテー!からの帰結として、
- 傷つかないようメンタルを鍛えろ
ということになるでしょう。これも分かるし、正しい。その通りだと思いますね。
妻の年収が夫の年収を上回っている場合、夫が
- スネやすい
というお話でしたね( ̄- ̄;)
- 妻の年収がアップしたのを喜んでやれないなんて、サイテー
という憤慨は、スゴく分かる。
翻って、夫たちがどうして傷ついてしまうのかいうと
- 家事もやってて
- 子供も産んで
- おまけに育てて
という自覚があるからなんだそうです。まあ、外国はどーだか知りませんけどね。
要するに、家庭的なところでは女性の貢献度が圧倒的だという認識があって、それなのに
- 社会的なところでまで
負けてしまうというのが、ツラいということらしいんです。
うん、そうだよね、うん。一理はあるが、その数倍ツッコミどころがあるね。だから、一番分かりやすいところをツッコんでみたんですよ。
- 男性も
- 家庭的なところでの貢献度を
- アップさせればいいんじゃない?
と。男性も、女性も、家庭的+社会的なところで貢献し合えば丸く収まるんじゃないのか?と思ったんです。
ところが、男性代表質問受付係のオット曰く
- それはやらないと思う
とキッパリ。なぜなら、絶対勝てないからなんだそう。
まあ、そもそも年収で自分の負けがハッキリしているからスネているわけで、だから家庭的なところでも同様に競争原理を持ち込んでしまうんでしょう。それなら、競争原理を持ち込まなければいいように思うんですが、それはおそらく
- 現在の男性の脳にはインストールできない
んでしょう。子供の頃から一事が万事競争原理で生きてきたのにここに至って、負けが確定している少なくとも当分の間は追い付けない、家庭的なところへ勝負を挑みにはいかないというんです。
おそらく、競争原理しか持っていない男性の論理で行くと
- 俺より稼がないでいてほしい
というのが本音なんでしょう。家庭的なところでは妻の圧勝が確定しているので、社会的なところは勝ちを譲ってほしいということですね。
ところが、こんな本音がもはや通るはずもないことは彼ら自身も良く分かっているわけです。だから、スネる。スネるしかない。そりゃそーだ。
妻の年収が夫の年収より高い場合、夫がスネやすいというお話でしたね。
競争原理で生きてきた男性が、その優位性の根源である収入で女性に負けてしまうとプライドが傷ついちゃうんですね。ここで
- 女性があんまり稼がないようにしよう!
だなんて結論は
- ゴミ箱行き(*゚∀゚*)
です。というより、現実はまさにコレをやってきたんですよ。会社も社会的な制度も、女性自身も、そうしてきたんです。これ、もう、今さらどこがダメなのか言うまでもないですよね。
- 他人のプライドを保つために
- 自分の才能や能力を狭めている
からです。もっと端的に言えば
- 他人のために自分の人生を捧げてしまっている
からです。これは男女だろうと親子だろうと上司と部下だろうと絶対マズい。
思うんですが、これって
- 年収の多寡でだけ考えているから
なんじゃないでしょうか。競うところがソコだけだとするとお互い張り合う気分になっちゃうんだと思うんですよ。
それ以外の評価軸、たとえば
- 副業の成功度
- 趣味の充実度
- 人間ドックの結果
- 運動やストレッチを継続した日数
- 人付き合いの広さ
- いいね!の数
- 年間読書数
- 勉強に費やした時間数
- ゲットしている資格数
ま、なんでもいいんですが、こういうものにも目をむけるとちょっとは違うと思うんです。
- 数学はできないけど
- 足の速い子がヒーローになるみたい
なもんです。数学ができないからってスネなくても、足が速ければいいじゃないかってことですよ。いや、自分は数学で勝ちたいんだと思うんなら、そりゃソコで競争するしかありませんね。その競争で負けそうだから、ソコで比べるのは止めようねってところが前提ですからねって、前提を忘れっぽそうな人のために書いときます。
結局のところ、この話は
- 単一の評価軸(年収)での競争原理
- 妻に負けたくない夫のプライド
という構造が問題なんでしょう。2個目が修正できないなら1個目の「単一の」が「複数・多数」になれば、年収という評価軸にかかる重大さが緩和されますから。
このためには、他の評価軸に費やすための
時間的余裕が必須
ですね。おカネは大して問題になりません。安く出来ることってたくさんありますから。でも、時間は有限で、しかも長時間労働が常態化している日本では、コレが大変です。
ですが、長期的に考えて、コレは実に
- 取り組むのに値するテーマ
だと思います。時間的余裕がない場合には、育児や家事に費やす時間もまた少ないはずであり、単一の評価軸(年収)にかかる重大さは増すばかりです。すなわち、夫婦間のストレスは
- 常に一触即発状態
なんです。小手先の時短家事のスキルなんかより、時間的余裕を生み出すためにホワイト企業に転職することを考える方が遥かに大切に思いますね。
だんだん上がる妻の年収。男性諸氏にはメンタルを鍛えつつ、夫婦で時間的余裕を生み出して別の評価軸を作りたいですね。
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