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今の日本は「衰退途上国」。在米作家が断言した根拠と4つの大問題

日本人自身にあまり実感は無いものの、世界的に見れば確実に進んでいるのが「衰退」の二文字です。その原因は今や「少子高齢化」だけではなく、複雑な問題がいくつも絡み、そして解決の糸口も見えないのが現状なのかもしれません。米国在住作家の冷泉彰彦さんは、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』の中で、以前より日本の現状を表すキーワードとして使用してきた「衰退途上国」という言葉の意味と、その根拠となる4つの点をそれぞれ明確に示しながら解決しています。

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ニッポン「衰退途上国」論

ある読者の方から、「衰退途上国という言葉が頭からはなれません」というメッセージをいただきましたので、今回はこれをテーマにお話をしたいと思います。

この「衰退途上」という考え方ですが、これは独立した概念ではありません。そうではなくて、より大きな概念である「日本は課題先進国」という包括的な理解の中の一つと考えています。

この「課題先進国」という概念ですが、他にも主唱されていた方もあるのかもしれませんが、このコラムで提案した考え方の一つです。つまり、超高齢化にしても、人口減少にしても、あるいはこれに伴うシルバー民主主義などの現象にしても、人類の他のコミュニティがかつて経験していないものであり、他の国々に先駆けて日本が戦っているということです。

つまり、撤退戦ではあるものの、名誉ある戦いであるし、それは恥ずかしいことでも何でもなく、むしろ他の国々の先駆として人類の「未体験ゾーン」を必死で進んでいるのだという心構えです。それが「課題先進国」ということです。

これに対して「衰退途上国」というのは、もう少し狭い概念ではないかと思います。経済というのは、基本的には拡大というのが前提になっています。最初は試行錯誤が続くが、一定の規模が確保できれば収益が得られるようになるわけです。

どうしてかというと、業種や業態にもよりますが、経済には固定費と変動費というものがあるからです。その固定費からは逃げられない中で、規模の拡大は変動費だけでよく、拡大によって粗利益がより大きくなる中で、初期投資や、継続的な固定費などがカバーできるようになります。簡単な数学に他なりませんが、とにかく規模の経済という概念は合理的なものです。

反対に、規模を畳んで行くというのは、経済的には大変な苦労を伴います。徐々に収益が縮小すると、固定費の割合が高くなって行きます。そして、ある臨界点を割り込むと、固定費に潰されるように、そのビジネスは継続イコール損失ということになってしまうのです。

抽象的な話になりますが、拡大と比較すると、縮小というのは大変な難しさを伴うのです。

ところで、私が国際政治経済とか、比較文化、コミュニケーション論などに加えて、日本を中心とした鉄道の技術を関心領域にしているのは、鉄道というビジネスは基本的に装置産業であり、巨大な固定費を抱えているからです。

初期投資だけでなく、運転に伴う人件費、そして定期的な検査と修理(業界では合わせて検修と言いますが)なども固定費です。災害の被害を受ければ、その費用も乗って行きます。車両や設備を定期的に更新する必要もあります。例えば新幹線車両は13年で更新することになっています。

そのように固定費を抱えた事業だからこそ、鉄道というのは日本の国家における規模の縮小ということが、ダイレクトに反映するわけです。そして、この問題と対決するために、鉄道事業者の皆さんはあらゆる努力を払ってコストの効率化をしています。その努力には、画期的な技術革新も含みますが、いずれにしても「縮小」に対する厳しい撤退戦というのが鉄道の宿命だという点は、極めて重要であり、だからこそ私としては日本の鉄道に注目したいのです。

それはともかく、「縮小途上国」という概念は、経済における固定費との闘いというだけでない、様々な問題を含んでいると思います。

今回は4つお話をしたいと思います。

1つ目は、全体が縮小のトレンドに支配されている一方で、発生する格差が見えにくい。つまり「格差が可視化されない」という問題です。衰退の速度には差がある場合に、格差というのが複雑に入り組んだ形で出てきます。つまり、日本社会あるいは日本全体が同じような縮小率で経済衰退しているのではなく、その縮小のトレンドには「まだら」がある、つまり業種や地域、コミュニティによって差が生まれます。その差というのが、可視化「されない」ことで何が起きるのかという問題は重要と思います。

2つ目は、豊かさを前提とした制度が、支えられなくなるという問題です。経済成長に伴って、日本だけでなくあらゆる国家が福祉や安全に関する規制を強化することで、住民の安全を確保してきたわけです。その制度を維持するコストが支えられなくなって行く中で、公共サービスを畳むことは可能なのかという議論です。

3つ目は、グローバル化する国際経済の中で、一国だけが独特の縮小トレンドに入って行った場合に周辺国や、関係の深い国との間では何が起きて行くのかという問題です。つまり日本だけが縮小トレンドを強めて行った場合に、そこだけ気圧の低い空間があれば、そこに風が吹き込むわけですが、経済の場合はどんなことが起きるのかという点です。

4つ目は、これは少し違う次元の問題ですが、衰退に伴う文化的な現象ということです。例えば明末の中国、19世紀末のウィーン、大恐慌直前のアメリカなど、文明が大きく崩壊してゆく際には、文化の爛熟が見られました。崩壊や衰退に伴う、健康ではないが一種の非日常的な狂躁や、過度の沈潜といったものが優れた文化として結晶するという現象が一般的に見られると思います。現在の日本の場合は、それは「何か?」というのは大きなテーマと思います。

前置きの要約はそのぐらいにして、本論に入りましょう。

まず、1つ目の「衰退の中の格差が可視化されない現象」についてです。アメリカというのは、格差の可視化されやすい社会です。まず、居住区の成り立ちと雰囲気が人種、階層を反映しているということがありますし、買い物をする店も、通勤に使用する交通機関も格差を反映しています。

例えば、食料品のスーパーにしても、地域密着の大規模総合スーパーがある一方で、富裕層向けにはオーガニックやニッチ商品の食品スーパーがあり、反対に欧州系の激安スーパーがあるなど、市場の階層による分化が起きています。交通機関の場合はもっと露骨で、階層の順に自家用車、郊外鉄道、地下鉄・バスとハッキリ分かれています。パンデミック下の現在は、その上に「知的労働イコール在宅勤務」というのが定着して、益々階層分化が可視化されている状況です。

ですが、日本の場合はかなりの富裕層でも激安な店があれば、わざわざ足を運ぶし、そもそも大都市圏の通勤は電車一択ですから、全く格差が見えません。例えば、午前6時台の山手線であれば、夜勤明けの人と、早出で欧州市場対応の金融関係者などが混在していますが、男性も女性もそれなりにビジネスルックで乗車していると見分けがつきません。例えば、早朝ジムで汗を流す(コロナ前の話ですが)富裕層などは出勤前にカジュアルなスポーツ・アウトフィットであり、反対にネクタイを締めた人が厳しい条件の派遣契約だったり、見かけでは逆転現象があったりもします。

居住区に関してもそうです。例えば港区とか「なにわ筋」のタワマンというのは、確かに富裕層向けかもしれません。では、階層による居住地分化が進んでいるかというと必ずしもそうではありません。23区北部にしたって、ミナミの近辺にしたって物件が良ければ富裕層は住んでいます。反対に、成城学園とか田園調布、芦屋の六麓荘とか以前は高級住宅街とされたエリアの場合は、相続で分割の圧力が進み、条例で必死に一軒辺りの規模を守る規制で対抗しているわけです。

例えば、コンサートやイベントのチケット転売禁止という問題があります。実際は、経済格差が拡大しているのでアイドルグループの大規模なコンサートのチケットがプラチナ化してもおかしくないわけです。事実、規制をしなければ転売でそうした価格差が形成されるかもしれません。

ですが、仮に全部のチケットがプラチナ化してしまうと、マスのファンは離れて行きます。そうすると全国ブランドの商品のCMに出て地上波で稼ぐというビジネスモデルが成立しなくなります。ですから、チケットの価格は市場原理を走らせるのではなく抑えておいて、転売禁止という規制でそこに重しをする必要があるわけです。その結果として、実際は広がりつつある購買力の格差が見えにくくなっているのです。

この問題に関しては、相当の富裕層になってもアイドルのコンサートに行きたいという消費行動が前提となっています。ということは、カルチャーの分化は極めて限定的ということです。これは、日本で昔からある、政治家も社長も音楽といえばカラオケで演歌と決まっていて、海外要人との文化談義などは皇居に丸投げという伝統がまだ続いているからかもしれません。

いずれにしても、衰退に伴う格差の拡大が可視化されないという現象は注目に値します。そのために社会問題も可視化されず、従って対策が遅れるという問題はあります。そうではあるのですが、衰退がどんどん加速し、これに伴って格差も拡大しているのに、それが社会的には可視化されない、されても限定的だということは、この社会が衰退に対して見事に対応している、あるいは抵抗しているという意味はあるように思います。

特に衰退がこれだけ加速する中で、奇跡的に治安が保たれているというのは、銃規制ということもありますが、やはり格差が可視化されていないということが大きいと思います。

2つ目の制度の問題は、これは厄介です。経済成長の結果として達成した、安全や快適性のための規制や基準が、高いコストとなって社会に負荷をかけている、そうした現象が少しずつ明らかになってきました。例えば、今回の新型コロナ対策もそうです。コロナを2類感染症に指定することで、様々な杓子定規が起きています。また建築における耐震規制もそうです。

こうした規制は、個々の事例に関しては人命優先の考え方からは必要なものですが、高額な社会的コストを伴います。ですから、日本が「発展」途上国の時には十分な規制はされていませんでした。それが豊かな社会を実現したことで、そうした規制を実現できるようになったわけです。ですが、その豊かさが「こぼれ落ちて」行く中で、そのように高価なコストを伴う規制を維持できるのかは、非常に難しい問題だと思います。

例えば、耐震性を考えたら、ある種の橋梁やトンネルは補修もしくは建設し直しをしなくてはなりませんが、そのコストが引っ張れなければ、安全のために通行禁止にしなくてはなりません。そうすると、その先にあるコミュニティは孤立してしまう、そういった問題も多く発生しています。

勿論、教科書的な回答としては人命のための規制や保護は、何が何でも維持して行くべきであるし、それは憲法によって保障されているということになります。ですが、それを維持する費用の財源がない場合というのは、想定がされていません。例えば、生活保護における「水際作戦」というのも、別に窓口担当者が鬼であるわけではなく、自治体の予算が有限である中で追い詰められたゆえの行為であるわけです。

経済衰退は厳然たる事実である中で、そのような制度維持に必要なコストをどうやって守って行くのか、あるいは柔軟性を持たせて全体を強靭にする手法はあるのかといった問題はまだまだ考慮が始まったばかりのように思います。

3番目は、周辺国や関係国との間で何が起きるのかという問題です。まず、経済衰退に伴って、日本経済の中には「まだまだ競争力の有る部分」と「生命維持だけになっている部分」が分化してきているわけです。前者に関しては、かなり他国の資本に買われてしまっているのは事実です。

例えばシャープは、再生を果たして上場維持をしていますから、成功しているように見えます。また、今回の「マスク製造」など時代の要請に機敏に反応していることから、日本企業というイメージが残っています。ですが、実際は台湾の鴻海グループの子会社です。そして、鴻海は米アップルの製造下請けです。

そのアップルは、日本の横浜市にある松下通信跡地にYTCという研究施設を稼働させています。この研究施設誘致に関しては、当時の安倍総理などは積極的だったようですが、何のことはありません。日本に残存する光学系、あるいは素材系のノウハウを、アップルとして見極めて札ビラ切って買い集めるための拠点なのです。

それによって、日本国内で雇用維持がされるとか、日本のエンジニアがアップルの世界基準の給料がもらえるようになるかもしれません。ですが、結果的に、AMDのチップがアップルのチップになったように、多くのパーツが「内製化」されていくことになります。結果的には、量産拠点は世界の中で最適な場所に持って行かれる中では、日本のGDPは削られる一方です。

日本は故意に円安誘導を続けていますが、これは日本企業のドルベースでの価値を低めてしまいます。ですから、買収されるリスクは高くなっているのですが、その割には、例えば中国の資本が日本企業を乗っ取るケースは少ないように思われます。これは、「買う価値のある内容」が限られてきているということと理解ができます。

一方で、日本はこれだけ教育水準の高い国でありながら、観光立国などという絶望的な国策を推進していますが、この政策がコロナ禍による中断中ではあるものの、基本的には成功しています。デフレの反映した価格に円安効果もあり、価格競争力がある一方で、日本のカルチャーや生活様式へのエキゾチックなものとしての憧れというのは臨界点を超えて拡大の一途だからです。

日中の経済関係ということでは、最先端のモノに関する大規模で高効率な製造拠点としては日本企業は中国を大いに利用しつつ、徐々にノウハウを奪われても仕方がないという態度を取っています。日本国内にはリスク選好マネーはなく、中付加価値製造業の厳しい仕事を割り切って働く優秀な労働力もない中では仕方がないのでしょう。

この他には、日本は衰退しつつあるとは言え、まだまだ相対的には先進国であることから、海外の安い労働力の活用は続けています。こちらは、支払い能力が下がる中で、かなり過酷な条件となっており、中には非人道的なケースも見られます。実際は、ある臨界点を超えて日本が貧しくなり、アジア全体における賃金メリットが消滅すれば、こうした外国人労働者は来なくなり、反対に日本人が出稼ぎに出るようになるわけですが、その臨界点に至るにはまだ時間があると考えられます。

ということで、日本経済が緩やかな衰退を続ける中で、混乱を生ずるあまりに、周辺国に対して「迷惑をかける」という局面は今のところは、あまり起きていません。これは評価しても良いと思います。

4番目としては、衰退に伴う爛熟したカルチャーというのが、余り感じられないということです。これは、バブル期の繁栄にしても、その後の多国籍企業やテック関連の繁栄にしても、基本的に日本の富裕層や支配階層が、文化的には極めて貧困であったこと、そのために衰退の段階に入っても、衰退の痛みを繊細で爛熟した非日常の時間空間に表現するというカルチャーが生まれなかったという説明が可能です。

反対に、カルチャー的に活性化された部分は、日本経済が強かった時期であっても、貧しい若者がチャレンジャー的に努力することで成果を挙げてきたわけで、例えば、アニメにしても、JPOPにしても現在の隆盛、そして国際的な尊敬というのは、経済の浮沈とはあまり関係がないようにも思います。

勿論、全体が貧しくなるということは、周り回ってカルチャーにもカネが来ないということになります。ですから、この先の日本のカルチャーに関しては、決して楽観はできません。ですが、アニメにしても音楽にしても、とっくの昔に豊かさというのは前提でなくなっており、危険に満ちた世界において、やや防衛的で受け身的であるものの、緊張感あるドラマを通じて自分たちの「生」を表現するということでは、衰退社会という厳しい環境を、若者たちは創作のエネルギーにしている部分はあるように思われます。

いずれにしても、衰退途上国として、日本が現在どのような速度で、どのような方向へ向かっているのか、少なくともそこには何の前例も、お手本もないのは事実だと思います。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋)

image by: MAHATHIR MOHD YASIN / Shutterstock.com

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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