9月5日、162の国と地域の選手が繰り広げた13日間の熱戦に幕を閉じた東京パラリンピックですが、その伝えられ方に違和感を示す声も少なくなかったようです。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では健康社会学者の河合薫さんが、パラリンピックを「感動ポルノ」にしてしまったメディアは少なくなかったと指摘。その上で、障害者に「感動」を求める現状を共生社会と呼べるのかという疑問を記しています。
プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。
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“スポーツ”として楽しめましたか?
パラリンピックが無事、終わりました。メディアでは「共生社会」「個性」という言葉がしきりに使われていましたが、個人的にはただただシンプルに、スポーツとして楽しかった。
以前、国枝慎吾さんが「ボクの願いはたった1つなのです。この競技を1つのスポーツ競技として見てほしい。パラリンピックを純粋にスポーツだと評価し、楽しんでくれるお客さんで競技場を埋め尽くしたい」と室伏広治さんとの対談で話していましたが、本当に楽しかったです!
ボッチャのスゴ技は面白かったし、車椅子マラソンで隊列を組むのは興味深かったし、視覚障害の人たちの伴走者がたくさんいるのは初めて知ったし、バスケやラグビーも迫力満点だった。走り幅跳びや短距離走で義足で走るのはメチャかっこよかったし、テニスも砲丸投げも、他の競技も、オリンピック以上に楽しみました。
オリンピックよりもパラリンピックでは、アスリートを支える「チーム」が見えます。それを見ると「ああ、自分も支えてくれる人たちがいるからこうやって仕事を続けられているんだよね」と、改めて痛感させられました。
私は常々「人を健康で幸福にするのは半径3メートルの温かな人間関係」と言い続けているので、それを「見える化」してくれたのがパラリンピックでした。
でも、残念ながらパラリンピックを「感動ポルノ」にしてしまったメディアは少なくありませんでした。
「足りないものがあっても頑張る姿に感動した」
「個性だと捉えてあきらめない姿に勇気をもらった」
etc.etc…、こういった障害者が前向きに頑張っているのが偉い、感動するといったコメントは「同情」のように思えてなりません。
以前、本メルマガでも紹介しましたが、2014年12月に32歳で亡くなった車椅子のジャーナリスト兼コメディアンのステラ・ヤングさんは、この同情のまなざしを「感動ポルノ(inspiration porn)」という実に厳しい言葉で表現しました。
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彼女は講演で、世間で流布されている「感動的な障害者」のポスターやエピソードの事例を示し、「感動ポルノ(inspiration porn)」について次のように話しています。
- “ポルノ”という言葉を使うのは、ある特定のグループに属する人々を、他のグループの人々の利益のためにモノ扱いしているから。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしている。
- 健常者が良い気分になれるように、障害者をネガティブな存在としてモノ扱いする。自分の抱えている問題が大した困難ではないと、違う角度から見られるようにするために。
- 「自分の人生はうまく行っていないけれど、もっとひどい人だっているんだ」と思わせるためのもの。「あんな大変な人もいるんだ」と。
- 私は「障害者」という言葉を意図的に使ってきた。なぜなら、私たちの身体と病名よりも、私たちの生きる社会のほうがより強く「障害」になっていると感じているから。
そして、講演の最後をこう締めくくりました。
「障害が例外としてではなく、ふつうのこととして扱われる世界で生きていきたい。部屋で『吸血ハンター 聖少女バフィー』を見ている15歳の女の子が、ただ座っているだけで何かを達成したと思われることのない世界に生きたいです。障害そのものは、何も特別なことではありません。でもあなたの障害に対する意識について考えることは、あなたを特別な存在にします。ありがとうございました」
感動ポルノ───。
これほど多くの人たちを後ろめたくする、悲痛な悲しみに満ちた言葉があるでしょうか。
パラリンピックはとても良かったです。おそらく多くの人たちがそう思ったはずです。
しかし、ただただ普通に生きてるだけなのに、普通にスポーツしているだけなのに、なぜか「感動させる障害者」を求められる。それを共生社会と呼ぶのでしょうか。
「もっとさ~、普通に扱ってよ。別に私たちは、みなさんを感動させるために存在してるわけじゃないよ。普通に生きてるんだよ。みんなだって、そうでしょ?」
そうステラさんは訴えたかったのだと思います。
みなさんのご意見、お聞かせください。
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image by: Marco Ciccolella / Shutterstock.com