ついに開幕した北京冬季五輪。美しい映像美が称賛される一方で、民族問題が取り沙汰されるなど賛否の声があがっています。そんな北京五輪を日本在住の中国出身の方たちはどう見たのでしょうか。作家として活動する黄文葦さんは自身のメルマガ『黄文葦の日中楽話』でその率直な思いを綴っています。
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北京冬季五輪の静かな情熱を見て、東京の思いは?
二十数年間、遠く離れている中国が当方を一番感動させたことは正に今回の北京冬季五輪の開会式であった。イデオロギー演出ばかりしている旧暦の大晦日に放送される「春節聯歓晩会」と見比べて、同じく中国人が作り出したものとは思えないぐらい素晴らしかったと思う。その開会式から、ある程度中国社会の進歩が見られた。日本のネット上でも、北京冬季五輪の開会式を絶賛する声が溢れている。
2008年北京五輪と2022年北京冬季五輪の開会式の違いと言えば、前者は内向き、後者は外向き姿勢である。この14年間、中国も張芸謀(チャン・イーモウ)も進歩してきたと実感が湧いてくる。
2008年の北京五輪は、中国5,000年の歴史と文化の圧倒的なプレゼンテーションであったが、今回の開会式ではテーマを「I」から「We」に変え、大会のスローガンである「共に未来へ」という人類共通の感動を示し、世界に響いた。
開始わずか18分で選手入場、著名人・芸能人は参加ゼロなどに驚いたのが、開会式の最大のミステリーは、雪の結晶の物語であった。冒頭で観客に配られるギフトバッグ、カウントダウン映像、国や地域の案内板、出演者の衣装、一部のパフォーマンスの背景、メイントーチなど、式典の随所に「雪の結晶」が使用されているのだ。
まるで「雪の結晶」の中で、東と西の二つの文化が出会い。張芸謀監督の話によれば、「李白の詩には、『燕山雪花大如席(燕山の雪花、大なること席(むしろ)の如し)』という言葉や、『この世に同じ雪は二つとない』という西洋のことわざがある。これは綿密に設計されたランスルーで、すべての雪片、すべての国や地域が北京に集まり、最も輝かしい大きな雪片の一つを作ろうとしているのだ」。
正直言って、以前あまり冬のオリンピックに注目してなかった。夏のオリンピックばかりを観る。冬のスポーツに興味を持っていなかった…今回、この開会式に惹かれて、テレビで観ようと思っている。超素朴でシンプルな演出はコロナのおかげだと言えるだろう。中国のかつての傲慢さと誇張を封印するようになった。
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北京冬季五輪の開会式の感想を一言でまとめれば、「静かな情熱」だと言いたい。それで、この開会式を見て、東京の思いは?と問いかけたい。因みに、開会式には冒頭のビデオで24節気を採用し、これは日本人にとっても親しいはず。
コロナ時代、夏と冬のオリンピックを日本と中国が担う。それも運命の共通点の一つ。東京五輪と北京五輪、一つの重要な共通点は環境に配慮すること。半年前に話題になっていた東京五輪の段ボールベッドと今回の北京五輪開会式の小さな聖火は、同じく世界に向けて、エコ対策を呼び掛けたわけだ。
「点火」ではなく、「不点火」「微炎」とすることで、低炭素・環境保護というオリンピック史上革新的なグリーン・オリンピックのコンセプトを伝えることができた。
ところで、ネット上では、「北京五輪の開会式を見て、東京五輪の開会式がどれだけ酷かったか、改めて思い知らされましたね。発想が内向きで、見栄ばっかり張って。ああ恥ずかしい」という意見があった。これは非常に鋭い指摘だ。
確かに、東京五輪の開会式の演出を巡ってのいろいろな出来事は、日本の内向き姿勢のすべてを客観的に暴いた。
特に印象に残ったのは、東京五輪の開会式の企画・演出に携わっていた数人のアーティストの20年以上前の欠点も叩かれ、オリンピックの舞台から追い出したこと。他人の過去を声高に難癖つけることに社会全体でエネルギーを注ぐことは残念に思えてたまらなかった。
無駄な争い、内部対立に時間を費やすことは中国のネット用語で言えば、「内巻」だという。日本社会の「内巻現象」も顕著だろう。日本人が過去から抜け出せず、人に寛容になれないとしたら、良い未来はないだろう。
後の祭だが、世界の北野武を東京五輪開会式の監督にさせればよかったのに。
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