先日掲載の「韓国ですら危険。日本にとってウクライナ侵攻が『他人事』ではない訳」では、我が国において戦争に対する備えがほとんどなされていない実態を白日の下に晒した、ジャーナリスト・作家として活躍中の宇田川敬介さん。至近に中国や北朝鮮といった「外的脅威」が存在する現実がありながら、なぜこのような状況に陥っているのでしょうか。宇田川さんは今回、自身のメルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』で、とある有名政治家が防衛大臣を努めていた頃に交わした会話を紹介しつつ、その理由を探っています。
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ウクライナ情勢を見て思う「我が国は生きのこれるのか?:日本において何が問題か
日本の防衛について語ってみるということにしましたが、実に壮大な感じになってしまって何から書いてよいかわからないということです。
とにかく、まずは現状を把握するということを考えてみないといけないのではないかという気がしますが、その内容をしっかりとまとめたものはありません。
実際に「防衛白書」などは毎年出てきていますが、その「防衛白書」において日本は守られるのかということになります。
実際に、「防衛白書」では十分ではないということは、私の所属する日本安全保障戦略研究所の自衛隊のOBの人々が口をそろえて言っていることであります。
例えば「危機管理」という言葉一つとっても、一般に危機管理ということを言えば、災害や犯罪などにおいてその犯罪に会わないということをしたり、あるいは災害から身を守るということが重要になってきます。
この「危機管理」という言葉に関しては、リスクマネジメントという言葉もありますし、一方でクライシスマネジメントという言葉もあります。
リスクマネジメントというのは、「リスク」という言葉が漠然とした不安とか棄権ということであり、かなり事前に予想されていた内容に関して、それに備えるということが中心になります。
要するに「事前に何かに備える」ということであり、それは「想定の範囲内」少なくともその想定された危険の少し上のレベルであったとしても、人間が事前に余裕を持ってその危機に対して対処するということになります。
一方クライシスマネジメントということになれば、その危機の真っただ中にいるという状態です。
例えば、地震で揺れている時とか、津波が迫ってきているとき、どうやったら自分が、そして大切なものを助けることができるかというようなことがあります。
要するに未曽有の、または想定外の危機の真っただ中に入れられて、その中でいかに自分や大事な人の命を守ることができるかということがクライシスの中での行動、つまりクライシスマネジメントと言うことになります。
多少語弊はあるかもしれませんが、「リスクマネジメント」が「予行演習・準備」ということであるとすれば、「クライシスマネジメント」は、「本番のクライマックス」(あまり表現は良くないですが)ということになるかもしれません。
このように考えると、日本の場合自然災害に関しては「リスクマネジメント」ができているということが言えるのかもしれません。
基本的には新規の建物に関しては、すべて耐震構造になっていますし、集団が使う場所のカーテンや絨毯・カーペットの類はすべて「防炎」のマークがついているものを使っているということになります。
また様々なところに避難所ができ、また、その避難所の中には、その収容者が7日程度(場所によって違いますが)その場で少なくとも食べ物や水を苦労しないように備えてあります。
そのほかにも防寒のための毛布や、場合によっては段ボールでできたベッド、プライバシーを守るためのパーテーションなども準備している場所があるということになります。
それでも3.11のように想定外の規模の自然災害があれば、かなり多くの被害者が出てしまうということになるのです。
備えていても災害というのは、被害が出てしまうことになりますし、また、その被害をコントロールできないということもあります。
備えていたものが備えていた予定のようにできるということもできませんし、また、非常時の命令系統など全く決まっていないために、平時と同じ指揮系統で動かしてしまい、何かを決めるときに時を逸するというようなこともあるのです。
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一方、これが「人による災害」つまり「テロ」「大規模犯罪」「戦争」というようなことになった場合、それに対応されているでしょうか。
地震ということになれば、例えば耐震構造ということは、揺れを建物が吸収し建物の倒壊を防ぐということになります。
しかし、その建物が壊れないということで、ミサイルの攻撃には耐えられるのでしょうか。
テロなどの犯罪になれば、その壊れにくい・倒壊しにくい建物がテロリストのアジトになってしまい、攻めにくくなるというようなことが出てきてしまいます。
津波や洪水であれば、地下は水が溜まってしまいますので、なるべく高いところに逃げるのが鉄則です。
そのために、高い頑丈な建物を避難所としたりしていますし、またその時の備えもあると思います。
しかし、これが戦争となれば、高いところは「標的」になってしまいます。
現在のウクライナの情勢を見てもわかるように、砲弾やミサイルの爆風や破片を避けるために、多くの人は地下の防空壕に、それでもいけない人は地下鉄の駅などに避難しているのです。
韓国などは、これらの内容に関してソウル市内にソウルの人口の3倍の地下シェルターを作っていますし、その中には、食料や水、一部の武器、ガスマスク、子供用も含めた防弾チョッキなどが備えられています。
日本の場合は自然災害に関する内容ばかりがリスクマネジメントとして存在していますので、そのような地下シェルターなどはありませんし、また、沿岸の町、つまり船で敵が上陸してくるということを想定して、そのための備えもないのです。
このように日本の場合は、「日本を守る」ということをいっても、その日本を守る内容が「自然災害」に偏ってしまい、戦争やテロなどの「人為的な災害」に対する対処は全くできていないということになるのです。
しかし、日本を守るのであれば、これ等の人為的な災害に対してもしっかりと守らなければならないのではないでしょうか。
さて、「日本を守る」ということを書いたときに、まずは、「日本とは何か」ということを書かなければなりません。
国家ということを言うときに、よくその要素を「主権」「領土」「国民」というように言われていますが、実際に、日本はどれが守られているのでしょうか。
以前、まだ国会新聞の編集次長の時代に、その時の防衛大臣にインタビューをしたことがあります。
まあ、あまり名誉なことではないので、名前は伏せておきますが、自民党総裁選に何度か出馬されている先生です。
その先生との会話です。
私 「自衛隊は何を守っているのですか」
(元)大臣 「日本を守っています」
私 「日本の何を守っていますか」
大臣 「領土でしょう」
私 「それならば、竹島や北方領土には何故自衛隊は守りに行かないのですか」
大臣 「領土だけではなく、国民を守る仕事があるからでしょう」
私 「ではイラクなどに日本人がテロリストに誘拐されたとき、なぜ国民を守りに行かないのですか」
大臣 「いや、わざわざイラクまでは…」
私 「わざわざって、サマワに行っていたじゃないですか」
大臣 「それは政治的な問題があって」
私 「主権ということが出ると思うので先に言いますが、日本から拉致された主権を無視した犯罪行為の北朝鮮の拉致被害者を救いに、なぜ自衛隊は北朝鮮に行かないのですか」
大臣 「そんなことをしたら戦争になるでしょう」
私 「戦争になるということが問題ならば、他国が戦争を仕掛けてきたときに自衛隊は日本を守れないのですか」
大臣 「そんなことはない」
私 「では、自衛隊は結局何を守っているのですか」
大臣 「高度に政治的な問題があるが、それでも日本を守っている」
私 「その政治的な問題を解決するために、大臣がいるのではないですか」
大臣 「あのねえ」
私 「要するに、なんとなく日本っぽいものを守っていながら、結局何を守手散るのかよくわからないということですか」
大臣 「それらは自衛隊法に規定がないから…」
まあ、この後もずっと話が始まるのですが、日本を守るかなめであるはずの自衛隊の、まあ、10年ほど前の話ですが、その担当大臣ですら、このようなものなのです。
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日本人はなんとなく言葉で終始し、その言葉のニュアンスで「理解したようなつもり」になってしまっています。
しかし、実際にその内容を詰めてみると、どれも中途半端になってしまい、本当に日本が守られるのか、具体的に私たちの命は守られるのかということは非常に疑問が残るということになるのです。
このように、日本の場合は「自然災害」に対する内容はしっかりとしているのですが、しかし、戦争やテロということに関しては今一つできていないということになります。
ではなぜこのようになってしまっているのでしょうか。
日本人は、実は戦後70年以上平和が続いてしまい、そのことから「平時と緊急時の区別がつかないような状況になってしまっている」というのが真相ではないでしょうか。
実際に、今回のウクライナの話においても、平時の感覚で話をしてしまっています。
そのために、「戦争状態」でありながら、何かピントのずれた平時の内容しか出てきていないということになるのではないでしょうか。
そもそも戦争全体で陰謀論ということを言う人がいますが、2014年のクリミア半島危機、ユーロマイダン運動、ドンバス戦争というような流れ全てが陰謀というような話になるのでしょうか。
この人々の思考も非常に興味深いのですが、それだけでは無く宗教・民族・国民性などがしっかりと見えていなければ、いろいろわかることはないのではないかと思います。
このように言うと「ウクライナに行く」という人がいますが、実際に言語もわからず、地理もわからず、またそれ以前の姿もわからず、行って何ができるのでしょうか。
まさに、「平時の感覚」が抜けていないからそのような感覚になるし、一つの行為だけ(今回はウクライナ侵攻ということですが)に焦点を当てて、なおかつ、それ以外の話も全くすることなく、陰謀論などを恥も外聞もなく言えるのではないでしょうか。
そしてそのような言論が許されているから、また、しっかりと民族性や国民性、宗教などの話を情報として流さないから、それらに対して何ができるのかということが見えないのです。
そして、その真実がゆがめられて解釈されてしまうので、しっかりとした日本の「人的災害に対する対応」ができないのでいるのかもしれません。
もっと言えば、陰謀論などで思考停止をしてしまっているから、日本の本当に必要なものが見えないのかもしれません。
さて、自衛隊がこのような状態、そして、民間や地方公共団体は、全く準備ができていないという状態です。
このような状態で日本は、戦争が始まった時に日本を守ることができるのでしょうか。
次回は、このような状態を作り出した日本の国民性を考えてみましょう。
(次号に続く。この続きをお読みになりたい方は、この機会に『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』をぜひご登録ください。初月無料です)
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