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中国の過酷な受験戦争。なぜ「高考」が人生の成否を左右するのか?

中国人の人生の成否は「高考」で決まると言われています。高考とは、中国の全国統一大学入試のことですが、その仕組みは日本の大学入試とは大きく異なっています。中国出身で日本在住の作家として活動する黄文葦さんは、メルマガ『黄文葦の日中楽話』の中で、高考について詳しく紹介し、なぜその制度が浸透し続けているのかについて語っています。

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「高考」は科挙制度の延長線上にある

6月、中国の「高考」の季節。「高考」とは中国の全国統一大学入試である。その仕組みとしては受験生が統一試験に参加、点数が公開された後、志望校を選ぶ。どんな大学に行けるかは得点で決まる。

一つの点数ですべてを決めるのは合理的ではないけれど。実際に中国は昔から「試験大国」であり続ける。「高考」は科挙制度の延長線上にあると考えられる。科挙(かきょ)とは、中国で598年-1905年、即ち隋から清の時代まで、約1,300年間にわたって行われた官僚登用試験である。

科挙制度は、その創設と発展の両面において、中国史上重要な人材選抜制度として、中国の封建的君主制の発展を示し、支配者が中央集権を強化し、政治的結束を固めるための強力かつ効果的な手段であったといえるだろう。

科挙制度は、古代中国で試験により官吏を選抜する制度である。名声と利益を追求した結果、すべてのものは劣るが、読書だけは優れているという信念が生まれた。学問と科挙を経て、やがて出世し、名声を得ていくのである。

科挙制度は一定の効果を発揮したものの、中国社会の進歩を妨げ、芽生えた資本主義の発展を阻害し、中国の政治、経済、文化の後進性に直結したことは否めない。

科挙の試験内容が現実の社会と著しく乖離していたため、文人は書物の知識のみに関心を持ち、社会の現実や政治・経済の発展を軽視し、さらに封建的な思考や文化、根深い封建的思想の蔓延を促した。

封建時代末期の科挙試験制度は、「四書五経」の追求と模倣に執着し、試験の内容や形式の硬直化は、「勉強オタク」の増加を招き、その後の社会変革に深刻な支障をきたし、人々の心の覚醒を促すことは困難であった。

昔から逃げ場のない貧しい人々が、良い暮らしをするために科挙で好成績を収め、官吏になる夢を叶えるために勉学に励むことが唯一の道であった。試験で他人と差をつけよう、出世しようという考えは今も続いている。

現在の中国の「高考」制度や公務員選抜試験制度は、社会全体で人材を選ぶ科挙制度をある程度参考にしているらしい。

「高考」で良い結果を出し、いい大学に入るために、親はできるだけ子供に様々な塾に通わせ、有名大学に入ることはエリート階級になることと同じである。「高考」の成績優秀者は、科挙と同じように「状元」と呼ばれる。貧しい家庭の子どもたちが、受験でよい結果を出すことで、地元を離れ、貧困から脱出すること。

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勿論、受験でうまくいかず、貧しい生活を続けなければならない学生もたくさんいる。また、家庭の経済的な事情で授業料が払えない、学校を休学せざるを得ない子どもたちもたくさんいる。大学受験は人生の唯一の出口ではないはずだが、貧しい家庭の人にとっては人生の唯一の出口となる。

なぜ「高考」が人生の成否を左右すると言われるのか?中国社会では、職業的平等や価値観の多様性といった意識がまだ全然浸透していない。ある程度の科挙時代の意識はまだ残っていないではないか。

ある調査結果によると、将来の夢について、中国の子どもたちに人気の職業は、教師、医師、警察官、軍人などの伝統的なエリート職業が全体の半数以上を占め、また芸術、スポーツ、美容、技術・イノベーション職業を希望する割合が高く(合計33.3%)、時代の流れに呼応している。これは、長い間、単一の価値観、単一のイデオロギー教育が行われてきた結果である。

1990年代後半から、「高考」の欠点があるために、「高考」廃止論が折に触れて出てきたが、その声は大きくなかったし、世論の主流でもなかった。また、試験制度そのものに問題があるのではなく、試験のシラバスの内容に問題があるとの主張もある。

例えば近年人文・科学・芸術の内容は増え、数学の内容は減り、農村地域の子供たちがよい成績を得る余地はないのである。中国の教育資源は不均衡であり、農村地域の学校では、学生は単一の教科を教えられており、より多くの課外知識を得ることができない場合がある。

中国の大学進学率は現在90%近くに達していると言われる。80年代、大学進学率が20%であった。1999年以降、進学率は50%を超え、2011年、70%を超え、2018年、中国の大学受験者数は975万人、大学への入学者数は790万9,900人、大学進学率は81%以上。2019年、中国の大学受験者数は1,031万人、大学受験の入学者規模は920万人となる。

大学進学率がだんだん上がっているのに、受験生のプレッシャーは全然減っていない。やはり、誰もが名門大学に入りたいと願い、名門大学への競争は激しくなっている。「高考」は、一人の受験生が望むことだけではなく、家庭にも巻き込まれる。また、学校の先生の評価につながる。

科挙制度と同様、大学受験の結果が将来の地位を決めるという認識は、学生・親にとって大きな心理的プレッシャーとなる。「高考」制度の存在により、学生は受験勉強に専念することを余儀なくされている。

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入試制度そのものは最終的に総得点で決まるのだが、日常の中では、特定の科目では非常に優れた才能を持ちながら、一部の科目では得意ではない生徒がたくさんいて、入試の総得点を計算すると「不公平」な状況にあることがわかる。その結果、大学で学ぶことができず、自身の才能を開花させることができなくなる。

日中入試の相違

当方は長年、外国人留学生を対象とした進学教育機関に勤務しているので、日本の受験事情は多少知っている。留学生が日本の名門大学に入学できる確率は、中国の名門大学に入学できる可能性よりはるかに高い。在日中国人留学生は日本での大学受験に新鮮な感覚を覚える。

日本の大学入試は中国と全く異なり、大学ごとに独自の試験方式があり、留学生が大学のホームページを見て、オープンキャンパスに行って、大学の雰囲気を肌で感じてから選ぶ。自分に合うと思えば出願する。同時に複数の大学を受験できる。

日本では面接試験が重視されるが、中国では面接はなく、テストの点数ですべてが決まる。 自分の行きたい大学に行くのではなく、世間の目から見て上位の大学に入ろうとするのだ。

因みに、日本の大学入試で唯一理不尽だと思うのは、2つの大学に受験し、一つの大学には期限内に入学金を支払ったが、その後別の大学を選んだ場合、最初の大学に支払った入学金を返還してもらえないことだと言う留学生がいる。

自分に似合う大学を選ぶ。それは留学生にとって、日本大学受験の魅力だろう。中国の教育改革は、「高考」から始めなければならない。試験の点数は高くないが、特別な才能がある人、そして社会人は、良い教育を受け、再び仕事に就くチャンスを与えるべきである。

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(『黄文葦の日中楽話』2022年7月3日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)

image by: B.Zhou / Shutterstock.com

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在日中国人作家。日中の大学でマスコミを専攻し、両国のマスコミに従事。十数年間マスコミの現場を経験した後、2009年から留学生教育に携わる仕事に従事。2015年日本のある学校法人の理事に就任。現在、教育・社会・文化領域の課題を中心に、関連のコラムを執筆中。2000年の来日以降、中国語と日本語の言語で執筆すること及び両国の「真実」を相手国に伝えることを模索している。

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