時代劇や時代小説の中で主役になるような役職でも、今の日本ではもう完全になくなってしまったものはいろいろとありますよね。今回のメルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』では時代小説の名手として知られる作家の早見さんが、江戸時代ならではの「役目」や「食生活」の豆知識について紹介しています。
江戸時代ならではの役目と食
以前、筆者は鳥見役(とりみやく)を主人公とした時代小説シリーズを書きました。鳥見役とは、将軍が鷹狩りを行う鷹場において鷹の獲物となる鳥類の生息状況を把握し、鷹場の維持管理を担った役目です。この役目には裏の顔があり、将軍の鷹の餌である鳥が逃げ込んだ、という名目で大名屋敷に立ち入り、屋敷内の探索を行いました。隠密の一種であったのです。
とはいえ、天下泰平が続いた江戸時代、鳥見役が大名屋敷を探索する隠密活動は、まず行われませんでした。鳥見役がやって来ると、大名藩邸はいくらかの銭、金を包んで渡しました。鳥見役の方もこれに味をしめ、小遣い稼ぎに大名藩邸を訪れていたそうです。
筆者は鳥見役を腕利きの隠密にして描きました。鷹を使った武芸技を駆使する主人公は鷹場で起きる陰謀を粉砕すべく活躍します。「鳥見役京四郎裏御用シリーズ」(光文社文庫)です。よろしかったらご一読ください。
鳥見役の他にも今日では考えられない役目があります。
たとえば、日本橋の魚河岸に置かれた役所です。関東大震災で築地に移転するまで東京の魚河岸は日本橋にありました。魚河岸は幕府が営んではいませんでしたが、江戸城へ魚を納めることが義務付けられ、魚問屋にとっても名誉なことでした。とはいえ、納入価格は安く設定され、儲けは薄かったそうです。
江戸時代、高級魚とされていたのが鯛、鯉、鰹です。初鰹は真っ先に将軍に納められ、庶民の口にも入りましたが、高価な値がつけられました。歌舞伎役者、中村歌右衛門が一本三両で買ったという記録があります。
以前、このコラムで記しましたが一両は現在の貨幣価値にして十万円、従って鰹一本に三十万円も払ったことになります。歌右衛門は買った初鰹を大部屋の役者たちに振舞ったとか。
さすがは千両役者ですね。
また、魚河岸に常駐した幕府の役人は将軍や大奥に納める鯉を確保する役目を担っていました。その為、魚河岸に入荷した鯉が不足すると武家屋敷、料理屋、民家に立ち入り、池で泳ぐ鯉を無理やり捕っていったそうです。不確かですが、武家屋敷には鳥見役同様、探索目的で立ち入った可能性もあります。
江戸時代ならではの役職ですね。
江戸時代の魚事情について記します。
ご存じの読者も多いでしょうが、江戸時代、鮪、特にトロは捨てられていました。鮪という魚自体が下魚とされていたのです。今日から見ると、トロを捨てるとは勿体ないですね。古典落語の、「三方一両損」では、鰯の塩焼きを肴に酒を飲んでいる男を、あんなぎとぎとした脂っこいもので酒を飲むなんて江戸っ子じゃねえ、と蔑む男が登場します。江戸っ子から見れば鮪のトロなんぞは脂っこくて口にできなかったのでしょう。
同じく古典落語の、「目黒のさんま」では目黒の農家で生まれて初めてさんまの塩焼きを食べた殿さま、その美味さに仰天、藩邸でも食べたいと言いますが、さんまなどという下魚が殿さまの食膳に供されることはありません。それでもたっての願いで、出されたさんまは脂が抜かれたごくあっさりとしたものでした。江戸っ子に限らず、武士の間でも脂っこい食べ物は嫌われていたのかもしれません。
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