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ChatGPTに奪われやすい仕事を考えて見えてきた「知識労働者」の定義

ChatGPTを始めとするGenerative AI(生成AI)の話題を毎日のように目にします。その中で、これまで安泰と思われていた仕事もAIに奪われる日が来るのではないかというのが、関心事の一つです。今回のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』では、文筆家の倉下忠憲さんが、「知識労働」と考えられているホワイトワーカーの仕事にどう影響するかを考察。奪われやすい仕事は「知識労働」のように見えて実は「技能労働」であり、AIでもすぐには代われない「知識労働」とはどんなものか、定義を提示しています。

AIと知識労働者

昨今、AIが盛り上がっています。特にGenerative AI(生成AI)と呼ばれるAIが爆発的な能力向上を見せ、「まあまあ使える」どこではなくすでに十分実用に耐えうる機能を提供してくれています。

この原稿を書いている段階では「GPT-4」というモデルがカレントですが、この数字が「4」で留まることはまず考えられないでしょう。Windows OSのように着実にバージョンを上げ、より「使える」AIに変化していくはずです。

さて、上記のようなGenerative AIは画像や文章を出力できます。何かしらの指示をこちら(人間)が与えたら、その結果を無機質なコンソール表示ではなく、人間がわかる画像や文章の形で生成できるのです。つまり、そこには「成果物」(アウトプット)があります。それも人間が作ったのと見まがうような、あるいは一見すると人間以上のクオリティーを持ったアウトプットが機械によって生み出されるのです。

こうした状況にあって、「AIに奪われる仕事」という話題が出てくるのは当然の成り行きなのかもしれません。これまで「人間の領分」と思われていた領域が侵されているのだからそう思うのはやむを得ないでしょう。そうした仕事の一部に「知識労働者」が挙げられるのも、ごもっともな話ではあります。

しかし、生成AIが出てきたからそれであっという間に知識労働者の仕事が駆逐されてしまう、と考えるのは早計ではないでしょうか。むしろ私はこう考えます。現状の生成AIによって奪われてしまうのならば、その仕事はもともと「知識労働」ではなかったのだ、と。

■仕事の現場にAIが

Generative AIの一般的な普及においては、LINEのチャットボットで使えるツールなどが貢献するでしょうが、日本企業の仕事における普及ではまず間違いなくMicrosoft社のOfficeシリーズへの導入が大きなエンジンになるはずです。
ワードやエクセルと「GPT-4」が合体 「Microsoft 365 Copilot」発表 日本のDXも爆速化? – ITmedia NEWS

どれだけデジタル・ノートツールが人気であっても、仕事でMicrosoft Wordを使っている人の数には勝てないでしょう。しかも、用途における切実性もまったく違っています。前者はあくまで趣味的な用途の場合がありますが、後者はリアルな「仕事」において使われるのです。意欲的にその使い方を覚えようとする人の数は相当多いに違いありませんし、来年にはそうしたAI機能の使い方を解説する書籍が大量に発売されているはずです。

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では、たとえばMicrosoft WordとGPT-4が接続したら、「仕事」の有り様はどう変わるでしょうか。

ここで「疑念派」の考え方を検討しておきましょう。たとえば学校の課題や小論文執筆にGPT-4を使うのはけしからん、という視点があります。まあ、言いたいことがわからないわけではありません。ちゃんと自分でやってこその「宿題」なわけです。

では、GPT-4を禁止した世界では学生たちは皆ゼロからそうした成果物を作成しているのでしょうか。かなり怪しいと思います。結局ググったり、他人の手を借りたり(ときには行きすぎた手助けのこともあるでしょう)と、なんとか「やり遂げる」手段を駆使して達成していることでしょう。

同じことは「仕事」についても言えます。上司に企画書を提出しようとするとき、ゼロからスタートする人はほとんどいないと思います。つまり、その分野の入門書を読むことから始めて数年かけてその分野の専門書や論文を読破した後で企画書を作成する、なんてことはほぼないでしょう。

まず企画書の書き方・テンプレートをよくあるサイトから探してきて、時流に乗ったよく似た企画を探し、それに「アレンジ」を加えて企画書を仕上げる。そういう「仕事のやり方」が多いのではないでしょうか。なんなら去年の企画案をベースにして、そこに最新データを加えて少し違ったものにする、ということすらあるかもしれません。なんにせよ、ゼロからの作成なんてほとんどしていないわけです。

これは企画書だけでなく報告書でも反省文でも、なんなら分析でも同じです。だいたいの仕事は繰り返しやパターンで構築されており、そこでは外部の(つまり自前の脳以外の)情報が大量に使われています。というか、それがなければ仕事は成立しない、とすら言えるでしょう。

■人間ひとりが抱え込める限界

さて、仮に「既存の情報をベースに少しアレンジしたものを作成する」という仕事が、Generative AIによってほぼ代替されてしまうとしたら、知識労働者の仕事は完全になくなってしまうのでしょうか。

たとえば、先ほどの例では上司に企画書を提出しようとしていたわけですが、そもそも上司がGenerative AIを使って企画案をまとめればその部下は不要になる、という「効率化」は考えられます。そのような効率化をどんどん進めるとどうなるかというと、あらゆることをその「上司」が自分でやらなければいけない、という世界です。

これはカル・ニューポートが『超没入』で指摘している問題ですが、デジタル化によってほとんどのことを個人ができるようになってしまったので、事務職員などを削減することができたが、その代わりあらゆることを自分ひとりでやらなければならなくなってしまった悲惨な状態をさらに先鋭化させた状態だと言えます。

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こうした状態をまっとうな判断で回避するならば、Generative AIを使って仕事をする人と、その仕事の管理の仕事する人の職は維持されるでしょう。つまり、「仕事」はなくならないわけです。そして、Generative AIを使って仕事をしている人は、情報の参照先をGoogle検索や過去の他の人の仕事、あるいは世間の時流チェックなどからGenerative AIに変えるだけです。

でもって、Generative AIは概ねそうした情報、つまり過去に誰かが生成した情報をベースに構築されているのですから状況はほとんど何も変わっていないと言えます。あとは、最近の時流に合わせてアレンジ、みたいな部分を自分の手でやればOKでしょう。

この場合、仕事者に必要スキルとはGenerative AIをいかに使うかであり、その生成データを判断し必要に応じてアレンジするセンスだと言えそうです。

■情報的技能労働者

上記はハッピーな(≒楽観的な)イメージですが、もちろんそんなに単純に何もかもがうまくいくとは限りません。問題は、Generative AIが自動的にやってくれるような作業の手間が「仕事」だと思われていて、そこに報酬が発生してた場合です。

ある人が、必死にExcelのシートAからシートBにデータを転記し、ただそれをプリントアウトした「報告書」を上司に提出することを「仕事」にしていたとしたら、たしかにその人はGenerative AIの登場によって完全に仕事が奪われてしまうかもしれません。

でも、結局のところその仕事は、情報やデータに関する仕事をしていたとしても、「知識労働者」ではなかったのです。たしかにExcelの操作には知識が必要です。データをコピペする操作もOSの知識が必要です。だからといって、それをしていたら「知識労働者」と言えるかといえばノーでしょう。なにせトラックを運転するのだって、操作の知識は必要なわけですが、トラック運転手を知識労働者とは呼ばないでしょう。むしろそれは技能労働者と呼ぶべき存在です。

だとすれば、次のような構図の整理ができます。まず仕事のスタイルとして、ホワイトワーカーとブルーワーカーという二項が立ちます。ホワイトワーカーはオフィスの机の前で仕事をするような人で、ブルーワーカーは現場や工場で働く人です。雑なまとめだと、前者は頭を使って仕事をする人で、後者は体を使って仕事をする人になるわけですが、その捉え方にはズレがあります。上記のようにパソコンを使っていたとしても頭ではなく主に体で仕事をしている人もいるからです。

つまり、実際の仕事においては「ホワイトワーカーではあるが、知識労働者ではない人」がいるのです。もう少し精緻に言うと、ホワイトワーカーにおいては仕事における知識労働の割合に違いがある、となります。そしてその割合が低いほど“Generative AIに仕事を奪われる”度合いが大きいと推測できます。

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■知識労働者とは

かつて梅棹忠夫は「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ」と説きました。情報を扱うことではなく、頭をはたらかせ、あたらしいことがらを、他の人にわかる形でまとめあげるのが知的生産なのです。

昨今のGenerative AIは「ひとにわかるかたちで提出すること」に関して爆発的な能力向上を見せてくれました。単純に喜ばしいことです。とは言え、そのことは前二者も満たしている証左にはなりません。むしろこの点はまだまだできていないと言えるでしょう(これについては別の回で検討しましょう)。

知識労働とは、まさしく「頭をはたらかせ、あたらしいことがらを、他の人にわかる形でまとめあげる」ような仕事です。知識があることが前提ですが、それだけで成立するわけではありません。その知識が使えることが必要ですし、もっと言えば、そうした知識を用いて新しい知識を生成することが肝要なのです。

知識労働者にとって、知識は自分が使うリソースでありながら自分が従事する存在でもあります。知識を仕事にする、知識で仕事をする、知識に仕事をする。これらの複合が「知識労働」であると考えれば、現状のGenerative AIが知識労働を奪ってしまう心配はありません。むしろそうした「知識労働」を進めていくための強力なサポートになってくれるでしょう。

その意味で、今後は次のような状況がはっきりと露呈してくるでしょう。つまり、日本企業は「知識労働」をどれだけしていたのか、と。その事実がいやおうなしに突きつけられるようになると思います。
(メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2023年3月27日号より一部抜粋)

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image by: Shutterstock.com

倉下忠憲この著者の記事一覧

1980年生まれ。関西在住。ブロガー&文筆業。コンビニアドバイザー。2010年8月『Evernote「超」仕事術』執筆。2011年2月『Evernote「超」知的生産術』執筆。2011年5月『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』執筆。2011年9月『クラウド時代のハイブリッド手帳術』執筆。2012年3月『シゴタノ!手帳術』執筆。2012年6月『Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術』執筆。2013年3月『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』執筆。2013年12月『KDPではじめる セルフパブリッシング』執筆。2014年4月『BizArts』執筆。2014年5月『アリスの物語』執筆。2016年2月『ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由』執筆。

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【著者】 倉下忠憲 【月額】 ¥733/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎週 月曜日 発行予定

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