韓国の死刑囚と死刑制度について、日本に住む私達はあまり知ることがありません。異常なほどに危険な死刑囚たちを分析した結果見えてきたことを、韓国の無料メルマガ『キムチパワー』で、韓国在住歴30年を超え教育関連の仕事に従事する日本人著者が語っています。
猛獣より危険。韓国の「死刑囚」と「死刑制度」
韓韓国日報に死刑制度に関するレポートが出ていた。以下、翻訳してご紹介したい。
26年間死刑が執行されず、韓国は実質的死刑廃止国家に分類されている。しかし、死刑囚59人は依然として収監されている。憲法裁判所は死刑制に対して二度合憲決定を下した後、早ければ今年三度目の判断を出す予定だ。韓国日報は憲法裁の決定を控え、死刑制をめぐる二者択一の消耗的攻防を避け、より良い道が何かを模索している。
生存死刑囚59人に名を連ねたチョン・サンジン(45、殺害当時30歳)の学生時代は、日々地獄のようだった。経済的に豊かでない家庭に生まれた彼は、家族の愛を受けられなかった。学校では小中高の間ずっと「いじめ」に遭い、教師に殴られたのも一度や二度ではなかった。中学生時代には2度も極端な選択を試みたこともある。
苦労して生きてみようともした。高校を終えて一般板金技能士資格証を取得し、製造業の会社に入社した。IMF事態(1998年ごろ)で職を失った後は、食堂の従業員として働いた。しかし、彼は苦しい人生を簡単に受け入れることができなかった。成人になっても極端な選択を数回試みるほど生に対する意志はますます消えていった。
チョン・サンジンは極端なやり方で怒りをあらわにした。08年10月20日午前8時だった。「もう行き止まりだ。人々を殺し人質に取って警察に撃たれて死のう」という思いで、居住していた考試院(コーシウォン=机と寝る布団だけある狭い部屋だけで構成された一つのビル)に火をつけた。燃え上がる火のように彼の怒りは抑えきれないほど大きくなっていた。慌てて飛び出してきた隣人5人を凶器で刺して殺害した。1人は避難中に墜落死し、6人は大けがをした。チョン・サンジンは現場で逮捕された。裁判所は彼に死刑を宣告し、このように述べた。「両親や兄弟から放置され、学校や社会生活でも温かい世話を受けられなかったのは事実だが、犯罪に対する報復と責任の程度を見ると死刑に処するほかはない」
恵まれない成長環境が犯罪の端緒になったのはチョン・サンジンだけではなかった。韓国日報は今年3月基準で死刑が執行されていない生存死刑囚59人の判決文150件余りなどを集中的に分析した。
判決文の中の死刑囚のうち少なくとも26人は学生時代に不幸だった。裁判所は彼らの家庭内不和をいちいち判決文に残した。「欠損家庭で育ち、青少年時代から犯罪に染まった」(チョン・グンホ)、「父親が母親を激しく殴打する習癖を目撃した」(ノ・ギョンラク)など不安だった自我形成過程が死刑囚の人生に否定的な影響を及ぼした。家族の愛を受けられないまま青少年時代から前科を積んだ死刑囚も少なくなかった。
死刑囚たちは貧困の経験者でもあった。32人(大学生を含む)が殺害当時無職で、職場があっても日雇い労働者や食堂従業員など概して低所得の職種だった。絶対的または相対的に不足していた「お金」は殺人の理由になった。
死刑宣告犯罪40件は殺人前後の金品関連犯罪と関連があった。他人または世の中に対する報復殺人(33件)や性欲(18件)より多かった。金品が殺人の主な理由となった事件も30件に達した。このうち19件は強盗殺人であり、11件は保険詐欺と誘拐などを通じた金品恐喝だった。死刑を長い間研究してきた白石(ペクソク)大学警察学部の金相均(キム・サンギュン)教授は、「犯罪を社会経済的要因と離して考えることはできない」と話す。
裁判所は加害者の色々な事情に言及しながらも「死刑を下すことが避けられない」と釘を刺した。「経済的困難を打開しようとした」という主張には「通常の勤労努力も見せないまま簡単に金品を強要しようとして極めて卑劣だ」と判断した。「若干のお金を得るために人間関係の信頼と愛がいくらでも犠牲になりうるという極めて物質中心的思考に傾倒している」と叱責したりもした。性暴行殺人には「性的欲求を充足しようとする一念で極めて反社会的」と叱り、報復殺人は「健全な一般人常識では到底納得できない」と話した。
裁判所は犯罪の重大性と残酷性に特に注目した。偶発的な殺人は1件もなく、死刑囚59人によって命を失った被害者は209人に達した。10人以上を殺人した「連続殺人犯」カン・ホスンとユ・ヨンチョル、放火で15人を殺したウォン・オンシクを除いても、死刑囚1人が平均3人を殺したわけだ。
殺害者が2人以下でも、犯行がひどいのは同じだった。チャン・ジェジン(33)は2014年5月、ガールフレンドの両親を殺害した後、ガールフレンドに遺体を見せた。ソン・テス(63)は1995年4月、喫茶店などに人身売買するために13歳の女の子と11歳の男の子を拉致した後、男の子は殺害し、女の子は監禁後数回性的暴行を加えた。少なくとも21人の死刑囚は、他の犯罪を隠蔽するため、または自分の顔を見たという理由などで人を殺したりもした。
殺人が犯行のすべてでもなかった。少なくとも36人の死刑囚が殺人前後に暴行や強盗などの犯罪行為を行った。1997年、大邱(テグ)で4人を殺害した李スンス(47)は犯行前に260万ウォンを横取りし、2歳の赤ん坊を殺そうとした。00年に3人を殺害したペク・ギムン(56)は、殺害前後に金品を奪い、40代の女性を強制わいせつして暴行し、全治2週間の傷害を負わせた。
死刑囚の大半は反省しなかった。供託など遺族と合意を試みた死刑囚は2人だけだった。少なくとも40人の死刑囚は検挙を避け、犯行を隠蔽しようとした。遺体を野山などに遺棄し、一部は暗葬(人知れないところに埋める)した。
1999年1月、江陵で新婚夫婦を殺害したチョン・ヒョング(60)は、およそ6か月間逃走劇を繰り広げた。一部死刑囚は「不運のため検挙された」と被害者のせいにした。07年、女性4人を性的暴行しようとして殺害したオ・ジョングン(85)は、「被害者たちはきちんと服を着ていなかった」と話した。
犯罪が繰り返されるのも共通点だ。殺害当時、前科があった死刑囚は42人に達し、このうち34人は禁錮以上の刑を受けた。異母兄嫁と母親を殺害したカン・ジョンガプ(71)と経済的・社会的支援をしてくれた大学教授を殺したチョン・ヨンスル(68)は殺人罪で無期懲役まで宣告され仮釈放または減刑され早期出所した前歴があった。
出所日または他の犯罪による確定判決日から犯行までかかった期間が1年以下の死刑囚も少なくとも16人に上った。裁判所が「教化の可能性はない」として死刑を宣告した理由だった。死刑囚33人に直接会った刑事・法務政策研究院のキム・デグン研究室長は「一部を除いては恵まれない家庭環境が殺人に向かわせる意味で非常に大きな比重を占めた」としながらも「だからといって犯行動機を環境のせいにするのはとても無責任で危険な判断」と説明した。
死刑を宣告した裁判所は共通して「悪質な凶悪犯を社会から永久に隔離させなければならない」と明らかにした。死刑だけが犯罪に相応する処罰であり、犯罪予防的効果もあると見た。特にチョン・ヨンスルに死刑を宣告した裁判所は「被告人は極めて反文明的行動を30年の歳月を越えて繰り返し猛獣よりも危険だ」とし「歳月の忘却作用で亡くなった者・傷ついた者・遺族の痛みが忘れられたまま減刑と仮釈放を通じて被告人を世の中に出させる愚かさを繰り返してはならない」と明らかにした。
ただ、死刑かどうかを分けた裁判所の悩みは、悪質な凶悪犯を隔離することだけにとどまらなかった。「黄金万能主義と人命軽視風潮に警鐘を鳴らさなければならない」という一節が判決文の随所で登場するのがこれを傍証する。
死刑宣告を下したことのある元判事は「悪性があまりにも激しく、事件自体が社会に及ぼした波及力があまりにも強いため死刑を下すしかなかった」と話した。人間が人間の命を裁断していいのかという根本問題が敷かれているため死刑制度の議論はどこまでいっても難しい。(韓国日報ベース)
(無料メルマガ『キムチパワー』2023年6月6日号)
image by: Shutterstock.com