日本は古代では天皇が変わるたびに遷都が行われました。神武天皇から始まり現代まで、多くの遷都を繰り返した理由はなんだったのでしょうか。作家でユーチューバーの顔も持つ、ねずさんこと小名木善行さんはメルマガ『ねずさんのひとりごとメールマガジン』の中で、 その理由は現代にも何が必要なのか置き換えることができるとしています。
古代に繰り返された遷都の理由
我が国の古代において、新しく天皇が御即位されるたび、都が遷都されたことは、ご存知の方が多いと思います。
都は、奈良・平安期に至ってようやく一箇所に定着し、いまは京都から東京へと奠都(てんと)されて、日本の都は東京と、京都の二箇所になっています。
古代における都の奠都は、ざっと主だったものを上げると、次のようになります。
AD660年 神武天皇 畝傍橿原宮 奈良県橿原市
AD581年 綏靖天皇 泊瀬朝倉宮 奈良県桜井市
390年 応神天皇 軽島豊明宮 奈良県橿原市大軽町
430年 仁徳天皇 難波高津宮 大阪府大阪市
456年 雄略天皇 泊瀬朝倉宮 奈良県桜井市
480年 清寧天皇 磐余甕栗宮 奈良県桜井市
485年 顕宗天皇 近飛鳥八釣宮 奈良県明日香村
488年 仁賢天皇 石上広高宮 奈良県天理市
498年 武烈天皇 初瀬列城宮 奈良県桜井市
507年 継体天皇 樟葉宮 大阪府枚方市
511年 同右 筒城宮 京都市京田辺市
518年 同右 弟国宮 京都府長岡京市
526年 同右 磐余玉穂宮 奈良県桜井市
532年 宣化天皇 勾金橋宮 奈良県橿原市
535年 同右 檜隈廬入野宮 奈良県桜井市
540年 欽明天皇 磯城島金刺宮 奈良県明日香村(諸説あり)
572年 達天皇 百済大井宮 大阪府河内長野市(諸説あり)
575年 同右 訳語田幸玉宮 奈良県桜井市
585年 用明天皇 磐余池辺雙槻宮 奈良県桜井市(諸説あり)
587年 崇峻天皇 倉梯柴垣宮 同上
593年 推古天皇 豊浦宮 奈良県明日香村
630年 舒明天皇 飛鳥岡本宮 奈良県明日香村
636年 同右 田中宮 奈良県橿原市
640年 同右 百済宮 奈良県広陵町(諸説あり)
642年 皇極天皇 小墾田宮 奈良県明日香村
643年 同右 飛鳥板蓋宮 奈良県明日香村
645年 孝徳天皇 難波宮 大阪府大阪市
655年 斉明天皇 飛鳥河原宮 奈良県明日香村
656年 同右 後飛鳥岡本宮 奈良県明日香村
661年 同右 朝倉橘広庭宮 福岡県朝倉市(諸説あり)
667年 天智天皇 近江宮 滋賀県大津市
672年 天武天皇 飛鳥浄御原宮 奈良県明日香村
694年 文武天皇 藤原京 奈良県橿原市
710年 元明天皇 平城京 奈良県奈良市
740年 聖武天皇 恭仁京 京都府木津川市
743年 同右 紫香楽宮 滋賀県甲賀市
744年 同右 難波京 大阪府大阪市
784年 桓武天皇 長岡京 京都府長岡京市
794年 同右 平安京 京都府京都市
1180年 安徳天皇 福原京 兵庫県神戸市
1180年 安徳天皇 平安京 京都府京都市
1868年 明治天皇 東京府(奠都) 東京都
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なんともまあ、都があちこちに移転したものですが、こうして都が移転するたび、山や林を切り開いて、そこに道が造られ、建物が建てられるのです。
これを、古代の暴君が、民衆を強制的に使役して労苦を与えたと解釈しているセンセイもおいでになるようですが、その間違いは、少し考えたらわかります。
天皇が即位されると、牢屋に入っている囚人たちが、罪を一等減じられます。ということは、天皇の御即位のよろこびというのは、囚人たちだけが得たものなのでしょうか?
このように考えたら答えは明白です。一般の人々には、都造営という公共工事を通じて、その対価が支払われ、その分、国内に流通するお米の量が増えて、国内の景気が良くなり、人々の暮らしが豊かなものになったのです。
そもそも古代から、今年できたお米は、すべて国が管理していました。新米と古米は、半分を国が、残りの半分を村々が管理していたのです。そして国内で流通するお米は、古々米が市場に流通していました。
そこに遷都が行われます。すると、造営のための労働に、対価として備蓄米が支払われます(これは希望によっては、絹1反や、綿3反が支払われました)。つまり、遷都によって備蓄米が放出されることで、国内の米の流通量が増大したわけです。そしてこのことによって、人々は、好きなものを買い、国内の景気が活性化されるという効果を生んでいたのです。
ところがその工事の規模がだんだんに大きくなり、藤原京あたりになると、大和三山を全部取り囲むほどにまで、都の規模が大きくなります。こうなると、また都を移転するということが、だんだんに負担が重くなり、またその一方で、古代大和朝廷の版図が、日本全域に広がることで、公共工事を行う地域が全国に広がり、このことが、山科の京の都以降、京都そのものは移転せず、高野山や比叡山に代表される全国の大規模寺社の造営や、橋梁工事などに予算が使われるようになっていったのです。
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実はこうした歴史を学ぶことは、そのまま現代に何が必要なのかを考える手がかりになります。
現代日本では、通貨は国が発行します。その国が、公共事業を実施することで、国内の通貨量が増大します。つまり、景気が活性化します。
世界の国々が、この30年、経済成長を続けているのは、それぞれの国が国内で流通する通貨の総量を増やしていることによります。ところが日本は、この30年間、横ばいです。当然、日本の経済は、横ばいのままです。
日本が発行する通貨の量そのものは増えているのです。にもかかわらず国内で流通する通貨量が横ばいなのは、日本円が海外に逃げていることを意味します。
国内でいくら通貨を発行しても、その通貨が外国に逃げていれば、国内の景気は良くなりません。加えて国自体が、公共事業はよくないからと、公共事業そのものを民営化する等で行わなくなれば、国内で流通する通貨の総量は増えません。
つまり、日本経済は回復しません。
歴史を学ぶことは、現代を診る視点を与えてくれることになるのです。
日本をかっこよく!
ではまた来週。
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