厚生年金基金というもの、昔はあったなあ…と思い出す人もいるのではないでしょうか。1200万人ほど加入者がいたのですが、なぜほとんどが崩壊してしまったのか。人気メルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座』の著者で年金アドバイザーのhirokiさんは、その理由を詳しく語っています。
厚生年金保険料に経済界は不満タラタラだったから経済界が勝ち取った厚生年金基金制度と必然だった崩壊
1.平成9年ごろまでは大人気だった厚生年金基金の崩壊と仕組み
厚生年金に加入する時に、ひと昔前まではあって当たり前のような厚生年金基金というものがありました。会社に就職しようか選ぶ時は厚生年金基金があるかどうかも重要視されるほどでした。
平成9年頃に厚生年金基金というのは1,800基金ほどあって、加入者数は1,200万人ほどいました。
厚生年金に加入していた人(大体3,500万人から4,000万人)は、多くの人が厚生年金基金にも加入していたような時代だったんですね。
しかし今は、厚生年金基金というのはほぼ無いです。5基金残っていて、加入者は12万人程ですね。
ほとんどは解散したか他の企業年金に移行していきました。
厚生年金基金として将来は国が払うはずの報酬比例部分と一緒に支払うつもりが、その基金年金を国に返していく代行返上というのを行う企業も多くありました。
厚生年金基金は将来は本来は国が支払うはずの老齢厚生年金(報酬比例部分)を基金年金と一緒に支払う事でより給付の高い年金を支給する代わりに、厚生年金保険料保険料の一部を国に支払うのを免除してもらって、その一部の保険料を基金で使う事ができます。
昭和41年10月創設時は基金の運用は年利5.5%でやっていこうというものでした。
まあ当時は高度経済成長期だったからそんな強気でいられましたが、将来もそんな事が可能だと踏んだというのが信じられないですね。
代行返上というのは、その基金を始めてから運用してましたけどタチ行かなくなってきたので、基金と一緒に支払うはずだった報酬比例部分を国にお返ししますという事です。
よって、現在は厚生年金基金に新規で加入するという人はほぼいません。
ですが、昭和から平成にかけては厚生年金基金が盛んだったので基金の加入記録を持ってた人は現在の受給者の中には多く存在し、現在も基金から年金を受けているという人は普通にいます。
基金はほとんど消滅しましたが、その年金の原資は企業年金連合会というところが事務を引き継いで、加入期間分は現在も給付を行っています。代行返上してるところはもう国が報酬比例部分を支払っています。
なので基金受給者の人は多くが企業年金連合会から給付されてたりします。ちなみに企業年金連合会というのは中途で脱退したような人の基金年金の支払いをやっています。
たとえば加入していた基金にもよりますが10年未満とか15年未満で退職したとかだと、企業年金連合会からの給付になります。
本来は会社の基金が支給するものですが、短期間で退職したような人の分の後釜として企業年金連合会があったわけです。
例えばA基金で10年未満、B基金でも10年未満なら企業年金連合会がぞれぞれの分を支払います。
なお、厚生年金基金を新規で立ち上げる事は平成26年4月1日以降は禁止されました。よって厚生年金基金は縮小するばかりです。
この記事の著者・hirokiさんのメルマガ
さて、その厚生年金の上乗せとして手厚い給付を行っていたという厚生年金基金の仕組みとは一体どんなものだったのでしょうか。ちょっと振り返ってみましょう。
会社で厚生年金に加入する時は、厚生年金保険料18.3%(平成29年9月で上限)を支払います。
そして将来は老齢厚生年金100万円として給付を受けるとします。
しかし、厚生年金基金に加入してた人はどうか。
普通に厚生年金加入するより有利な年金が受けれますよね。
じゃあ18.3%よりも多く保険料を支払うのか?というと、そういうわけではないです。
18.3%まるまる国に納めていたものを、基金の保険料といって2.4%から5.0%の間で会社が任意で基金保険料を決めます。
2.4%~5.0%までを免除保険料といいます。
たとえば基金の免除保険料を5.0%とすると、すべて国に納めていた18.3%の保険料の中の5.0%を基金に回す。
だから国には13.3%支払って、残り5.0%は自分たちの基金で運用しようとするのです。
本来は18.3%すべてを国に納めて、将来は老齢厚生年金として受給するけど、18.3%の一部の5.0%を基金に渡してますよね。
つまり、老齢厚生年金として支給する年金の一部を、民間の会社の基金に渡してるわけです。
それは何を意味するのかといえば、本当は国が老齢厚生年金を全部給付するのが当然なんですが、一部の保険料を基金に与えてるから、将来はその報酬比例部分の一部(代行部分という)は基金から支給してあげてねって事です。
例えば本来は報酬比例の年金100万円はすべて国が老齢厚生年金として支払うのに、国が60万円で基金からは40万円払うような面倒な事をやってるような事ですね。
こうする事でどうなるかというと、本来は18.3%も国に支払わないといけないけど、国に支払う5.0%免除してもらって、その代わりにその5.0%はうちらの会社で退職金と自由に運用に回させていただきますよと。
年利5.5%の運用をするから普通に報酬比例部分を貰うよりも手厚い年金が貰えますよと。
この記事の著者・hirokiさんのメルマガ
2.厚生年金基金は従業員の将来のために設立されたというウソ
よく厚生年金基金があった理由として言われるのが、会社側が社員に手厚い年金を支払いたかったからと言われます。それは自分の利益のためなのに、人のためのように言うまさに御為倒しってやつです。
厚生年金基金がどうして設立(昭和41年10月)されたかというと、経営者側が厚生年金保険料だけでなく民間で独自にやる退職金の掛け金も支払うのが嫌だったから。
会社は半分の厚生年金保険料を負担してますよね。
更に会社では退職金もやってたりします。その退職金の掛け金も従業員のために運用に回さなければならない。
これは会社にとっては二重の負担であり、老齢厚生年金と同じ事してるじゃないか!!老後保障は退職金でいいだろ!って経営者団体(日経連)が怒ったわけです。
会社は退職金支払うんだから、老齢厚生年金と役割が被ってるから保険料の二重払いだと指摘してきました。
これはもう厚生年金が始まった戦前の時から文句言われてた事ですが、昭和29年に厚生年金を大改正して再建した時に日経連の不満が噴出しました。
国としては厚生年金を再建して、更に給付を高めるために厚生年金保険料率を上げようとしたんですが、そうなると会社の負担が退職金と厚生年金保険料で負担が重くなるじゃないか!と反発が強くて、この大改正時は厚生年金保険料率を引き上げる事が出来ませんでした。
戦後のハイパーインフレの為、昭和23年以降は厚生年金保険料率を9%から3%まで大幅に引き下げていました(戦後の労働者の負担能力への配慮と、積立金を増やしてもインフレで価値が下がるだけなので、まだ受給者が居ない老齢年金を凍結しつつ暫定的に保険料を引き下げていました)。
大改正時にこの暫定的に低すぎる保険料率を通常の10%くらいに戻そうとした時に反発されて、結局低すぎる3%のまま昭和40年まで続く事になります。
しかしながら、そんな低い保険料率じゃ将来の給付が貧相なものになってしまうので、昭和29年改正時に「保険料率は、保険給付に要する費用の予想額並びに予定運用収入と国庫負担の額に照らし、将来に渡って財政の均衡を保つ者でなければならず少なくとも5年毎に再計算されるべきものである」と法律の中に規定が置かれる事になりました。
すぐに正常な保険料率に引き上げますって言うと反発されて先に進まないので、仕方ないから法律で少なくとも5年毎には再計算しますって法律に明記したわけです。
5年毎に年金を見直すというような規定が置かれたのはこの昭和29年時であり、その規定が今の5年毎の財政検証(年金の健康診断)に繋がっています。
まあ、当時は5年後には何%上げるって明確な数字を言ったら日経連から文句言われるから、こんなふうに法律でちょっと言葉を濁す形を作ったわけですね。でもこれが今も続く、5年毎の年金の点検の考えに繋がる事にはなりました。
その後、昭和40年になると厚生年金は給付を大幅に上げる事になり、保険料率が3%から5.5%へと引き上がる事になりました。
そうすると、そんな大幅な負担できるか!って日経連がごねて、保険料を調整できるような仕組みを作らなければ改正は到底受け入れられないと姿勢を崩さなかったため昭和41年10月に厚生年金基金を設立する事に決まりました。
経済界はようやく念願の厚生年金保険料との調整ができる仕組みを勝ち取ったのです…が、後にこれが自分たちの首を絞める事になっていきます。
この記事の著者・hirokiさんのメルマガ
厚生年金基金は国に支払う保険料を一部免除する代わりに、国の年金より有利な年金を支給するなら基金やってかまわないよっていう妥協の産物。
ただし、基金は保険料を積み立ててその積み立てた保険料を、将来は運用収入と共に受け取るもの。
一方、公的年金は賦課方式(昭和48年から強く賦課方式に傾いていった)で現役世代の保険料をその時々の受給者に送る装置であります。
全く異色のもの同士が継ぎ足されてしまいました。
積立方式ですと皆さんお分かりのように景気が悪くなると積立金がマイナスになったりしますし、インフレになれば価値は下がります。
老後の年金の価値を保障できません。
積立金で1,000万円貰えますよーってなっても、物価が数十年後に10倍になったら積立金価値は10分の1になりますからね。
しかし賦課方式は年金の価値を維持する事が出来るので、貧困を防ぐ事が出来ます。物価や賃金の伸びにスライドするので、現役世代の生活水準に差を付けられるのを防ぎます。
年金の価値を維持しないと容易に貧困に陥る危険があったので、ほとんどの国は早い段階で賦課方式に移行していきました。
日本なんて高度経済成長でどんどん物価も賃金も伸びていったので、賦課方式に移行しないと積立じゃやっていけないのは明白でした。
前述したように、会社が国よりもっと良い給付をしたかったからというのは建前であり、退職金と厚生年金の保険料まで負担したくなかったから。
別に「従業員の年金を増やしたいから、基金を作らせてくれー!」という事ではないです。それはもう取って付けた理由ですね。
しかしながら、国が支給するものを単に基金から支給するだけでは意味が無いですよね。
もちろん基金からは単に厚生年金から支給する年金以上のものを給付しないといけない。
そのためには会社が基金に更に別枠で保険料を負担し、基金が独自で運用するんですね。
運用目標は前述したように毎年の運用利回り5.5%を目指すというものでした。
それで本来の老齢厚生年金以上の給付を行おうとする。
ところが平成になってバブルが崩壊したら、そんな高い利回りなんか目指せなくなるわけです。
だんだん、「そんな運用できるかー!」ってなってくるわけです^^;
経済界が自分たちが、厚生年金保険料との調整のために基金作らせろ!って言ってしょうがないから基金の創設を勝ち取ったのに、そのせいで経済界は将来苦しむ事になっていきました。
そもそも、未来は不確実性の中なのに5.5%という高利回りがいつまでも続くと思っていたというのが信じられないですね。
この記事の著者・hirokiさんのメルマガ
丁度、平成10年頃から金融不況で不景気が更に加速したんですが、その時からもう基金で運用してる代行部分は国に返したいっていう基金が増えてきました(もう厚生年金基金辞めたいですって辞表出すようなものですね)。もう基金持っとくのは会社のお荷物だから返しますって。
これを代行返上といいます。
ほんと身勝手ですよね(笑)。
その後、長い不況が続きましたよね。
あまりにも運用が悪化していくと、「代行部分+基金が独自に上乗せで支給する年金」どころか、代行部分の財源すら消し飛んでしまってきたわけです^^;
たとえば、本来は国が100万円の老齢厚生年金支払うのを、基金に代行部分30万円やってしまうと、国が支払う分は70万円になります。
まあ、基金に30万円譲らなければ100万円は国が全部支払ってたわけです。
30万円譲ったから、国は70万円支払いになった。
ところが運用が悪くてマイナス続きだと、基金が30万円以上の年金を給付するどころか、10万円しか給付できないくらいの運用だったとしますよね。
基金に譲るより、国が全部支給したほうが断然良かったわけです。
基金が国が支払う代行部分の年金も確保できなくなってしまったのを「代行割れ」といいます。
平成24年にAIJ投資顧問会社社長が、本当は基金年金の財源など消し飛んでいたのに、大丈夫ですよ~とウソの報告書を提出していた事で逮捕されました。
それがキッカケで多くの基金が代行割れ(本来は国が払う分よりも下回る状態)してる事が判明して、平成26年4月1日以降は新規の基金設立はダメとなったわけです。
基金は事実上廃止となり、その退職金の原資はどこに行くかというと、他の退職金制度に移管したりしていったわけです。現代はまだ景気がいいわけじゃないから、会社としては将来約束した金額の退職金準備するのは大変だなあというところもありますよね。
厚生年金基金はもう解散したり、国にお返ししたりして事実上廃止してますが、基金加入期間分が企業年金連合会から支給されてる人は多くいます。支給されてるとすれば、年金と同じく偶数月の15日ではなく1日という場合が多いです。
基金から年金が支給されてる人は給付はどうなるのか1つ計算していきましょう―― (メルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座』2023年8月2日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
この記事の著者・hirokiさんのメルマガ
image by: Shutterstock.com