MAG2 NEWS MENU

小林よしのり氏「日本を救うのはサブカルだけ」宮崎駿監督が反戦平和を捨てた『君たちはどう生きるか』の深い意義とは

「日本の現状にはちっともいい材料が見当たらない。国際社会において、政治力では全く勝てない。そもそも国家としての軍事力の点で勝てないのだから、どうにもならない。今の日本が世界に向かって勝てるのは、サブカルだけだ」そう分析するのは、自身も人気漫画家の小林よしのり氏だ。『ゴジラ-1.0』と『シン・ゴジラ』の違い、そして宮崎駿の『君たちはどう生きるか』が持つ意義とは?小林氏がサブカル評を通して現在の日本の強みを読み解く。(メルマガ『小林よしのりライジング』より)

政治も軍事もガタガタ、2024年の日本は八方塞がり

2024年、とんでもない年明けになってしまったが、今年最初のライジングなので一応言っておこう。 明けましておめでとう。

とにかく正月から暗くなりがちだったが、わしはこの1年、とことん人を楽しませる、人の心を明るくする作品やイベントを創作していこうという意欲で、走り抜ける決意である!

前回は2023年を「ニヒリズム蔓延の年だった」と、あえてネガティブに総括した。 最後に少しだけ希望をほのめかしておいて、続く今回で一気に反転攻勢に出るものを書くつもりでいたら、いきなり出鼻をくじかれたような形になってしまったのだが、だからといって立ち止まってはいられない。

確かに、日本の現状にはちっともいい材料が見当たらない。 国際社会において、政治力では全く勝てない。 そもそも国家としての軍事力の点で勝てないのだから、どうにもならない。 「話し合い」による解決のためにこそ日本が力を発揮すべきだとか言ったって、現実には何もできない。 ロシアを見ても、中国を見ても、イスラエルを見てもわかるとおり、話し合うにもその背景には基本的に軍事力が要るのだ。

このままでは何が起こるかわかったものではない。 ウクライナ戦争の結果次第では、ロシアが北海道から上陸して侵略してくる可能性だって、もうないとは言えなくなってしまった。

そんな状況にあるというのに国内政治はガタガタで、遠心力だけが働いて、ひたすらバラバラになろうとしていくばかりである。

かといって、政治に求心力を働かせようとしたらどうなるかといえば、ロシアや北朝鮮や中国のような独裁国家になるか、安倍政権時代のような忖度社会になるかしかないということもわかった。 アメリカでも求心力を欲したら、またもトランプが出てくるという有様だ。 これでは、いくら政治に求心力が生まれても、国は全く豊かにならない。

今の日本が世界に勝てるのはサブカルだけだ!

そこで、どうすれば国の結束力を高めながら、権力の持つ拘束性や忖度といった負の部分をなくし、国家を強くすることができるのかということが課題となる。

これは、まだ世界のどこでも答えの出せていない課題である。

そして、ある意味でわしがやろうとしているのは、実験室レベルの小さなサイズではあるが、この課題への挑戦でもある。

わしが『ゴー宣DOJO』でやろうとしていることは、結束力を高めるけれども、ひとりひとりが強制されたり忖度したりすることなく行動して、そうして新しい世代の息吹を自由に開放してあげるという方法を作り出す実験である。

ひとつの集団性の実験を、ここで行っているのである。

そしてこれは、漫画家であるわしがやっているというところに意味があるのだ。

これは、『おぼっちゃまくん』の「茶魔語」の時に顕著だった、漫画の作品を通じて全国の読者が共同体的な感覚を持ち、さらに作品を盛り上げていくという手法の応用である。 この手法が『ゴー宣』にも持ち込まれ、さらに『ゴー宣道場』で発展していったのである。

つまりこれは、漫画家・小林よしのりというサブカル作家が始めた、サブカルから派生した作品の一種であり、だからこそ強いとも言えるのである!

今の日本が世界に向かって勝てるのは、サブカルだけだ。「サブカルしか勝たん!」という時代がやって来た。 他に希望はない!

ハリウッドで続々映画化されたアメコミのスーパーヒーローものは、一時期は凄かったが、最近では「何これ?」と思うようなヘンなものが多く、堕落していっているように見える。 もう出し尽くした感があり、新しい知恵があまりないのである。

アメリカ人をわからせた『ゴジラ-1.0』の快挙

そんな中で、日本の『ゴジラ-1.0』の成功は痛快だった。

一時は『ゴジラ』もアメリカにすべて取られてしまって、もうハリウッドじゃないと作れないのではないかと思わされたりもしていたから、見事に巻き返してくれたのが嬉しかったのである。

あと、やっぱり『シン・ゴジラ』は違ったということが証明されたのも嬉しいことだった。

現実の安全保障の話なんかゴジラに絡めて語ったって、意味がないのだ。 ただ「日本はダメだ」ということを主張する映画にしかならないのだから。

井上達夫があれを見て大喜びするのはわかるけど、わしはただウンザリするだけだった。 そりゃ日本の安全保障はダメに決まっとるわ。 そんなのはわかりきっているんだから、わざわざそんなことをゴジラに例えて映画で見せないでくれと言いたくなったのだ。

今回の『ゴジラ-1.0』は、そんな半端な社会批評的な感覚を一切払拭して作っていたのがよかった。

もちろん、山崎貴監督が特攻を美化するわけがないから、最後には逃げ道を作っていたけれども、それはそれでいいのだ。

それよりもこの作品は、確かに人間ドラマとして、すごく面白くできていた。 しかも、戦争に敗れた直後の日本人の心情を、アメリカ人に理解させたのであり、これは大した快挙だ。 今までそんなことをやった人はいなかったから、そこはちょっとびっくりした。

そして何よりも素晴らしいのは、ゴジラの怖さを、普通のケモノの怖さではないものとしたことだ。 やっぱりゴジラは「カミ」「怖れ神」であり、カミの怖さを表したところが凄いことなのだ。

キングコングといえども、南海の孤島の中では神だったかもしれないけれど、結局は大猿でありケモノでしかなく、日本のカミの恐ろしさに敵うものではない。

アメリカ人の中にも、ゴジラの怖さとは恐竜とは違う、全く得体のしれない何かであるということがわかる感性はあるのだから、まずそこをそのまま見せつけて、観客の心を掴まなければいけない。 ヘンな虫けらみたいなものが上陸してきて変身したゴジラでは、話にならないのだ。

そのカミの恐ろしさを忠実に再現して、そこを入り口にして、戦争に負けた日本人の心情までアメリカ人に見せつけたから、これが成功したのである。

物語の最初から敗戦後の日本人の心情だけを描いたら、アメリカ人は受け付けなかっただろう。 だが先にゴジラがあって、そこから見ていくと、日本人の心情がアメリカ人にもわかるわけで、うまい手だなあ、その手があったかとわしは思った。 だから、他の細かいことはまあいいかと思ったのである。

これまで山崎貴の映画は、わりとしょうもないと思っていたけれど、今回に関してはゴジラの造形が上手くいったから、世界に誇れるものになっていて、大したもんだと思った。

しかも次のハリウッド版ゴジラが、馬鹿みたいな姿を既に予告編で晒していて、全然期待できない感じだから、日本人がゴジラを取り戻してよかったと思う。

宮崎駿監督は『君たちはどう生きるか』でイデオロギーを捨てた

また、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』が、全米で週末興収ランキング1位を記録するヒットになったというが、あれも素晴らしい作品だった。

あの作品は、あくまでもわしの解釈でいえば、宮崎駿がこの歳にして、これまで積み重ねてきたイデオロギーを放り捨てることを表明しちゃった映画だと思っている。

これまでずっと「反戦平和主義」のようなイデオロギーを維持するために、一生懸命積み木を重ねてきたけれども、それでそのイデオロギーのために自分の人生も捨てるか?と問われた時に、「それはしません」と断言してしまったのであり、たとえ世界が滅んだとしても、自分は自分の素直な生き方を目指す方を選ぶというのが、あの話なのだとわしは解釈した。

この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ

購読はこちら

宮崎監督のひそやかな“本音”に思うこと

実際に宮崎駿本人が何をどこまで意図したのかはわからないし、無意識で描いたのかもしれないけれど、よくこんな話をやったなあと思った。

何が何でも反戦平和主義だと主張して、積み木を構築していったって、どうせいつかは崩れるのだ。 そんなものに人生を賭けてどうするというのだ?

わしはそんな社会運動などやらないと思っている。 イデオロギーのために自分の人生を無駄にするなんてことはくだらないし、それよりは自分の人生を楽しむ方を取るという感覚になっている。 その感覚が、今回の宮崎駿の『君たちはどう生きるか』の感覚と一緒だったのである。

宮崎も長いこと、散々っぱら左翼の側に引っ張り込まれて、いろいろやってきたのだろうけれど、ついに最後にはイデオロギーが嫌になって、こんな積み木なんかもう要らねーわと放り捨ててしまったのだろう。

そういう心情がどこまで外人に伝わるのかわからないが、この映画はその奥底の根本の部分にそういう感覚が隠されているから、いい映画だとわしは思ったのである。

「ジブリ」は日本が世界に誇るサブカル

それで、『君たちはどう生きるか』というタイトルを掲げておきながら、そのテーマに関して一切具体性を出さないというやり方は、さすがに強いなあと思ってしまった。 なるほど、そうすれば万人に抵抗なく受け入れてもらえるのだ。

わしだったら、どうしてもどこかに具体的な考えをにじませてしまうのだが、そうするとどうしても拒否反応を示してしまう人も出てくるから、そこがいけないところだなあと思った。

とはいえ、何も具体性をにじませないと、わからない人には全然何も伝わらないままになってしまうからなあと、わしはまだその葛藤の中にいる。 わしも80歳にもなれば、あえて何も語らないというやり方もできるようになるのかもしれないが、そのテクは本当に採用していいものなのかどうか、未だにわからないままである。

それはともかく、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』は、すごく哲学的にいい映画だった。 これも日本人が日本人の心情を良く描いた映画であり、それが世界に通用するのだから、やっぱり日本のサブカルって凄いと再認識したのである。

この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ

購読はこちら

浦沢直樹『プルートゥ』は本当につまらなかった

最近は、わしはペン入れの時にはネットフリックスでアニメを流しっぱなしにしている。

しかし、これには当たり外れがあって、この前に見た『プルートゥ』は本当につまらなかった。

これは手塚治虫の『鉄腕アトム・地上最大のロボット』を基に浦沢直樹が描いた漫画をアニメ化したものだが、ド退屈で、我慢して最後まで見たが、がっかりして終わってしまった。

特に、あのアトムは何だったんだ? 完全にそこらへんの子供と変わらない風体で、面白くもなんともない。 アトムが出てきた意味がどこにあるのか全くわからない代物だった。

結局のところ、ロボットが人間の意思を持つという作品は楳図かずおの『わたしは真悟』が最高傑作であり、このテーマはこれで完結している。

全く人間の形をしていない工業用ロボットが人間の意思を持つという、楳図かずおの発想は超絶凄いものだった。 あの姿じゃないと、機械が人間の意思を持つという怖さというものは描けないのである。

ところが浦沢直樹だと、ひたすら人間の姿に近づけていけば、人間になるという発想でしかなく、無茶苦茶薄っぺらいし、怖くもない。 退屈なだけだ。

その差を、誰もわかっていない。 やっぱり哲学が薄かったら、全然面白くはならないのである――(メルマガ『小林よしのりライジング』2024年1月9日号より一部抜粋・敬称略。『はじめの一歩』やYOASOBI『アイドル』評も含むこの続きや、泉美木蘭氏のコラム「へんなミニ政党がなぜこんなに増えたのか?」など、メルマガ全文はご登録の上お楽しみください)

この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ

購読はこちら

image by: Denis Makarenko / Shutterstock.com

小林よしのりこの著者の記事一覧

『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、新たな表現に挑戦! 気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、小林よしのりに関するWikipediaページを徹底添削「よしりんウィキ直し!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」等々、盛り沢山でお届けします!

有料メルマガ好評配信中

  メルマガを購読してみる  

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 小林よしのりライジング 』

【著者】 小林よしのり 【月額】 ¥550/月(税込) 【発行周期】 毎月 第1〜4火曜日 発行予定

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け