国際社会のみならず米共和党の一部からも批判の声が上がっている、トランプ大統領の「アメリカがガザ地区を所有した上で再建を目指す」という仰天案。かようなアイディアを突如発表したトランプ氏の真意はどこにあるのでしょうか。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では元国連紛争調停官の島田さんが、考えうる2つの要因を解説。その上で、アメリカが今後もこのような外交手段を取り続けた場合に待ち受けているであろう事態を推測しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:トランプ大統領が仕掛けた危険な遊び:“アメリカ領ガザ”提案が抹殺する和平の機運
混乱と分断が深まる対立の世界。トランプの「アメリカ領ガザ」提案が生み出そうとしているもの
「中東地域の和平の実現に向けて、実に前向きな提案だ。これは苦難の歴史にピリオドを打つアイデアとなるだろう」
トランプ大統領との首脳会談後の記者会見において、トランプ大統領が披歴した「ガザ地区をアメリカ合衆国が引き受け、完全に破壊され、死の恐怖が漂うガザを希望溢れる場所に作り替える」という荒唐無稽なアイデアに対して、抑えきれない喜びを隠すことができない様子で微笑みながらイスラエルのネタニエフ首相が発した発言の一部です。
トランプ大統領のアイデアによると「ガザに残る180万人のパレスチナ人すべてを周辺国に移住させ、復興後のガザ地区をすべての世界市民に開放する」とのことですが、それには「アメリカ合衆国による長期的なガザの所有が必須である」らしいのですが、アイデアが披歴された際、何と表現したらいいかわからないほどの驚きと呆れが襲ってきました。
「きっと本気ではないだろう」
そう思いたいのが正直な感想なのですが、果たしてトランプ大統領の真意はどこになるのでしょうか?
考えうる理由は大きく分けて2つあるかと思います。
一つ目は、ちょっとタブロイド紙のような意見になりますが、【トランプ大統領の“不動産王”としての側面から、ガザの再開発という、政治家にはない考えが出たのではないか】という推察です。
これまで議員をしてきた政治家出身の大統領では考え付くことがないだろうと思われるアイデアでありますが、皆さんのご記憶にもあるかと思いますが、実は“再開発”案は今回が初めてではなく、第1期目のトランプ政権時に、北朝鮮の金正恩氏と首脳会談を行った際、トランプ大統領から「北朝鮮のスキーリゾートの開発」という提案が金正恩氏に対してされたことがあります。
実現はしていないのですが、トランプ大統領の側近だった方々によると、トランプ大統領は結構本気で交渉材料として考えていたようで、もしかしたら今回のガザの再開発もその流れから来ているのではないかという推察が存在します。
ただ北朝鮮の場合と大きく違うのは、【アメリカが所有する】という部分で、この所有権に触れた提案は“国家主権の侵害にあたる”国際法違反に問われる内容である疑いが強いと考えられます。
パレスチナを【国家主権を持つ国家】と見なすか否かは議論が分かれるところですが、国連においてオブザーバー資格を最近得ましたし、アッバス議長が率いるPLO・ファタハが“パレスチナ”を代表するという認識が国際的に広まっており、これまでのアメリカの政権も、歴代、この認識をベースに、中東和平の望ましいかたちとして【二国家共存】という解決を目指してきています。
今回のトランプ大統領の提案は、その認識を根本から否定するものですし、パレスチナ人の自決権も否定すると考えられるだけでなく、これまでのアメリカの対中東政策の基盤も覆すものと捉えることができ、皮肉にも、ネタニエフ首相が記者会見時に使った【歴史を大きく変える提案】になる可能性が高いと考えられます。
この記事の著者・島田久仁彦さんのメルマガ
「実は綿密に計算されたトランプ流交渉術」との見方も
ただすでに1期4年、大統領として務め、周辺にYESパーソンばかりと言われつつも、優秀な人材を揃えている政権のはずですし、Rule of Lawを外交の全面に押し出してくる国ですので、明らかな国際法違反に当たるようなことを平然と言ってのけるとは考えづらいのではないかと推測します。
そこで2つ目の見解が出てきます。
それは【これはあくまでも超高めのボールを投げておいて、ディール・メイキングを行うための道具】という見解です。
常識的に考えて受け入れられるわけがなく、さらに各国から瞬時に激しい非難を浴びることを重々承知で荒唐無稽な提案をし、そこからじわりじわりと内容を和らげて落としどころを探り、どこかの段階で“相手”がOKした時点で、合意の手柄を独り占めにするという戦略を実行しているのではないかと思われます。
交渉・コミュニケーション術においては、一つのスタイルとして分析もされ、実際に援用するケースも多いのですが、最初に到底受け入れることなどできないような内容を示し、NOと言わせたうえで、「ではどのような条件なら受け入れられるのか?」と相手に迫って、その内容や主張に合わせて条件を少しずつ穏やかなものに変え、相手の受け入れ可能な限度ギリギリを狙う手法です。
ただこの際、一つ確実なのは、提案した側は実は何も失っておらず、しっかりと欲しいものはすべて手に入れているということで、ついでに評判まで勝ち取っていきます。
個人的には、トランプ大統領と政権が選択している手法は、この戦略なのではないかと思います。
ネタニエフ首相と並んで行った記者会見時に、アメリカのメディアでさえショックを受けるような内容の提案をぶち上げ、記者からの質問にも臆することなく堂々と回答していますが、同盟国を含む各国から大非難を浴びたのを確認して、次の日には一旦本件については一切コメントも回答もせずに自分の面子をしっかりと保つ方策を取っています。
そのプロセスにおいてトランプ大統領とその周辺が注意深く見ているのは「どの国がどのような非難を行っているか」という内容であり、特に同盟国と目される国々や、地域における親米とされる国々の反応に神経を尖らせ、それらの内容をもとに提案に微調整を繰り返そうとしているように見えます。
オリジナルの提案は、トランプ大統領は絶対にイスラエル贔屓だと信じたいネタニエフ首相にとっては笑いがこらえ切れないほどの内容だったと思いますので当たり前にYESと答えますが、大事なのはそこではなく、英国やフランス、そして中東地域における親米国と言われるサウジアラビア王国やUAEが受け入れ可能な条件を探り当て、ガザ地域の復興とパレスチナの扱いについての落としどころについて、米・イスラエル以外の国からYESを引き出そうとするのが目的でしょう。
ゆえにこれから矢継ぎ早にいろいろな微調整が加えられ、私たちの目には発言内容の不一致を指摘したくなり「やっぱりトランプ大統領は…」と愚痴りたくなるかもしれませんが、実は綿密に計算されたトランプ流交渉術とも言えるかもしれません。
今のところまだテーブルには乗っていませんが、YESを得るためにギリギリのライン近くまで来たと感じたら、もしかしたら“追加関税措置の発動”をチラつかせて、ラスト・ワンマイルを埋めようとするかもしれません。
ただ正直なところ、人の生命と生活がかかる提案に、追加関税措置といったチープな手法は使ってほしくないですが。
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否定できない中東全域を巻き込む戦争が勃発する可能性
ただ今回の荒唐無稽な提案の内容が内容なだけに、これまで触れたようなシナリオでは物事が進まない可能性も十分にあります。
二国家共存を基本とする中東和平の実現を念頭に、デリケートな安定を保ってきた中東地域の各国にとっては、今回の提案内容は、仮に交渉戦略上のハッタリであったとしても、決して超えてはならなかったレッドラインであった可能性が高く、サウジアラビア王国やUAEなどはアメリカとの対話に乗ってこない可能性も生じるかもしれません。
そのような事態になった場合、どのようなことが起きうるでしょうか。
一つ目は【対イスラエル戦線が拡大し、サウジアラビア王国などが静観を止め、イスラエルへの攻撃に参加する可能性】です。
これまでアブラハム合意などを踏まえ、イスラエルとの親交を結ぶことによる経済的な利益を優先し、実質的にはパレスチナ問題の解決から距離を置き、パレスチナ人の自決権(self-determination)の実現にもあまり尽力しなくなってきたアラブ諸国ですが、イスラエルによるガザ地区やレバノンなどへの容赦ない攻撃を目の当たりにし、アラブ諸国の国民が自国政府に対してパレスチナなどに寄り添うべきとの不満と要求を強めて、政府がそれをこれ以上抑えきれなくなってきているという内情が顕著になってきているように思われます。
それでもガザ問題に直接介入してこなかったのですが、今回のトランプ提案とイスラエルの反応を見て、イスラエルとの親交を捨て、アラブの連帯を再度強化する方針転換を行った場合、中東地域全域を巻き込む”中東戦争“が勃発する可能性は否定できません。
すでにガザ、レバノンに戦端を開き、シリアにもちょっかいを出しているイスラエルにとって、アラブ全体を敵に回して戦い続けることは現実的ではありません。
そして事態をさらに悪化させるのが、これまでの中東情勢と違い、アラブ諸国とイランの間の敵対関係が収まっており、対イスラエルの敵意がそこで消化される事態が消滅していることから、場合によってはアラブとイランが協力してイスラエルと事を構える可能性は否定できないのではないかと考えます。
このような状況が現実になった場合、かなりの被害が予想され、中東地域に大きなダメージを与えることになりますが、攻撃に踏み切るか否かを決めるカギは恐らくイスラエルの今後の対応次第かと思います。
イスラエルは戦争になった場合、取り得るすべての手段を使って反撃に出ることになりますが、その時、アメリカはイスラエルの背後から直接中東に攻撃を加えることになるのか、それともバイデン政権時のように、後ろ盾として武器などの提供を行うものの、直接的な部隊の投入はしないという手を取るのかによって、結果が変わってくるでしょう。
トランプ大統領の外交・安全保障政策の基本は【アメリカ軍兵士を直接投入して、戦争当事国にならないこと】だと見ていますが、もし親イスラエルを強調して、このラインを破るようなことがあれば、アメリカは遠くアラブの地で長く戦争の泥沼に陥ることになるため、“アメリカの再帰”はないと考えています。
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「ガザ所有」の提案で遠のいたウクライナ戦争の停戦
またトランプ大統領が掲げる外交的な成果を挙げるためには、アメリカはもちろん、中ロとも話すことができる国を失うわけにはいかず、その観点から、サウジアラビア王国やUAEとの関係があまり悪化しないように気を遣っているようにも見えます。
実は【半年以内に停戦を実現する】と公言しているロシア・ウクライナ戦争の“停戦協議”の前提となる、プーチン大統領との直接的な首脳会談と協議の機会をトランプ大統領が探っており、その際、両方とのチャンネルを持つサウジアラビア王国やUAEがその会談場所として挙がってきています。
ガザ情勢の仲介を共に行うカタールでの開催という説もあるのですが、カタール政府は今回のトランプ大統領の“提案”に激怒しており、失望していることから、現時点ではあまり近寄りたくないという姿勢を打ち出しています。時間が経てば状況は変わるかもしれませんが、近々、そのロシアとアメリカの協議をカタールがホストすることは考えられないのではないかと、いろいろな話をもとにして感じています。
もし、今回の“ガザをアメリカが所有し、パレスチナ人を強制的に移住させる”というトランプ提案の内容が薄まることがないと、サウジアラビア王国などが考えた場合、米ロ首脳会談のホスト役を引き受けてくれず、いつまでたってもトランプ大統領はプーチン大統領と会えないという状況が生まれるかもしれません。
まさにTime is on Putin’s sideと言えます。
トランプ大統領はメディアを前にしていろいろと発言し、ロシア・ウクライナ問題の解決にも自信をのぞかせるものの、実際にはそのための糸口を掴めていないと思われ、ロシア側との協議がまだスタートしていない状況です。
一旦停止していたウクライナへの軍事支援の再開や、レアアースの提供を条件に、アメリカがウクライナへのコミットメントを強化するというディールをチラつかせて、プーチン大統領を直接交渉のテーブルに就かせようとしていますが、現時点ではそのどの手段も功を奏していません。
その理由の一つが“ウクライナのレアアース”の価値は日本円にして17兆円規模と言われていますが、そのほとんどが、実は現在ロシアが実効支配しているウクライナ東南部に集中しています。
様々な分析結果を見てみると、そのうち15兆円規模の権益をすでにロシアが手に入れているともいわれており、実際にはゼレンスキー大統領の一存でどうにかできるものでもないことが明らかになってきています。
レアアースを押さえ、制裁を前にしてもエネルギー資源を豊富に持ち、中国やインド、グローバルサウスの国々という“エネルギー資源の買い手”と“食料などの売り手”が確保されているロシアの現状に鑑みると、「トランプ大統領の面子を立ててやることはできるが、ロシアとしては停戦を急いでいない」という分析をすることも可能で、時間も状況もプーチン大統領に有利な状況が展開されているように見えます。
もし、今回のガザ所有に係る提案がなく、トランプ大統領のリソースがロシアとウクライナの停戦に注がれ、本気でロシアを引きずり出すためにウクライナへの支援を拡大してプレッシャーをかけることができていれば、米ロ首脳会談が近々開催され、何らかの合意が出来ていたかもしれませんが、今回の提案でアメリカは国際社会を敵に回し、さらなる孤立を深めることになったため、少なくともロシアとウクライナの停戦の実現は遠のいたのではないかと見ています。
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「秩序の守護者」の立ち位置を失うことになるアメリカ
アメリカ合衆国だけを見ると、実はこの状況を憂う必要は全くなく、十分にAmerica Firstの余力はあるのですが、トランプ大統領を支える共和党の支持層は、今後、影響力を維持拡大するためには、トランプ大統領が公約通りにロシアとウクライナの停戦を成し遂げ、中東に安定を取り戻し、ユダヤ系支持者にも、アラブ系の支持者にも、それなりの満足を与えることができるディールが必要と考えているため、内容がどのようなものであったとしても、トランプ大統領の陣営としてはいち早く何らかの成果を出さないと、2年後、そして4年後、そしてその後の安定と安心を得ることはできないとの危機感に駆られ始めています。
荒唐無稽な提案や、口を開けば関税措置という滑稽な状況は、そのような焦りから出されていると見られており、それがまたデリケートなやり取りを要する外交・安全保障におけるディール・メイキングにおいてもプレッシャーをかけ、望むような成果を出すことが出来ていないという、悪循環を生み出しているように思います。
関税をカードに用いることで、メキシコやカナダというGreat Americaを構成する国々との間にもテンションが高まっていますし、ガザに関する荒唐無稽な提案は欧州の同盟国を遠ざけていますし、発動の有無は明らかになっていないものの、対中関税(10%プラス)の発動と中国からの報復関税の応酬という状況は、アメリカを巡る国際情勢に不要な緊張を加え、本来、アメリカが行使しなくてはいけないはずの影響力を十分に発揮できない状況を生み出しているように見えます。
欧州各国は同盟国アメリカに対して警戒心を募らせ、もし欧州に対して追加関税を発動するようならば容赦なく報復関税を発動すると明言するような事態ですし、NATOを巡る緊張感や、欧州の存在意義にもなっているグリーン・ニューディール政策に、トランプ政権が背を向けたことで、複次的な緊張感が高まっています。
そのような中、中ロは確実に仲間を増やしにかかり、欧州にも再度食指を伸ばしてきていますが、ロシアに強い警戒感を抱くポーランドは軍事的な衝突も覚悟したうえでロシアと対峙しようとし、他のEU諸国と距離を置き始め、欧州の結束が揺らぎ始め、実はプーチン大統領の思うつぼになってきているように見えます。
またアラブ諸国はロシアとの距離を縮め、中国との経済的な(戦略的な)結びつきを再確認して、独自の立ち位置を確立しようと努め、予測不能なアメリカから適度な距離を取ろうとしています。
どのような戦略を内に秘め、混乱する世界においてリーダーとして振舞うつもりなのかは全く見えてきませんが、迅速に誤解を解き、緊張感を緩め、そしてビジョンを示すことが出来なければ、アメリカはさらなる孤立の道を歩み、秩序の守護者としての立ち位置を、トランプ時代に完全に失うことになると考えます。
America First、そして実際にはTrump Firstを貫くトランプ大統領の方針は、アメリカの国際情勢へのコミットメントと、秩序の維持という役割を弱める方向に進むと思われますが、軍事力(特に海軍力)・経済力を併せ持つアメリカが国際秩序の維持を諦めたら、世界は確実に分断を深め、海洋の安全は失われ、そしてグローバル経済の恩恵がすべて奪われる状況に直面しなくてはならなくなります。
就任演説において「私が最も誇りに思うレガシーとは、平和をもたらし、人々を一つにまとめる存在となることだ。それが私の望む姿だ」と語ったトランプ大統領ですが、就任から3週間ほどで、そのレガシーの要素はすべて失われつつあり、代わりに生み出そうとしているのは、複雑に絡み合った混乱の世界と、分断が深まる対立の世界になりつつあります。
この記事の著者・島田久仁彦さんのメルマガ
日本はどのような姿勢でトランプと向き合おうとしているのか
そのような中、このメルマガが皆さんのもとに届くころには、石破総理が初めての日米首脳会談のためにワシントンDCに着くころかと思いますが、日本はその混乱の国際情勢の中で、どのような立ち位置を選択し、安定と平和のためにどのように貢献しようと考え、トランプ大統領と向き合おうとしているのでしょうか?
そろそろ収まるかな…と願っていたガザ問題は再度爆発し、その火の粉がレバノン、シリアに飛び火し、そのまま中東各国に広がると同時に、地中海の向かい側(アフリカ)では、ルワンダとコンゴ民主共和国の間での紛争が引きおこり、非常にデリケートなバランスの上に成り立ってきた東アフリカの安定が脅かされつつあります。
それはまた、トランプ大統領からガザ市民の受け入れを迫られるエジプトの国家安全保障問題を深刻化させることにも繋がるため、また大混乱と悲劇の再発が予想される状況が浮上してきました。
またとても忙しく飛び回り、複数案件の調停に走り回ることになりそうです。
以上、今週の国際情勢の裏側のコラムでした。
(メルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』2025年2月7日号より一部抜粋。全文をお読みになりたい方は初月無料のお試し購読をご登録ください)
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