Google、マッキンゼー、リクルート、楽天の執行役員などを経て、現在はIT批評家として活躍する尾原和啓氏が、アンガーマネジメントとメ夕認知について実践解説。その日、尾原氏が訪れたのは某有名パンケーキ店。料理はとても美味しかったが、それなりに格式あるロケーションにも関わらず、ひどい接客を受けてしまった――。こんなとき尾原氏は、怒りの感情をどのような手順でコントロールするのだろうか?(メルマガ『尾原のアフターデジタル時代の成長論』2025年4月17日号より)
※本記事のタイトル、見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:尾原お店でキレる、、自分にドウドウしながらメ夕認知解説(アンガーマネジメントの実践編)
「申し訳ありません。片付けてしまいました」しか言わない某有名店の店員
尾原、久しぶりにお店でキレてしまいました……。解説しながらメタ認知して、心を落ち着かせたいと思います。
まず状況を説明すると、今、日本に来ています。僕は甘いものが好きなんですよね。某パンケーキの有名店が移転し、土日でも並ばずに入れるとのことで、朝一番に訪れました。本当においしかったです。
お店が混んできたら早めに退店しようと思っていましたが、土曜日の朝一ということもあり、意外と空席が目立っていました。そこで、他のお客さまが来るまでは少し仕事をしようと考えたんです。
熱々のパンケーキも好きですが、メープルシロップをたっぷりかけて、それがしみ込んで、少し冷めた状態のパンケーキも好きです。だから、パンケーキを脇に置きながら仕事して、1時間ほど滞在しました。
途中でトイレに行きたくなり、お店の方に「また戻ってきますので」と伝えました。日本とはいえ、物騒なこともあるので荷物はすべて持っていったんですね。さらに食事のマナーとして、ナイフとフォークをハの字に置き、ナプキンもテーブルではなく椅子の上に置いて、「まだ食事中です」というサインを残しました。
ところが、トイレから戻るとテーブルが片付けられていました。店内で一番偉いとおぼしき方に「まだ食べている途中だったのですが」と伝えたところ、「すみません。片付けてしまいました」と。
僕は「店員さんにもお伝えした上で中座したのですが」と言いましたが、返ってきたのは「申し訳ありません。片付けてしまいました」という言葉だけでした。これはどう受け取ればよいのかと考え、「わかりました。しょうがないですよね」と言ってレジに向かいました。
「悪いレビューを書いていただいても構いませんので、お代は要りません」
そもそも、順番が違うと思っているのですよね。僕はちびちびと食べながら、おいしい時間を楽しんでいました。店内には空席もあり、他のお客さまに迷惑をかけることなく過ごしていましたし、店員さんにも中座する旨を伝えていました。
何よりも、それなりの場所に入っているお店で、マナーとして「まだ食事中」というサインを残していました。それにもかかわらず、テーブルが片付けられていたわけです。
それに対して指摘したのですが、「作り直します」とか「どうぞお座りください」といった対応もなく、ただ「すみません」と繰り返されるだけでした。
さらにレジに案内され、こちらがお店の対応へのレビューについて話すと、「悪いレビューを書いていただいても構いませんので、お代は要りません」と返されました。
しかしお金の問題ではないので、「お支払いします」と伝えると、「お代はいただきませんので」と言われたのですよね。僕は、「今の時代、こういったコミュニケーションは通じないのかな」と感じました。
食事代は2,000円ほどでしたが、ご縁がなかったなと思い、5,000円を置いて店を出ました。他のお客さまがゆっくり食事されている中、大声は出していませんでしたが、ご迷惑料としてその金額を置いて退店しました。
まずは20回、深呼吸を…
結局、アンガーマネジメント、つまり怒りをコントロールする基本として、自分の中で反射的に出てくる感情を抑えることが大切なんです。なぜムカムカしていたのかは後で解説しますが、重要なのは、人間の怒りには生理反射的な側面があり、怒っている自分に対してさらに怒る、連鎖反応が生まれるということです。
だから、怒りや悲しみに囚われた時には、一度黙って深呼吸を20回すると、怒りが怒りを呼んで取り返しのつかない発言をしてしまう事態を防げます。こうして配信していると、アンガーマネジメントやメタ認知ができるわけです。(次ページに続く)
この店の何が僕を怒らせたのか?あえて言語化してみる
僕が何に憤りを感じたかというと、せっかく日本に来たのだからパンケーキをおいしく食べたかったし、はちみつがしみ込んだ、冷えた状態のパンケーキを大切に育てていたのに、それを食べ損ねたことが一つです。
もう一つは、以前お話ししたかもしれませんが、人が怒りに囚われるのは、自分のこだわりを無視されたと感じた時や、「こうあるべきだ」と思っていることに対して、相手が違う反応をした時です。
僕にとっての「こうあるべき(信念)」は、プロフェッショナリズムのお話になります。
料理のプロトコル(「まだ食べていますよ」というサイン)を無視してお皿を下げるなど、給仕長の方々の対応は、すべてが後手でした。僕からすると、給仕長の打ち手は「もうお皿を下げちゃったから帰ってくれるかな」と受け取れてしまう。さらに、レジに向かってその前で待たれると、「お金を払えということなのかな」と感じてしまう。しかも、謝罪の言葉はあっても、自分の行為を悪いとは思っていないように見えてしまいます。
プロフェッショナリズムとプロトコル
ここで大事なのは、僕が考えるプロフェッショナリズム、つまり、「このくらいの格式の飲食店においては、通念上必要とされているだろうと考える『プロトコル』」とのズレです。
お店の方は、もしかしたら「もう一度作り直します」と言おうとしたのかもしれません。しかし、僕の「信念ちゃん」からは、今お話ししたような対応に見えてしまったのですよね。
もちろん、僕も大人にならなければならないと思います。押し付けるわけではありませんし、僕自身、自由な振る舞いをしているのですが、ただ、こういうことが起こるたびに考えてしまうのは、日本のおもてなし(文化)がどんどん廃れていっているということです。
特に、それなりの格式があるお店でそういう対応をとられると、憤りを感じやすくなるのだなと思いました。
百貨店での気づきとプロトコルへのこだわり
昨日、新宿伊勢丹店の本館に久しぶりに行ったのですが、ちょっと驚く出来事がありました。漫画家の西村しのぶさんが――(『尾原のアフターデジタル時代の成長論』2025年4月17日号より一部抜粋。尾原氏が「プロトコル」についてさらに深く考察する続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)
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