ピュリツァー賞の2025年度の受賞者及び作品が発表されました。その中でひときわ生きづらさを抱える人たちの支援に取り組むジャーナリストの引地達也さんの心に訴えかけてきたのは、13枚のモノクロ写真。引地さんは自身のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の中で、その企画写真部門で受賞した作品について語っています。
シリアの深い傷が示す壁の写真と対岸の私たち
米コロンビア大学ジャーナリズム大学院は今月、米国の優れた報道に贈られるピュリツァー賞の2025年度の受賞者及び作品を発表した。
最も栄誉があるとされる公益部門には、米国で中絶の是非が問われる中で、中絶規制が強化された州で人工妊娠中絶を受けられずに死亡した女性を報道したニュースサイト「プロパブリカ」が選出され、速報写真部門には、昨年7月のペンシルベニア州でのトランプ氏(現大統領)暗殺未遂事件の瞬間を捉えたニューヨーク・タイムズの写真が選ばれた。
この2つは米国の今を切り取るとして注目されたが、私にとって深い印象を残したのが企画写真部門のシリアの13枚のモノクロ写真である。
動きの瞬間を切り取る報道写真に対し、アサド政権崩壊後、主のいなくなった「拘禁施設」の写真は動きのない静逸な絵の中に過去を想起させるメッセージが切なく、そして力強い。
撮影されたダマスカス北部のセドナヤは世界で最も悪名高い拘禁施設の一つ。
内戦中に政権は数え切れない活動家、政治犯、民間人を拘束し、飢餓や拷問、そして法的根拠のない殺害を行った」(写真説明)場所である。
セドナヤの写真は「アサド政権崩壊後に行方不明の親族を探して刑務所の内部を捜索する家族たち」(同)の不安な表情や、「死体の臭いに導かれた男が壁の間を探している」(同)様子もある。
オフィスはただ乱雑で書類が散乱しているが、それは「逃げた警備員たちが置き去りにした書類」(同)であり、それらの文書は「多くに公式の印章や暗号化されたメモが付けられ、政権の残虐行為の手がかりを含んでいる」(同)とされ、中には「逮捕命令や尋問の記録、囚人の名前や監視活動の記録」(同)が書かれているという。
これらのキャプションとモノクロの写真に突き付けられた事実に胸を締め付けられる。
この記事の著者・引地達也さんのメルマガ
シリア内戦が激しくなったのは2014年。
ソーシャルメディアが広がったことで、ダマスカスの街が空爆や銃撃される様子は、手のひらのスマホに画像や動画として気軽に入ってきた。
爆撃され吹き飛ばされた建物、噴煙でおおわれる街角、路上に投げ出された遺体の数々。
それは今起きたことだと、その映像のキャプションは伝えていた。
ちょうどこの時期、ある高校に講演に行った際に、大きな行動で大きな画面に投影した攻撃の動画を見せながら昨日、シリアで起こったことだと伝え、私たちは何が出来るのだろう、と生徒に問いかけた。
もちろん、自問も含めての問題提起であり、その答えは私も見つけられていない。
その何も出来なかった日々を埋めていく今回のモノクロの写真は、色の情報を消したことで、より見る人の心の深層に迫ってくる。
これも報道の在り方としてあるべき姿であり、情報過多の時代だからこそ、重要な手法なのかもしれない。
受賞したモイセス・サマン氏は1974年ペルー生まれのドキュメンタリー写真家。
ヨルダンを拠点に20年間、中東を取材してきた。紛争の前線も取材してきたが、今回の写真は、同賞のホームページによると「戦争や革命の影から浮かび上がる深い人間の物語」を記録してきたもの。
アサド政権が崩壊し、現在新しいシリアが模索されているが、中東情勢や米ロの思惑が混在し、まだまだ不安は残る。
束の間の平和かもしれない今だからこそ、この写真は世界で共有したい。
13枚の中に壁の写真がある。
指先につけられたインクをぬぐおうとしたのだろうか、幾本もの指の跡がつけられた壁だ。
説明には「登録か身元確認手続きをした拘束された人によって残された壁に広がるにじんだ指紋」とある。
その壁の写真は、人が行う残虐性と不自由の理不尽さを雄弁に語っている。
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image by: Mohammad Bash / Shutterstock.com