米軍によるイラン核施設への空爆後、一応の停戦状態にあるイスラエルとイラン。そんな状況の中、ロシアはウクライナへの攻撃をエスカレートさせる事態となっています。その裏にはどのような事情があるのでしょうか。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では元国連紛争調停官の島田さんが、欧米の「優先順位」が推移した事実と、そのとばっちりを受けることとなったゼレンスキー大統領の反応を紹介。さらにウクライナへ救いの手を差し伸べようと動く中国の狙いを解説しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:優先順位の変化-注目を浴びる中東・イラン情勢と霞むウクライナの未来
国際社会の優先順位は「中東」に。霞むウクライナの未来と中国の野望
「ロシアとウクライナの戦争は、しばらくは終わらないだろう。今はイスラエルとイランの衝突が起きないようにしっかりとコミットすべきだ」
これが今、ウクライナの背後にいるはずの欧米諸国のリーダーたちが考える方針のようです。トランプ大統領はそう明言し、欧州各国のリーダーたちは具体的な態度については決して一致しないものの、明らかにウクライナに対する熱量と関心が後退しているのが感じられます。
アメリカ軍によるイランの核施設に対する猛烈な攻撃はまさにサプライズアタックでしたが、トランプ大統領とその周辺が主張するような「数年単位でイランの核開発を止めた・遅らせた」というほどの成果があったかはかなり疑わしく、DIAが出したような「実はイランの濃縮ウランの在処が分からなくなっただけで、ほぼ無傷」という評価も米国内で議論を呼び起こしています。
また“核の番人”たるIAEAのグロッシー事務局長は「ファルドゥの施設はそれなりの損害を受け、他の核施設もそれなりの破壊に見舞われたが、残念ながら濃縮ウランの行方は分からず、遠心分離機もほぼ無傷との分析も多々あり、イランは核保有につながるウラン濃縮を遅くとも数か月以内には再開することが可能である」との見解を述べました。
イスラエルとイランの仲介を行ったカタール政府や、軍を含むアメリカ政府内の分析官、IAEAの専門家、そしてロシア、トルコ、フランスなどの専門家などの意見を総合してみると、どうも今回のアメリカによる攻撃によって、イランが核開発を急ぐ必要性をさらに深く認識するきっかけを与えたとの結論に至ったことが分かります。
それはかつてアメリカのブッシュ政権がAxis of Evil(悪の枢軸)としてイラン、イラク、北朝鮮を挙げましたが、すでにその際に核開発が進み、“恐らく”核保有に至っているという分析がなされていた北朝鮮には米軍の空爆がなかったことに対し、イランとイラクについては、イラクはアメリカ軍を軸とした多国籍軍の、イランについてはイスラエルのターゲットとして攻撃対象になったことをベースに「核保有こそが国家安全保障の確保のカギ」という決断を下すのではないかと、今回のアメリカとイスラエルによるイランの核施設への攻撃を受けてイランの最高指導部が判断し、本格的な核保有への舵を切ったとしても不思議ではありません。
それをつぶさに感じ取り、イランに対する自制を間接的に求めるために協力に動いたのが、フランスとロシアです。
この記事の著者・島田久仁彦さんのメルマガ
ロシアが対ウクライナ攻撃のギアを上げられたウラ事情
今週(7月1日)行われたプーチン大統領とマクロン大統領との電話会談の内容は、ロシアが当事者となっているロシア・ウクライナ問題についてではなく、イスラエルとイランの軍事衝突に対する懸念と、アメリカ軍による宣戦布告なきイラン攻撃が明らかに国際法に反することで、イランが核開発を急ぎ、中東の緊張が高まることを懸念して具体的な対応と協力について話し合われたと伝えられています。
フランスは欧州、そしてNATOのコアとしてロシアによるウクライナ侵攻に真っ向から反対し、対ロ経済制裁およびウクライナへの軍事支援も行っていますが、その対立を棚に上げても、ロシアとの協力を選んだことは、イランを巡る情勢への懸念の大きさと、ロシアとフランスという、イラン核問題に政治的・外交的な解決をもたらすための技術的なオプションを握っている両国が、現在のホットイシューに対する影響力の拡大を狙ったものであると考えられます。
異常な熱波に襲われるフランスのカウンターパートは、その天候に擬えて「フランスが直面している問題はまさにスーパーホットであり、急ぎ対応を講じないといけない要件であると考えるので、敵味方を選ぶ猶予はなく、まずは動いて緊張を解くことが先決だと考える」と表現して、フランスのコミットメントが、対ロ非難・対ウクライナ支援ではなく、イランを軸とした中東地域の混乱と緊張の緩和に重点が置かれたことを示しています。
もちろん、これはプーチン大統領にとっては渡りに船と言え、イラン問題に対応している間は、少なくともフランスはウクライナ問題に深くかかわってこず、恐らくフランスからの軍事支援も滞ると予想できるため、今週に入って一気に対ウクライナ攻撃のギアを上げています。
その半面で“イランへの影響力”というカードを上手に用い、のらりくらりとフランスなどからの要請を交わしつつ、欧米諸国の目をイランとイスラエルに釘付けにし、対ロ攻撃に関わる余裕をなくすことに成功しているように見えます。
プーチン大統領とマクロン大統領にスポットライトを奪われてはならないと、トランプ大統領もウクライナから距離を置き、イラン情勢とガザ情勢に重心を移して“成果”を取りに行こうとしています。
7月2日にはイスラエルのネタニエフ首相に「カタールとエジプトがまとめた停戦案を受け入れよ」と要請し、それと並行してSNSを通じてハマスにDeal(取引)せよというメッセージを送って、ちょっと強引にまとめにかかっていますが、その背後でイスラエルはいろいろとハマスに難癖をつけて、当初より予定していた対ガザ軍事作戦を激化させて“力による強制”を突き付け、一方的な力を見せつけた上で、自国に圧倒的に有利な条件でのディール・メイキングを行おうとしているように見えます。
最近、イスラエルの当局と話す機会があった際に言われたのが「行けるところまで徹底的に破壊し、抵抗することが死を意味することを見せつけなくてはならない。そうすることでイスラエルは国家と国民の安全を確保できるし、それしかない。また徹底的な打撃は、シリアやレバノンといった周辺国にも明確なメッセージを送ることになるだろう」と言う内容ですが、あまり報じられないものの、この内容はアメリカのウィトコフ氏にも共有されているようです。
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ゼレンスキーが切ってしまった「タブー」とも言うべきカード
アメリカ政府としては“まず中東を落ち着かせることが先決だが、そのための手段は選ばない”という基本姿勢が存在し、軍事的なリソースも、外交的なリソースも今はイスラエルに集中投下する方針を実行に移していますが、見事にウクライナはそのとばっちりを受けることになっています。
その背景には、すでに複数の戦端への対応ができなくなっているアメリカ軍の体制があり、またバイデン政権下以降、ウクライナとイスラエルに迎撃システムのパトリオットを提供し続けたことで在庫が底をつき、優先順位を急ぎつけて対応する必要が出ているという事情があるようです。
ウクライナに約束していたパトリオットの供与を一旦キャンセルし、代わりにイスラエルのアイアンドームの強化のために用いるパトリオットをイスラエルに送ることに決めたのは、アメリカの対ウクライナ距離感と対イスラエル距離感の違いと重要度の認識のギャップを如実に示しているものと考えます。
そしてウクライナが何度お願いしても供与しなかったTHAADを、イランからの弾道ミサイルへの対応のためにアメリカがイスラエルに供与することを決めたのも、アメリカ外交戦略上の重要度の認識のギャップを示しています。
これでイスラエルの防衛力はさらに強化され、中東地域におけるイスラエル一強体制がさらに顕著になることに繋がりますが、それはアラブ諸国からの反発と緊張をただ高めるだけのネガティブな状況を作り出す方向に傾いているようです。
サウジアラビア王国をはじめとするスンニ派諸国は、微妙な距離感を保ちつつも、反イスラエルでイランとは協力体制にあり、イスラエル一強状態を是正すべく団結を強めつつ、“親米”国はアメリカに対して「これ以上、露骨なテコ入れをイスラエルに対して行うのであれば、基地使用のみならず、領空の通過も許可を取り下げることに視野に入れている」と圧力をかけ、何とか軍事的な対立に発展することなく、地域の緊張の鎮静化に努めようとしています。
この動きもまた、アメリカのウクライナ離れを加速させる方向に振れているようで、それゆえかどうかは分かりませんが、ゼレンスキー大統領はついにこれまでタブーと考えてきた対人地雷禁止条約(オタワ条約)からの脱退というカードを切り、“民主主義国家の代表”という看板を外し、「ロシアに自ら対応するには、手段は選べない」という姿勢を内外に示すことになりましたが、これは十中八九、ウクライナを国際社会において孤立させる方向につながり、国際社会における支援・支持をさらに失う方向に繋がる恐れが高まります。
ただすでにロシアの脅威に晒されるバルト三国やフィンランドなどは、今回のウクライナ同様に、対人地雷禁止条約からの脱退を表明し、国際法の遵守とプレゼンスの誇示よりも、自国領土主権と自国民の保護を選択し、「法の支配の遵守」という看板を外すことになりました。
この背後には欧州各国の支援の欠如と大幅な遅れ、そして口先だけの理想の繰り返しがあると見ていますが、今後、ウクライナは言うまでもなく、場合によってはフィンランドやバルト三国との連携も失われる恐れが顕在化してきているように感じます。
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アメリカから中国への接近に切り替えつつある欧州
結束できない欧州は、ウクライナを結果として見捨て、フランスが首の皮一枚で何とか持ちこたえている以外は、中東における影響力もほぼ失っているという惨状を露呈しています。
一応NATO首脳会合ではアメリカとの距離を縮めるべく振舞っていましたが、トランプ大統領のほぼ言いなりになるしかなく、欧州がNATO内で持っていた矜持は見る影もない状況だったと見ています。
結果、アメリカと表面的には接近するものの、欧州として立ち続けるための柱をここにきて、アメリカから中国への接近に切り替えようとしているように見えてきます。
今週、あまり報じられていないのが不思議なのですが、中国の高官が次々と欧州各国を訪れ、協力体制の構築が図られていますが、これは何を意味するのでしょうか?
以前より何度か描いていた世界の3極化ですが、これまでは“欧米とその仲間たち”というグループで一つの極を構成して、確固たる基盤を築いていたのですが、ここにきて、欧州が中国に接近し、関係の改善に乗り出したことで、中国がロシアと主導する国家資本主義陣営との連携が強化され、欧州が中国側に傾くという現象が目立ってきています。
表立ってロシアと直接話をしているのはフランスぐらいですが、中国の背後にはパートナーとしてのロシアがおり、中国陣営との接近は、間接的にロシアとの関係修復に動いているとも解釈できます。
そしてそれは“欧州のウクライナ離れ”と“欧州のロシア接近”を表すことになるため、ウクライナの終末が近づいているのではないかとの懸念も、よく語られるようになってきました。
実際に調停グループ(Multilateral Mediation Initiative)の協議においても、完全に停止はしないものの、依頼内容の重点が明らかに中東に傾いているのを感じています。資金も軍備も、外交的な支援や働きかけも、それらが中東案件に集中し、他の案件に振り分けるリソースが枯渇し始めています。
このような状況に直面し、アメリカの全面的な協力もあり、コンゴ民主共和国(旧ザイール)とルワンダの間の地域的な紛争を停戦に導くというポジティブな仕事もできましたが、その半面、30年以上続く中央アフリカとコンゴ民主共和国内部の紛争への対処はまた優先順位が下げられ、スーダンの内戦への対応も、正直疎かになっています。そして忘れられがちなのが、ミャンマー内戦は今も継続中で、日々衝突が繰り返されて被害と犠牲が拡大していますが、こちらについても国際的な働きかけは開店休業状態です。
このような“国際的なコミットメント”の欠如の穴に素早く滑り込んでくるのが中国なのですが、最近(確か5月31日)に設立した国際紛争調停センターの宣伝広報活動も兼ねて、どのセンターを前面に押し出して、成果を積み上げようという狙いが見え隠れしていますが、正直なところ、中国の国際社会、特に紛争の調停の最前線での中国の影響力が高まっているのは事実です。
そしてその中国が今、狙っているのが、ウクライナです。欧州各国は口先だけ、そしてトランプ大統領のアメリカも、自らのsaving faceのために一旦ウクライナから離れる姿勢を示し、ゼレンスキー大統領が国内外で四面楚歌状態に陥りそうな時に、とんとんと肩を叩き、救いの手を差し伸べようとしているのが中国です。
以前にも、中国政府はロシアとウクライナの仲介を申し出て、一時期、ゼレンスキー大統領も習近平国家主席のプーチン大統領に対する影響力に期待して、その申し出を受けようとしたことがありましたが、その時にはアメリカのバイデン政権と欧州各国によって拒絶されて日の目を見なかったのですが、今回は欧米諸国の目が挙って中東に向いている状況下ですので、近日中に驚きの発表がなされるかもしれません。
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混乱が広がる国際社会で唯一ベネフィットを獲得する中国
ロシア・ウクライナ戦争は、プーチン大統領が当事者であることと、ロシアにとって今すぐに戦争を止めるインセンティブがないこともありますし、ゼレンスキー大統領にとっても戦争が存在することが自らの存在証明になるため、口先ではいろいろと言いますが、戦争をやめることができない立場に追い込まれています。
そして当の中国も、表向きに認めることはないですが、ロシアの戦争を軍事的にも経済的にも、そして外交的にも支えているため、中国が仲介する形の停戦は、確実にロシア有利なものになり、中国がロシアに貸しを作る材料に使われるだけかと思います。
では欧米諸国の目が集中する中東情勢は解決するかと言われれば、正直なところ、私は非常に懐疑的です。
ここでも当事者であるイスラエルのネタニエフ首相は、戦争が行われているからこそ、戦時臨時内閣を組閣することが許可され、訴追も免れているという現実があることと、圧倒的な軍事力と経済力の威力を自らも自覚したことで、予てより願ってきた周辺国への影響力拡大と領土欲の拡大、そして憎きイラン駆逐を可能にする状況などの存在を、ホロコーストで味わった民族としての根絶に対する究極的な恐怖の除去と結びつけることで国内的な支持を得られる状況が目の前に広がる中、決してハマスが望むような恒久的な停戦を受け入れることはないですし、ましてや二国家共存という形態を受け入れるモチベーションもないため、ひたすら戦争を続けることを選択するでしょう。
一度乗りかかった船から降りて、コミットメントのバランスを勝手に変えるのはアメリカや欧州の得意技ですが、これまでもそうであったように、それは状況を悪化させるのに寄与し、かつ後始末をしないままでの退場によってさらなる憎悪を作り出すという現実が、また中東、ウクライナ、アフリカに広がりつつあるように見えます。
このような混乱が広がる際、唯一ベネフィットを獲得するのが中国です。来年には、アジア太平洋地域において、米軍を抜いて最強のプレゼンスを実現すると言われ、アジア太平洋地域における覇権の確立が進めると言われていますが、中国を警戒するアメリカの圧倒的なプレゼンスは、今、アジア太平洋地域を留守にしているため、成長と強国化のための十分な時間を得ていますし、中東・アフリカで広がる反欧米の波の背後で、協力関係を築き上げることで世界的な市場を構築しつつあります。
いずれ中東情勢が沈静化し、ロシアとウクライナの戦争も“終わる”時が来ると思われ、その後、新たな敵を探し、力による強制という一本やりを諦められないアメリカは中国にちょっかいを出してくることになると思われますが、その時に本当にアメリカは中国に対して、まだ“勝利”を収めることができるのでしょうか?
国際情勢の中で起こる優先度の移行は、すでにfragileな安定を根底から覆し、安易には解決できない混乱を世界全体に巻き起こす恐れがあると考えています。
そのような世界で私たちはどのようにして自らの身を守り、暮らしていくのでしょうか?
以上、今週の国際情勢の裏側のコラムでした。
(メルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』2025年7月4日号より一部抜粋。全文をお読みになりたい方は初月無料のお試し購読をご登録下さい)
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