自閉スペクトラム症(ASD)をめぐる議論は、近年ようやく、欠如や異常という視点を超え、神経多様性や主体性へと広がりを見せ始めています。メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんが、2025年8月に都内で開催されたシンポジウムで語られた論点をたどることで、自閉という言葉の意味、そしてそこに生きる人々の声をどう開いていけるのかについて思案しています。
「開かれる自閉」をめぐり、たどってきた道とこれから
8月2日に東京都内で行われた文化理解の方法論研究会(MC研)のシンポジウムは「『開かれる自閉』を開く」と題され、そのタイトル自体が刺激的だった。
このテーマをもとに社会学者、当事者・発達心理学者の対話と題され、社会学者の高木美歩さん(立命館大研究員)、発達心理学者の赤木和重さん(神戸大教授)、当事者で実践研究者の大内雅登さん(ケアメディアラボ主任研究員、みんなの大学校教授)がそれぞれの立場から「開かれる自閉症」を論じた。
自閉症がスペクトラム性を帯び、私たちの生活と個人とにつながりを持ち始めた自閉症をめぐる社会に気づくとき、自閉症に対する認識の変化が促される。
しかしながら、2022年に日本語表記を「自閉スペクトラム症」で統一されながらも自閉症者の主体性確立に社会は鈍いままの印象がある。
3者の言説は「神経多様性」の道に向けた最初の一歩がまだ踏み込めていない実態を浮かび上がらせたともいえる。
高木さん著の「開かれる自閉 医者・心理学者・当事者のポリフォニー」(晃洋書房)は自閉症スペクトラム障害(ASD)の研究史をコミュニケーションの規範をめぐるポリティクスとして読み直し、「神経多様性」の可能性を明らかにすることを目的にしている。
今回の発表は「ケアと責任から考える自閉症者の主体性」がタイトル。
医学的自閉症論や心理学的自閉症論を振り返り、専門家が「自閉症」をどのように「異常」と論じてきたかを示し、専門家の言説から「責任」に着目した。
高木さんは「それぞれ理想像は異なるが、主体的に生き、社会で自分の責任を果たすことができるASD者像を語っている」と総括した。
その上で神経多様性の歴史はASD者の主体性の拡張の歴史であるとした。
責任のキーワードに立ち返ると、自閉症の発見から診断による責任免除を経て、責任は個人モデル、社会モデル、双方向モデルに進行しつつも、この3つのモデルは競合していると指摘した。
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赤木さんは、同著を読んだ印象を語る中で、ASDに関するバロン=コーエンが自閉症を独自に認知障害として定義した、いわゆる「心の理論」(1985年)に出会い、当時大学院生だった自分が「ワクワクした」と振り返った。
しかし、自閉症の「欠損」「欠落」に学術的な「お墨付き」を与えるとし、2000年頃から当事者が自らの体験を語るようになり、研究の修正が迫られるようになったことを紹介し、発達心理学の可能性を問題提起した。
さらに教員を養成している立場から、公立中学校の古文の授業実践を紹介した。
この授業は、古文暗記の時間を20分間と設定し「どこで暗記してもよい」とし、教室を歩き回っても、教室の外に出てもよいこととした方法。
これを「合法的たち歩き」と呼び、すべての子どもの学び方に合わせて授業をつくることの実例を示した。
大内さんの実践からの報告は「気づきあいを通して対話的調整を生む、自己に取り込む配慮」と題し、問題行動を起こす子どもが何度注意をされたのにも行動が治らなかったところ、自分の問題行動により弟が怒られたことで、自分の行動を見直すことになった事例を挙げて説明した。
「自己決定論」「ナラティブ・アプローチ」「道徳性発達理論」などの既存の理論で語れることを抑えつつ、それらを越える支援の在り方として「共存対話」を提示した。
それは「気づきあいによる対話的調整」へとつながる考えだ。
支援する、という行動の文脈でいえば「支援者が一方的に『配慮する』のではなく、気づきあいを通して、当事者の世界に自らを『取り込む』こと。
そのとき初めて、支援は『ともに生きるための営み』へと変わる」(大内さん)としている。
みんなの大学校の教授であり、また支援の現場で対話を繰り返す大内さんの言説は私の現場での実感ともつながる。
みんなの大学校、ケアメディアラボの実践はまだまだ続く。
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