介護の現場はいま、「安全」と「尊厳」のはざまで揺れています。メルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では、著者で健康社会学者である河合薫さんは、高齢者の生活をどこまで「自由」に委ね、どこから「管理」すべきなのかという介護の根源的な問いについて語っています。
自由か?管理か? 問われる介護の未来
日本経済新聞が主要109の自治体に実施した調査で、自治体の5割が介護施設で発生した事故報告書の分析をせず、再発防止に向けた体制が不十分なまま運営されていることが分かりました(日経新聞1月13日付朝刊)。
介護現場の事故は増加傾向で、2024年度までの3年間で、利用者が死亡した事故は計4844件に上り、死亡事故の原因では、食事中に物を喉に詰まらせるなどの誤嚥・窒息が全体の67.8%ともっとも多くなっていました。
一方、介護職員は、40年度に57万人分不足する見通しです。これまでも事故が起こるたびに現場の人手不足問題が指摘されてきました。今後はさらに事故のリスクが高まるかもしれません。
介護問題は本メルマガでも度々取り上げていますが、問題が多岐にわたる上に、家族によっても、施設によっても、事情が千差万別で、一筋縄ではいかないのが実情です。
例えば、住み慣れた自宅で最期まで過ごしたいという本人の願いを尊重したくても、夜間の見守りや医療的ケアが必要になれば、家族の生活が立ち行かなくなるという現実的なジレンマに直面します。経済的な事情で低額な施設を希望しても空きがなく、かといって在宅で手厚いサービスを受けるには費用が嵩みすぎるといった、制度の狭間で身動きが取れなくなるケースが後を絶ちません。
そもそも高齢になれば、どこにいても事故のリスクは高まります。
その責任を誰が、どこまで負うべきなのか? という問いに、明確な答えを出すのは容易ではありません。
2013年に認知症で入院していた男性(95歳)が、車いすに乗って一人でトイレに行き転倒。その後寝たきりの状態となったことに対し、親族が病院側を訴え、約2770万円の損害賠償を命じられる判決がありました。
裁判官は「男性は歩く際にふらつきが見られ、転倒する危険性は予測できた。
速やかに介助できるよう見守る義務を怠った」と判決理由を述べましたが、介護現場で働く人たちは戸惑います。「現場はいったいどこまで責任を負えばいいの?」と。
この記事の著者・河合薫さんのメルマガ
介護現場は、自由か?管理か? という問いに長年悩まされてきました。
「自宅にいる時と同じような暮らしをさせてあげたい」なら自由。
「ケガをしないようにしてあげたい」なら管理です。
人生の終のすみかで、管理されるだけの生活を「私」は幸せと思えるのか? 私には・・・わかりません。
一つだけ明らかな事実があるとすれば、誰もが老いるという現実です。
「老いる」とは、当たり前にできていたことが一つ一つできなくなること。他者のサポートに頼ることでもあります。
そして、75歳以上の後期高齢者人口の増加がピークに達するのは、2070年頃。
総人口の38.7%に達すると予測され、国民の約2.6人に1人が65歳以上です。
2024年は、1人の高齢者を2.0人の生産年齢人口で支えていますが、2070年には、1.3人で支える状況になると見込まれているのです。
2070年は、今年生まれた子供が44歳になる年です。
いったいその頃、介護はどういう形になっているのか?
ロボットに介護されるようになるのか?
高齢者の体内にチップが埋め込まれて、転倒やら徘徊をすると、介護警察なるものが駆けつけるようになるのか?
はたして「私」はどういう介護を求めるのか?
人生最終章の生き方について、一人一人が想いを巡らせなくてはならない時代に突入したように思えてなりません。
みなさんのご意見お聞かせください。
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