高市早苗首相が突如解散・総選挙を断行しました。理由は内閣支持率が高い今なら勝てるという私利私欲以外の何物でもないと、一部で批判の声があがっています。これに対抗して立憲民主党と公明党が新党「中道改革連合」を電光石火で結成し、統一協会とズブズブの極右政権に対する「中道」の受け皿ができました。しかし「中道」とは決して無難なものではなく、世の中が大きく傾いている時に主張するには命懸けの覚悟が必要だと語るのは、メルマガ『小林よしのりライジング』の著者で漫画家の小林よしのりさん。小林さんは、GHQに「極右」のレッテルを貼られながら、実は「中道」の人だったという国家主義者・頭山満の生き様から、今求められる政治姿勢を語っています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:「中道とは何か?」
※本稿では著者の意思と歴史的経緯に鑑み、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を「統一協会」と表記しています
私利私欲の解散総選挙
前回の選挙は石破政権下の2024年10月28日だったから、まだ1年2か月程度しか経っていないのに、もう解散・総選挙だ。
もちろん理由は、高市早苗が内閣支持率の高い今なら勝てる、今しか勝てないと判断したという、ただそれだけだ。
時間が経てば経つほど、高市には不利になる。
統一協会との密接な関係を週刊文春が毎週報じているし、裏金の温床である企業・団体献金の実態もしんぶん赤旗が報じている。この先、どんなスキャンダルが出てくるかわかったものではない。
しかも円安にも物価高にも何の対策も打てないとなれば、支持率が下がっていくのは避けられない。それだったら野党の選挙準備が間に合わないうちに、さっさと解散総選挙に持ち込んだ方がいいという、それだけのことだ。
ただ自分の政権を延命させることだけが目的。そのためなら、前回の選挙から1年2か月しか経っていなくても、1回の選挙で600億円もの税金が投じられても、政治空白が生じて新年度予算が成立しなくても、そんなことはどうでもいいのだ。
しかも高市はこの決定を事前に、自身の後ろ盾である麻生太郎を始め自民党幹部にも伝えていなかったというから、これはもはや「党利党略」ですらない。全くの「私利私欲」なのである。
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中道改革連合への凄まじいバッシング
だが、そんな高市に早くも誤算が生じた。立憲民主党と公明党による新党「中道改革連合」の電光石火の結成である。
自民党内には、公明党とは26年にもわたって連立を組んできたのだから、一度は別れてもまた出戻って来る可能性もあるという読みもあり、地方レベルでは、まだ公明党支持者が自民党を支援してくれるはずという期待もあったらしい。
確かに維新との連立を続けるよりは、公明との再連立の方がマシだとも思っていたのだろうが、そんなムシのいいシナリオは一夜にして完全に消滅した。これは大変な衝撃だったことだろう。
現在、中道改革連合に対して凄まじいバッシングが行われているが、これは逆に、その衝撃や脅威の大きさを如実に表している。
何の脅威もないのなら、ここまで必死にバッシングなんかしない。立民と公明の新党結成は政権交代の可能性まで含んでいるから、皇統の男系固執ネトウヨ、統一協会、サナ活ファンらが狂乱の罵詈雑言をぶつけまくるという状況が生じているわけである。
そしてその罵詈雑言の中で、「中道」とは何だ?という難癖にも等しい疑問がぶつけられている。
だが、そんなことはここで厳密に定義する必要などない。極右でも極左でもなければ「中道」なのだ。高市政権は完全に「極右」になってしまっているから、それよりも左側に距離を取っていれば「中道」だ。その程度の感覚でいいのである。
ただ、「その程度の感覚」とはいっても、それがそんなに簡単なことではなかったりもする。
なにしろ、昨夏あれだけ「中道」「中道」と言いまくっていた山尾志桜里が、それから半年も経たないうちに高市早苗推しの極右に転落してしまって、しかも本人にはその自覚すらなく、まだ自分が「中道」の元祖であるかのように思い込んでいて、中道改革連合に対して「『中道』という理念を政局の消費ワードにしないでほしい」などと、上から目線の物言いをしているくらいなのだから。
頭山満が示した中道の覚悟
わしが「中道」と聞いてまず連想するのは、『ゴーマニズム宣言SPECIAL・大東亜論』の主人公として描いた頭山満の、次の言葉である。
「世の中は寄合船のようなものだ。右側に綺麗な花が咲いていれば皆んなが右に寄って行ってしまう。ただ、それでは舟はひっくり返ってしまう。
右に花が咲いていたら、左に身を寄せる。私はそんな役割なのだ」
ところがこれを言った頭山満という人物は、戦後は「右翼の巨魁」というイメージを植えつけられ、タブー視され、長らく忘れられた存在と化していた。
そのようなイメージを作ったのはGHQの占領政策だった。
1946年1月4日、GHQは日本政府に対して「戦争指導者の公職追放」と「超国家主義(極端な国家主義)諸団体の結社・活動禁止」という、2つの重大指令を下した。
そして「超国家主義団体」、すなわち極右団体として解散命令を下された27の団体の中に、頭山満らが結成した玄洋社の名があったのである。
GHQが玄洋社に解散指令を下す際に決定的な影響力を及ぼしたのは、GHQの調査分析課長を務めたカナダ人外交官・歴史学者のハーバート・ノーマンだった。
ノーマンは玄洋社を「日本帝国主義の前衛」「日本の国家主義と帝国主義のうちでも最も気違いじみた一派」と記し、頭山を「政権を取る前のヒトラーと同じ」とまで評していた。
それは全く実態とはかけ離れた、悪意に満ちた分析だったが、これを鵜呑みにしたGHQは玄洋社を極右認定して解散指定し、それより2年前に89歳で世を去っていた頭山にも「極右」のレッテルが貼られてしまったのである。
ちなみに、玄洋社や頭山を「極右」と見なしたノーマンは実は共産主義者であり、後に「赤狩り」旋風の中で「ソ連のスパイ」との嫌疑をかけられ、自殺するという末路をたどっている。
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GHQの価値観に染まった学歴秀才
戦後の日本では、GHQが押し付けた価値観を疑わずに受け入れた秀才ほど高学歴となり、出世するという社会が現在もなお続いている。
そもそも大学入試というものは、どこかの出題者が用意した「正解」を探り出して、答案用紙に書くというゲームである。そのゲームに勝つテクニックにさえ長けていれば高得点が取れて、高学歴が身につくのである。
理数系科目であれば出題者が誰でも答えが同じになることも多いが、人文系科目ではそうはいかない。出題者の解釈が間違っているということだっていくらでもあり得る。
しかし入試で「出題者が間違っている」とは言えない。自分の頭で考えた意見を書くのではなく、出題者がどういう意見を「正解」としているのかを考えなければならない。受験対策においては、そういう思考方法が徹底的に叩き込まれるのである。
そんな競争に勝ち抜いてきた学歴秀才は、もはや自分の頭でモノを考えず、何に対しても、どこかに誰かが用意した「正解」があるもので、それを見つけなければならないという思考方法が「習性」になってしまっている。
だからこそ、学歴秀才ほどコロナ禍の時には新型コロナが「脅威のウイルス」であり、ワクチンこそが有効な対策であるというのが「正解」だと信じて疑わなかったし、皇統問題では、偉そうな態度で意見を言ってる者がみんな男系固執だし、政府の有識者会議でもそう言ってるから、それが「正解」なんだろうと信じて疑わず、「悠仁さままではゆるがせにできない」と言ってしまうのである。
同様に、戦後の日本ではGHQが押し付けた価値観、すなわち「戦後民主主義」こそが絶対の「正解」とされてきたから、学歴秀才ほど戦後民主主義者になる。
入試で「正解」になることなど間違ってもありえない『戦争論』なんか、学歴秀才には決して理解できないのである。
頭山満と中江兆民の友情
そんな思考パターンを染み込ませて生きてきた学歴秀才は、「頭山満は右翼の巨頭」と書けば「正解」だと思い込み、そのまま本を書いてしまったりする。そして、そうすれば実際に批評家から絶賛してもらえるのだ。
ところが、そこに「不都合な事実」が見つかることもある。頭山満は、日本の「左翼の源流」と言われる中江兆民と、生涯を通しての親友だったのである。
こんなことが出てくると、学歴秀才くんはすっかり混乱する。「元祖・右翼」の頭山と「元祖・左翼」の中江が親友だなんて、GHQ様にいただいた「正解」とは完全に矛盾するからだ。
ところがここで学歴秀才は、それまで「正解」にしていたものが間違っていたとは決して思わない。その「正解」は決してゆるがせにせず、その上でこの矛盾をどうすれば解消できるのかと四苦八苦するのだ。
その結果、あろうことか、「頭山満には思想がなかった」と書いた学者までいた。頭山は思想を放棄していた、むしろ積極的に思想に対して「無頓着」になっていた。だから中江兆民とも付き合えたのだ、というのだ。
これに対して、玄洋社研究の第一人者である石瀧豊美氏は、「頭山が中江と友人であったことが無思想の証拠であれば、中江も無思想になりはすまいか」として、徹底批判しておられる(『玄洋社 封印された実像』)。
頭山満は、現在の視点でいう「右翼」だの「左翼」だのというカテゴリーなど全く意識していなかった。それよりもはるかに大きな視点で、人間そのものを見ていた。それが真実なのだが、そんな教科書には載っていない価値観は、学歴秀才くんにはわからないことなのだ。
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命を張った「日中不戦」の主張
頭山満は死後にGHQによって「アジア侵略の尖兵」との濡れ衣を着せられてしまったわけだが、事実は全く逆だった。
支那事変の勃発以降、日本軍は中国国民軍との戦いには、連戦連勝だった。日本の世論は「暴支膺懲(ぼうしようちょう=横暴な支那を懲らしめよ)」をスローガンに、中国をとことん叩きのめせという意見が圧倒的だった。
そんな中で頭山満は「日中戦うべからず」と唱え、早期の和平交渉を主張し、中国国民政府の総帥・蒋介石との直接会談を行おうとしていた。
当時は日本政府が汪兆銘を担いだ傀儡政権を南京に樹立させ、これが正当な中国政府であるとされていたにもかかわらず、頭山はあくまでも重慶の蒋介石こそが中国の代表だとして、蒋介石と交渉しようとしていた。これは政府の方針に真っ向から逆らうことだった。
以上のことも、石瀧豊美氏の研究で明らかになっており、「小林よしのりライジング」でも以前に紹介している。
Vol.521「頭山満 未完の昭和史」 https://note.com/yoshirin_k/n/na03a51baf68d?magazine_key=m7eeed018dacc&from
現在もネトウヨが「中国に屈するな!」と吠えていて、わしが「中国とは戦えない」と言ったらバッシングを受けるという状態だが、こんなものは当時の頭山満に比べたら全く物の数ではない。
今のネトウヨはあくまでも少数者であり、現在の日本に中国と真っ向から戦える軍事力も覚悟もないのに無責任に言っているだけだし、日本政府だって本当に中国と戦うつもりなどサラサラない。
それに対して、支那事変当時の日本は実際に中国軍と戦って連戦連勝しており、国民のほぼ全員が「中国をとことん懲らしめろ!」と唱え、政府もそれを受けて南京に汪兆銘政権をつくり、中国全体を制圧せんという勢いだった。
そんな時に頭山は「日中不戦」を唱え、重慶の蒋介石政権を正当として交渉しようと主張していたのであり、それには命の危険すらあったはずである。
今こそ頭山満に学ぶべき時
「中道」と聞くと、なんとなく「無難」というイメージも湧いてくるが、実際にはそんなことはない。特に世の中全体が大きく右、または左に傾いている時に「中道」を主張することは、命懸けの覚悟が要る。
頭山満こそが、まさに命を張ってそれをやっていた「中道」の人だったと言えるのである。
これだけスケールの大きかった人物が、戦後に歪められた解釈によって「極右」だの「侵略主義の尖兵」だのと罵られ、忘れ去られた存在になっていることは看過できないと、わしは頭山満を主人公にした『大東亜論』を描いた。
そうして第1巻『巨傑誕生編』、第2巻『愛国志士、決起ス』、第3巻『明治日本を作った男達』、第4巻『朝鮮半島動乱す!』と描き進めてきたが、掲載誌「SAPIO」の休刊のため、未完となってしまった。
物語はまだ日清戦争にも至っておらず、いよいよこれから「大アジア主義」を掲げる玄洋社・頭山満の飛躍や葛藤が描かれるところだったので、残念で仕方がない。
しかし、ここまで描かれた分だけでも、教科書には描かれない、入試には出て来ない日本近代史の真実が存分に詰め込まれているので、もっと多くの人に読んでほしいと願っている。
高市早苗は今度の選挙結果に「首相としての進退を賭ける」と明言した。
そうなるとこの選挙の最大の争点は、「統一協会とズブズブで、愛子天皇の実現を妨害して皇統断絶に追い込もうとする亡国政権」を延命させるか否かということになる。
そして、極右に振り切れてしまった政治を正常化させるためには、今こそ「中道」が求められている。
そんな今だからこそ、実は「中道」の人だったといえる頭山満に学ぶべきことは、限りなくあるのだ。
(メルマガ『小林よしのりライジング』2026年1月20日号より一部抜粋・敬称略。その他の記事はメルマガ登録の上お楽しみください)
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