トランプ大統領と習近平国家主席の会談を経て、世界秩序の新たな枠組みを巡る議論が加速し始めた国際社会。今後の米中関係は、どのような方向に進んでゆくのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、習主席が会談で「トゥキュディデスの罠」なる言葉を持ち出した意味について詳しく分析。さらに北京でトランプ氏が見せた従来とは異なる姿勢から、アメリカが置かれている立場について論考しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:「トゥキュディデスの罠」を避けて
プロフィール:高野孟(たかの・はじめ)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
周到に準備してトランプを迎えた習近平。「トゥキュディデスの罠」を持ち出した意味
前号では、今回の中米首脳会談を端的に要約すれば、「すがるトランプ氏、突き放す習氏」という図柄であり、その中国の姿勢の裏には「この先、米国が衰弱していくとの確信」(5月17日付日経新聞)が横たわることを指摘した。
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習近平主席が「トゥキュディデスの罠」の喩えを持ち出したことの意味も、その文脈で理解しなければならない。
米中が戦うことになる「たった一つ」の要因
アテネの歴史家=トゥキュディデスは大著『戦史』(岩波文庫で上中下3冊!)の中で、支配的な大国=スパルタに対して新興の強国=アテネが台頭しトップの座を脅かし始めた時に、スパルタが恐怖を抱きギリシャ全土を二分するペロポネソス戦争が起きたが、結局アテネの敗北に終わったことを記述している。
これをハーバード大学ケネディ行政大学院の初代院長で政治学者のグレアム・アリソンが2017年の著書『運命づけられた戦争』(和訳『米中戦争前夜』、ダイヤモンド社、17年刊)で取り上げ、覇権国と新興国の衝突は不可避ではないが避けることは難しく、そのため数十年以内に米中がこの「罠」に嵌って戦争に突入する可能性は非常に高いと主張した。
この説については、学問的見地からもジャーナリスティックな視点からも様々な批判があるが、それはさておいて、習近平がこれを引きながら「中米は新たなパラダイムを構築することが出来るのか」と問いかけたのは、大胆に推測すれば次のような意味だろう。
- 中米両国は絶対に戦争を避けなければならない。
- 中国側に米国と戦争しなければならない理由は何も存在しない。
- ただし、台湾の一部勢力が独立を宣言し、それを米国が支持して介入するようなことがあれば、
(a)中国は一つであり、台湾は中国の領土の不可分の一部であるから、その失陥は例え武力を用いてでも阻止するのが当然である。
(b)それに対し仮にも米国なり日本なりが軍事介入すれば、それは明白な侵略であるから、中国がそれを全力で排除するのは当然である。
(c)中米は共に核保有国であり、全面戦争となればICBM(大陸間弾道弾)を撃ち合って世界を破滅に陥れる危険もある。従って、中米戦争を避ける上で決定的に重要なのは、米国が台湾の独立を扇動したり容認したり支援したりしないことで、それさえなければ中米が戦うことにはならない。 - そのための新たな枠組みとして「建設的な戦略安定関係」を提案する……。
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ことさらに用語にこだわり米との新関係を定義した中国
「建設的な戦略安定関係」とは、日本で発行されている日本語の月刊新聞『中国経済新聞』(徐静波編集長)5月20日号の解説に若干の補足を加えて説明すれば……、
▼単なる一時的な安定ではなく、長期的な戦略的枠組みであり、
▼「建設的」とは、積極的な対話と協力を通じた共通利益の拡大を両国関係の基調とすることであり、
▼「戦略」とは、大局的・長期的な視点で枠組みを設計することであり、
▼「安定」とは、その枠組みからの逸脱を防止し競争を抑制することである。
▼「建設的な戦略安定関係」をさらにブレークダウンした行動指針は、
- 協力主導の積極的安定:世界で一、二の経済大国である両国は、気候変動、AI、公衆衛生、核非拡散などグローバルな課題で共通の利益を有しており、協力を関係の主軸として積極的に共通の利益を拡大していく。
- 競争を適度に保つ健全な安定:大国間の競争は不可避だが、無制限なゼロサムの対立ではなく、ルールに基づく適度な競争に留め、健全なバランスを保って過熱を防ぐ。
- 対立の抑制が可能な常態的安定:台湾問題、貿易摩擦、南シナ海、重要鉱産物の供給など敏感な争点はあるが、対話やメカニズムで管理し、常に安定状態を保つ。
- 平和を期待できる持続的な安定:長期的な視点で平和共存の展望を開き、持続可能な関係を築く。
――の4点で、これが「トゥキュディデスの罠」を避けるための具体的な方策となる。
▼このための実体的メカニズムとして、中米の「貿易委員会」と「投資委員会」を新たに設置する。
「言葉の国」である中国が、殊更に用語にこだわって中米の新関係を立体的に定義し、周到に準備してトランプを迎えたことがよく分かる。
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「アメリカの臨終」とともに消滅する覇権システム
こういう体系的な戦略思考(つまりインテリジェンス)が不得意なトランプが、中国側の提言に対して丁々発止の議論を挑んだとは考えられず、細かいことはよく分からないけれども「まあ、協力をベースとして積極的に対話をしていくというのはいいんじゃないか」くらいのことでこの提案を受け入れたのだろう。
これを彼の理解の範囲で翻訳すると「米中は2つの偉大な国であり、それを私は『G2』と呼んでいる」(14日収録のFOXニュースのインタビュー)という表現になる。
「このG2という言葉は、米国と中国を同等の超大国と位置づける意味で使われる」のが普通で(16日付読売新聞の解説)、そうだとするとトランプは驚くべきことに、中国を〔これから挑戦してくるかもしれない新興国ではなしに〕すでに米国と「同等の超大国」になったものと認めていて、しかも〔だから蹴落としてやってG1の座を死守しようとするのではなしに〕トップの椅子を半分譲って中国と尻をくっつけ合ってそこに留まり続けようとしているかのようである。
しかしこの「G2」論は二重三重に間違っている。
第1に、G1にせよG2にせよ覇権システムそのものがすでに冷戦の終わりと共に歴史的役割を終えていて、冷戦時代の2つの覇権国のうち旧ソ連はゴルバチョフ大統領の正しい決断によって自ら解体の苦悩の道を選び取ったのに対して、米国はブッシュ父大統領の「これで旧ソ連がいなくなって米国が唯一超大国になった」というお馬鹿な時代認識によって暴走し、イラクやアフガニスタンで、今またベネズエラやイランで、そしてもしかしたらキューバでも、やらなくてもいい戦争をやって自滅の道を突き進んでいる。
米国が覇権国であることを止めることに失敗し続けて全世界が大迷惑を被っているのが今の時代である。
第2に、従って米国の覇権に中国が取って代わるかもしれない〔G1交代論〕とか、中国と覇権を分け合うことで米国が生き延びられるかもしれない〔G2論〕とか思うこと自体が間違いで、なぜなら米国は最後の覇権国であって、その臨終とともに覇権システムそのものが消滅するからである。
覇権システムは、資本主義の勃興と共に世界史の一時期に現れた期間限定の概念であり、その下では海軍力はじめ軍事力に優れた者が未開のフロンティアを強奪してより多くの富を手にすることが出来た。が、この地上にもはや奪うべき物理的なフロンティアは存在しなくなり、従って資本主義が緩やかながらも終焉に向かい始めた中では、覇権そのものが死語と化すのである。
第3に、覇権システムがなくなると世界が大混乱に陥るのではと心配する人がいるが、そんなことはない。第2次世界大戦は、ヒロシマ・ナガサキを含めて国家同士が覇権を求めて軍事力の限りを尽くして争うことの凶悪性、悲劇性、空虚性を誰の目にも明らかなように示し、その血と涙の教訓から国連が生まれ、一国一票の完全フラットな多国間主義の対話システムとその下での侵略戦争の禁止、紛争の平和的解決を旨とする国連憲章を掲げた。
それを裏切って覇権戦争の泥沼に世界を再び引き込んだのは米国とソ連であり、上述のようにソ連が自己破壊を断行してそこから離脱した後も今なおその道を突き進んでいるのは米国である。そういう意味で、戦後の国際秩序の本道は「多国間主義」であり、それを撹乱した邪道が「覇権主義」であった訳で、だから中国も、今やプーチンのロシアも、例えばマハティール=マレーシア元首相も、誰もが「多国間主義に戻れ」と言うのである。
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トランプの「しおらしさ」に見る米国の落ちぶれた姿
「トランプ氏は北京滞在中、珍しく『沈黙』を続けた。一部米メディア〔FOXニュースのこと〕のインタビューに答えたものの、普段と異なり記者団の質問に答える場面はほとんどなかった」(16日付日経)。
前号で述べたような、歴史的な物差しの「数千年か数百年か」という長さ・重みの違いということがベースにあったことは間違いないが、さらには落ちぶれた元超大国が生きのいい新超大国に「すがりついては突き放される」という新しい現実に気が付いて、それに打ちのめされたのではないか。
【関連】「何のオーラも発しない」姿を露呈したドナルド・トランプ。なぜ米中首脳会談で米国大統領は“疲れ切ったお爺さん”的表情を見せたのか?
そのことを4分の1世紀前に正しく抉り出していたのは、フランスの皮肉っぽい文明評論家=エマニュエル・トッドの『帝国以後』である。本誌は2003年のその和訳(藤原書店)の出版直後から何度もそれを引用しているが(例えば高野著『滅びゆくアメリカ帝国』、にんげん出版、2006年刊のP.212)、しつこくもう一度。
▼アフガニスタンとイラクに対する派手な戦争は、米国の強さよりも弱さの表れである。
▼弱さとは、経済的に見て米国はモノもカネも全世界に依存して生きるほかなくなっていることであり、外交的・軍事的には、それを維持できなくなる不安からことさらに好戦的姿勢を保って、自国が世界にとって必要不可欠な存在であることを証明しようとするのだが、欧州、ロシア、日本、中国など本当のライバルを組み敷くことが出来ないので、イラク、イラン、北朝鮮、キューバなど二流の軍事国家を相手に「劇場型軍国主義」を演じるしかないのである。
▼こうした米国の酔っ払いのような情緒不安定は、要するに、冷戦の終わりに際して「冷戦という第3次世界大戦に勝ったのは米国で、今や敵なしの“唯一超大国”になった」という誇大妄想に陥ったことによる。
米国がモノもカネも全世界に依存して生きるほかなくなっているというのに、米国は世界中の国々から貪られている被害者だという錯覚から、大々的な関税戦争を発動して自ら混乱に陥り、自国の最高裁からそれを違法だと指摘されてすでに徴収した関税の返金を迫られるという不様な事態に追い込まれたのは、つまりは自国が世界の中でどういう地位にあるかの認識がまるで狂っているからにほかならない。
ベネズエラの大統領夫妻を米国に拉致して牢屋にブチ込んだり、イランの最高指導者とその家族を爆殺したのは、ベネズエラやイランが二流三流の軍事国家で、それを相手にテレビ映りのいい「劇場型軍国主義」を演じても自国に対する報復がなされないからであり、もしそれが米国の外交・軍事原則であるのなら、中国に対しても同じ原則を適用すればいいではないか。
それが出来ないとなると、一転、卑屈になって歯の浮くようなお世辞を言ってすがりつくようなしおらしい態度を示すというのは、中国が今や一流の軍事国家になって無闇に圧力をかけたり軍事的に恫喝したりしたら大変なことになると知ったからである。恥ずかしい米国の落ちぶれた姿である。
こういうことの結果、台湾問題はこれからどういう展開になるのかは、次号以降で考察しよう。
(メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2026年5月25日号より一部抜粋・文中敬称略。ご興味をお持ちの方はご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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