SNSやスマホ、コンビニ、LINEと、情報量と便利さに溢れた令和の時代。しかし、不便で不自由だった昭和の時代を生きた世代は、ふと「あの時代の豊かさ」を懐かしく思い出すといいます。情報化と引き換えに私たちが失ってしまった「何か」とは何なのでしょうか。今回のメルマガ『富田隆のお気楽心理学』では、心理学者の富田隆さんが、駅前商店街での触れ合いや公衆電話での恋愛など昭和の豊かさを振り返りつつ、心を昭和に旅させる「マインドトリップ」と、便利さを敢えて手放してみる「便利断ちキャンプ」を提案します。
昭和の思い出 ありますか?
最近、「昭和」と「令和」の比較、といった話がSNSを賑わせています。
まあ、半世紀も過ぎればいろいろと変わりましたから、様々な切り口から、如何様にも両者の違いを論じることはできると思います。 「十人十色」「百人百様」で「千差万別」な比較論に花が咲くことでしょう。
私自身が一番感じるのは、「情報量の爆増」といった違いでしょうか。 個人のもとに毎日飛び込んで来る「情報」の量、そして個人がアクセスすることの可能な「情報」の量、さらには、意図的にまた無意識に個人が発信している(垂れ流している)「情報」の量が、この間、指数関数的に爆増したのです。
逆に言えば、昭和時代の生活は、(今と比較して)ごくわずかな「情報」に関わっていれば普通に生活ができた時代でした。
しかも、そうした情報の多くは、組織や集団が「共有」している情報でした。 ビジネスマンなら朝、『日経新聞』に眼を通していれば、同僚の会話に付いて行けましたし、女子高生なら『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』を前の晩に見ておけば、翌日の友人たちとの会話に不自由することはありませんでした。 小学生なら、『8時だョ!全員集合』でしょうか。
当時は、メールや「LINE」も、SNSや「ヤフーニュース」も、「TikTok」や「YouTube」も、ありませんでした。 その前にまず、インターネットやスマホ、パソコンといったものが無かったのです。
やたら不便な時代だった
昭和の昔は、「インターネットもスマホも無い時代」だった、と聞かされて、現代の小学生や中学生なら、自分たちがこの令和の時代に生きていて「本当に良かった」と思うでしょう。 ついでに、「『ゲーム』も無かった」、それに「コンビニ」や「アマゾン」(両者を支えているのは「情報処理技術」)も無かった、と聞かされれば、さらに驚いて、「昔の子供たちはどうやって生活していたんだろう」と不思議に思うかもしれません。
「友達と、どうやって連絡を取り合っていたんだろう?」 「知らない言葉もググれないわけ?」 「新曲とかバズってるダンスとか、チェックできないの?」 「電車の中で何するの?」
といった具合に、その「不自由さ」に次々と気付くはずです。
確かに、この半世紀で世界は随分と「便利」になり、個人が情報を使える「自由度」は飛躍的に高くなりました。 現代しか知らなければ、そうした「自由」がゴッソリと奪われることに愕然とするはずです。
しかし、何も無かった?昭和時代を実際に生きていた年寄り世代、少なくとも、この私なんぞは、ちょっと反応が違うのです。 あの、「不便」で「不自由」だった時代に、単なる「郷愁」を感じるだけでなく、あの時代ならではの「豊かさ」、情報化による便利さと引き換えに失ってしまった「何か」を思い出すのです。
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人と人との直の触れ合い
しかし、その「何か」を一言で表すのは難しいのです。
たとえば、私たちは「便利なお店(コンビニエント・ストア)=略してコンビニ」が当たり前の時代に生きています。 それはそれで素晴らしい。 しかし、時々、駅前の商店街に並んだ「小売店」を懐かしく思い出すことはありませんか? 「魚屋さん」に「八百屋さん」、「肉屋さん」、「駄菓子屋さん」・・・ これらは、スーパーが当たり前となり、さらには、コンビニやアマゾンを誰もが使う時代となるにつれて、少しずつ姿を消して行きました。
こうした昭和の個人商店には血の通った温かいコミュニケーションがありました。 店主とお客の関係が、いつの間にか、地域共同体の顔馴染みどうしを結ぶ「絆」を形作っていたのです。 昭和の主婦は魚屋さんや八百屋さんとの会話から、多くのことを学んでいました。 店主の方でも、常連のお客さんそれぞれの家庭の事情やら好みやらまで把握していて、そうしたマーケティングの知識が品揃えや客への「お薦め」にも反映していました。
恋愛を巡る事情もずいぶん変わりました。 もちろん、「マッチングアプリ」などという危ないものは昭和には無かったのです。
「LINE」が当たり前の今日では、便箋にしたためられた「恋文」を郵便で受け取るなどという、アナログでロマンチックなやりとりはめったに有りません。 誰もがケータイを持っている今日では、公衆電話のボックスから恋人の家に電話をするなどというスリル満点の冒険も不要になりました。
相手の家の黒電話には、誰が出るのか分からないのです。 恋人のお母さん、いやお父さんが出るかもしれません。 ですから、誰が出ても良いように、できるだけ礼儀正しく、大学の同級生とか会社の同僚とか、パブリックな関係者が大切な用件を伝えるために電話をかけているかのように装わねばなりません。 昭和の恋愛には「演技力」も必要でした。
昭和にマインドトリップ
ちょっとだけなら、昭和の時代に「タイムスリップ」してみたいと思いませんか? あの頃には確かに有った、そして今は失くしてしまった「何か」を取り戻したいと思うのは私だけではないでしょう。
方法はいくつもあるはずですが、簡単なものは「マインドトリップ(mind trip)」です。 自分の精神をあの頃に「時間旅行」させるのです。 時間の針を逆回しにして、「情報化以前」のアナログ時代へと逆行するのです。
お薦めなのは、危ない薬を使わずに、当時の音楽や映像、なつかしい写真といった「小道具」を使うことです。 今、手元に何も無ければ、あの頃の「歌」を思い出して、アカペラや鼻歌で歌ってみるのも一案です。 もっとも、スマホさえあれば、YouTubeで音楽や映像をすぐに再生できますね。 こうした文明の利器はいくらでも使って良いのです。 大切なのはあの昭和の時代にドップリと浸ることです。
できるだけ、他人に邪魔されず、一人っきりになれる場所を探して、ゆったりとくつろぎ、心と身体をリラックスさせてください。 呼吸を深くゆっくりと整えれば、「マインドトリップ」の準備はできました。
小道具を見たり聴いたりしながら、当時の自分が夢中になっていたことを思い出し、もう一度あの時代を「追体験」してみてください。 失敗した恋愛をもう一度やり直したって良いのです。
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便利断ちキャンプ
「マインドトリップ」は自分の人生をもう一度生き直すようなものです。 ずらりと並んだ「並行宇宙」の別の時間軸に迷い込む体験と言っても良いでしょう。
何度か「マインドトリップ」を繰り返していると、それだけでは物足りなくなるかもしれません。 そうなったら、今現在の生活をちょっといじってみてはどうでしょう。
たとえば、情報化によって出現した「便利なもの」や「便利なサービス」のうちの何かひとつを選んで、できるだけそれを使わないで生活するのです。 別に、ずっとそうしろという訳ではありません。 1日とか2日とか、自分で決めた期間だけ、できるだけその便利な「文明の利器」を使わずに、既に昭和時代にもあったもので代用するのです。
便利な環境から自分を切り離すのですから、これは、一種の「キャンプ」のようなものです。 「便利断ちキャンプ」ですね。
たとえば、「LINE断ち」。 いつもなら、メールやLINEなどを使って「伝言」で済ますところを、グッとこらえて、敢えて相手に「電話」して用件を伝えるのです。 この時、ケータイは使ってもOKです。 「罰ゲーム」じゃないんですから、固定電話や公衆電話を使う必要はありません。 大切なのは、用件をLINEへの書き込みで済ませず、直接、「会話」で相手に伝えるという点です。
言葉を使ってのやり取りの方が、自分と相手の関係は「温かいもの」になります。 相手の声の調子から微妙な感情の変化も伝わって来るでしょう。 会話のキャッチボールから、思いがけない「提案」や「計画」が生まれるかもしれません。
子供たちが山やキャンプで誰かと仲良くなり、「親友」を作るように、便利な「文明の利器」を敢えて「断つ」体験は、あなたの「人間関係」にポジティブな影響をもたらすはずです。 少なくとも、そこからたくさんの「気付き」や「ヒント」が得られるでしょう。
キャンプから帰った時、文明の利器に囲まれた現代の生活のありがたさを痛感することがあります。 同じことは、「便利断ち」をやった後にも起こります。 種々の情報機器や情報サービスのありがたさを再認識することで、これらの「使いこなし」が上手くなるのです。 現代の「人間関係」はこれらによって支えられていますから、そうした「利器」を上手く使えることは人間関係にとってもプラスになるはずです。
ただし、そうした良好な人間関係が、さらに、お互いの肌の温もりを共有できるような親密な関係にまで発展するかどうかは、あなた次第です。
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