「ジャズの帝王」と呼ばれたマイルス・デイビスが、今年、生誕100周年を迎えました。革新的な音楽を生み続け、時代を変えた巨人。その名前からは、近寄りがたい孤高の天才というイメージも浮かんできます。しかし、彼を知る人物の証言から見えてくるのは、そんなイメージだけではなかったのです。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』ではジャーナリストの引地達也さんが、生誕100周年を機にあらためてその音楽の軌跡を振り返りながら、世界を圧倒したマイルスの「巨人」と「人間」の二つの顔に迫ります。
マイルス・デイビスの100年と巨人が持つ2本の傘
「ジャズの帝王」と称され、ジャズのみならず音楽全般に革新的な演奏を演じ続け、65歳の生涯を駆け抜けたマイルス・デイビスが、今年5月26日で生誕100周年となり、それに関するイベントや評論、発言がメディアで頻出している。
ソニーミュージックでは「20世紀最大の音楽家/カルチャー・アイコンのひとりとしていまだに影響力の衰えないマイルスのレガシーをさらに広めるべく、生誕100周年記念企画『MILES 100 ─マイルス・デイビス生誕100周年─』が始動する」そうだ。
こう書き始めると、不思議とマイルスのトランペットが流れてくる。
クールで切ないあの音色がリフレインする。
マイルスの先にも、マイルスの後にも、あの音色はいない。
あらためて偉大さを実感するが、実はまだまだマイルスを理解していない、という自分の無知さも突きつけられることになる。
ソニーミュージックでは、マイルス・デイビス財団公認のもと、日本オリジナル・コンテンツの発信、新たな音楽商品の発売を行うとし、Xアカウント「マイルス・デイビス生誕100周年日本公式」も始まった。
日本独自企画は、アルバム名盤『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』SA-CDハイブリッドエディション(MONO)とモードジャズの幕開けとされるアルバム『マイルストーンズ』SA-CDハイブリッドエディション(STEREO/MONO)のリリース。
何度も聴いた名盤だが、エディションが変わればまた新しい発見があるかもしれないと思ってしまう奥深さのあるのが、これらの名盤だ。
帝王マイルスは、チャーリー・パーカーとのセッションからキャリアを積み、巨人になっていくプロセスは私にとっては昔の話のはずだが、音楽の遍歴を追うと自分も同時代に生きているような錯覚を覚えた。
この記事の著者・引地達也さんのメルマガ
モダンジャズの全盛をトッププレーヤーとのセッションを重ね、モードジャズの先駆者として、そしてフュージョンへの道筋を示すことになるが、その変化に戸惑いながら、必死に評論家の解釈を納得しようとした思い出は、ジャズ観、あるいは音楽観のようなものを広げる作業ともなった。
とはいえ実際に楽器を演奏しない私にとって、それらの解釈は聞き手の感性を言葉で整理するに過ぎず、それは掛け値なしに格好良かったマイルスの輪郭を鮮明にしたかっただけかもしれない。
時折、来日にしての佇まいも、ファッションの奇抜さもレコードジャケットの意外さもすべて私を圧倒した。
アルバム名「ビッチェズ・ブリュー」という言葉さえも、スタイリッシュな響きと受け取って、白いTシャツにその言葉を金色のペイントマーカーで書き記したこともあった。
そんなマイルスが日本のテレビCMに登場した時には横転した。
三楽焼酎(現メルシャン)の焼酎を片手に宣伝するマイルス。当時の日本経済の強さを物語るキャスティングではあるが、テレビを見た私は、帝王が身近になったようで、ちょっとした戸惑いもあった。
生誕100年との銘打たれるアーティストは、バッハやモーツァルトのような優雅な雰囲気をまとってしまうが、ジャズミュージシャンにおいてそれが似合うのはマイルスしかいないかもしれない。
巨人は確かに生きて、日本でも生の演奏を披露していた。
巨人の素顔の一部はマイルスと個人的な信頼関係を築いていた小川隆夫氏による『マイルス・デイヴィスの真実』の中で記されている。
ニューヨークのマイルスの自宅でのインタビュー後、お腹がすいたマイルスのオーダーに応え、近くのデリにサンドイッチを買いに行った小川氏だが、サンドイッチを購入したものの急にしゃぶりの雨となり、店内で雨が過ぎるのを待っていると、雨の中、マイルスが小川氏の傘を持って迎えに来たという。
「風邪を引かれて、それでお前に訴えられたら、たまったもんじゃないからな」との憎まれ口はマイルスらしいが、この人間臭さが同居するマイルスに触れると、やはりますますジャズやマイルスを好きなってしまう。
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