世界各国がしのぎを削る、AIをはじめとした最先端技術の開発競争。その行方を左右する「人材」の潮流に、大きな変化が生まれつつあるようです。今回のメルマガ『週刊 Life is beautiful』では著名エンジニアの中島聡さんが、世界のトップAI研究者の半数近くを中国の大学出身者が占める背景と、その人材が国内に留まり始めている現状を分析。さらに高い学力を持ちながら研究成果につなげきれていない日本との違いを明らかにするとともに、我が国が見直すべき雇用と研究環境のあり方について考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです
プロフィール:中島聡(なかじま・さとし)
ブロガー/起業家/ソフトウェア・エンジニア、工学修士(早稲田大学)/MBA(ワシントン大学)。NTT通信研究所/マイクロソフト日本法人/マイクロソフト本社勤務後、ソフトウェアベンチャーUIEvolution Inc.を米国シアトルで起業。現在は neu.Pen LLCでiPhone/iPadアプリの開発。
世界のAI研究者の半分近くが「中国の大学出身」である当然の理由
中国の数理教育の水準を指摘するポスト(「中国の数理教育はガチ」)をきっかけに、中国の教育が実際に何を生み出しているのかを一次資料まで辿って調べたところ、受験制度の話より遥かに重要な事実が見えてきたので、共有します。
結論を先に言うと、世界のトップAI研究者の半分近くが中国の大学の学部出身です。そして、その人材がこれまでのように米国へ流れず、中国国内に留まりはじめています。人材を育てる競争は、すでに人材を留める競争に変わっており、いまだに博士号取得者の就職が不利な日本とは次元の違う競争が米中の間では起こっています。
世界のAI研究者の半分近くが、中国の大学出身
シカゴのシンクタンク、マクロポーロが機械学習の最難関国際会議NeurIPSの採択論文著者を追跡した調査(2022年の採択論文をもとに2023年に公表)によると、世界のトップAI研究者の47%が中国で学部教育を修了しています。米国が18%、欧州が12%、インドが5%。日本は国別の内訳に単独では挙がらず、「その他」に含まれています。
この状況は以前から指摘されていましたが、米国のIT産業が中国が育てた最優秀層を吸い上げる形で世界のリーダーであり続けてきたことは事実です。Googleなどから発表される論文に多くの中国人が名を連ねるのはこれが理由です。
なぜそうなるのか――数の力と、才能を集める仕組み
理由は三つに分けられます。母集団の大きさ、そこから才能を吸い上げる制度、そして育てた層を海外に送り出してきた経路です。
第一に、単純な数の力です。高考(ガオカオ。中国の大学入学統一試験)の受験者は年間1,300万人を超えます。日本の大学入学者は年間およそ60万人ですから、母集団が20倍以上違う。同じ割合で才能が生まれるとしても、絶対数では最初から勝負になりません。
第二に、その母集団から最上位層を吸い上げる仕組みです。ジョージタウン大学CSET(安全保障・新興技術センター)の推計では、2025年時点の理工系の博士号取得者は、
- 中国:77,000人超
- 米国:約40,000人(留学生含む)
米国の数字から留学生を除くと、中国の理工系博士は米国の3倍以上になります。しかも量だけではありません。中国の博士の約45%は「双一流」に代表される重点大学の出身で、約8割が政府直轄の教育機関の卒業生です。上位校に資源を集中させ、そこに全国の才能を流し込む設計になっているわけです。
高校段階の層の厚さも尋常ではありません。IMO(国際数学オリンピック。世界中の高校生が数学で競う大会)で、中国は2005年以降の22大会で常に3位以内に入っています。金メダルは通算116個。2022年には代表6人が6問すべて満点を取り、6人×42点=252点という満点を記録しました。IMO史上唯一の完全制覇です。国内予選の裾野は、省の予選を含めて約100万人と推定されます。
これを支えているのが制度設計です。中国では国家集訓隊(各科目60名)に選ばれると、高考を受けずに清華大学や北京大学へ進学できる「保送」の資格が与えられます。最上位層に一発逆転のルートを用意して、そこに全国の才能を吸い寄せる仕組みです。
第三に、育てた最優秀層を米国の大学院へ大量に送り出してきたことです。学部で鍛え、博士は米国で取る。この経路があったからこそ、中国の学部教育の質は世界の指標に載ってきました。そして、いま変わりつつあるのは、まさにこの三番目です。
それが、すでに国力に転換されている
人材の話が抽象論でないことを示した転換点が、2025年1月20日のDeepSeek R1でした。
高性能な推論モデルが、重みを公開した形で、しかもMITライセンスで出てきた。同社は前身モデル(V3)について、最後の学習ランにかかった費用だけで約$6million(約9億円)だったとしています(研究や試行、データ整備の費用は含みません)。それでも、OpenAIがGPT-4に投じたとされる$100million(約150億円)とは桁が違う。
1月27日には米国のiOSアプリストアの無料ランキングでChatGPTを抜き、Nvidiaの株価は約17%下落、時価総額にして約$589billion(約88兆円)が消し飛びました。米国株式市場の歴史で、単一企業の1日の下落幅として過去最大です。
さらに重要なのは、これが米国の対中半導体輸出規制の下で起きたことです。DeepSeekは輸出向けの性能を落としたチップを、より少ない枚数で使い、アルゴリズムの効率化で埋め合わせました。規制は中国の計算資源を制約しましたが、その制約が逆に「同じ性能を少ない計算資源で出す」方向の工夫を強制した形です。
そして、あれは単発の花火ではありませんでした。その後の1年半で、重みを公開するモデルの中心はすでに中国勢に移っています。DeepSeek、Alibaba(Qwen)、Moonshot(Kimi)といった名前が、開発者が自分の手元で動かすモデルの主要な選択肢になりました。
研究基盤の数字も、すでに逆転しています。文部科学省の科学技術・学術政策研究所(NISTEP)が2026年8月に公表した「科学技術指標2026」によると、
- 論文数、注目度の高い論文(Top10%)、最上位の論文(Top1%)の3指標すべてで中国が世界1位
- 中国のTop10%論文のシェアは40.6%(前年版の35.6%からさらに拡大)
- 研究開発費の総額でも、中国が初めて米国を抜いて1位
勝負を分けるのは、人が国内に留まるかどうか
ここから見えてくるのは、米中の競争の本質が「チップの奪い合い」ではなく「人の奪い合い」だということです。
米国のAIにおける優位は、長らく世界中から人を集められることに支えられてきました。中国の大学が育てた最優秀層が、米国の大学院で博士号を取り、米国の企業と研究機関に残る。この循環がある限り、中国がいくら学部教育で人材を作っても、成果は米国に計上されました。
その前提が二つの方向から崩れつつあります。ひとつは、残留率の反転(2019年から2022年にかけて、34%→58%)です。給与も研究環境も国内で成立するようになり、中国側に受け皿ができました。
もうひとつは米国側が自ら流入を細くしていること。ビザ審査の厳格化と、中国系研究者に対する安全保障上の監視の強化は、人材の流入を確実に鈍らせています。
象徴的な例が数学の世界にもあります。2026年7月のフィールズ賞は4人が受賞し、うち2人が中国出身でした。王虹氏と彼の相棒で、二人とも2007年に北京大学に入学した同期です。中国本土で学部教育を受けた数学者が同一年に2人受賞したのは史上初でした。
ただし二人とも博士号は米国(MITとプリンストン)で取り、現在の所属も米国とフランスです。中国が学部で育て、米国が仕上げて、米国が使う――まさにその構図が最後に成立した世代と言えるかもしれません。しかし、次の世代が同じ経路を辿る保証はどこにもありません。
輸出規制はチップの流れを止められますが、人が育つことは止められない。そして人が中国国内に留まりはじめたとき、規制は「時間を買う」以上の意味を持たなくなります。米中の勝敗を分けるのは、おそらくそこです。
日本の問題は、入口ではなく出口にある
最後に日本です。学力そのものは決して低くありません。PISA2022(OECDが3年ごとに実施する15歳の学力調査)の数学は536点でOECD加盟37か国中1位、TIMSS2023(国際的な算数・数学の学力調査)の中2数学は世界4位。教育の入口は世界トップ5です。それなのに、注目度の高い論文(Top10%)の数は世界13位、シェアは1.5%しかありません。
TIMSS2023には象徴的な数字があります。「数学を使う職業につきたい」と答えた中2は、国際平均が約5割、日本は約2割。学力は世界4位なのに、です。できるけれど、やりたくない。
原因は、努力の見返りが18歳で打ち切られることにあります。新卒一括採用は大学の成績をほとんど見ないため、学部の成績が大学院を、大学院が就職を決める中国や米国と違い、競争が連鎖しません。企業が博士を採らないので、優秀な学生ほど修士で就職するのが合理的になります。
ただし、ここ数年で一つだけ明確に改善しました。博士課程の入学者は2025年度に16,000人、前年比+3.0%で3年連続の増加。長期にわたって減り続けていた指標が反転しています。
効いたのは経済支援です。2021年度に始まったSPRING(次世代研究者挑戦的研究プログラム)が博士課程の学生に生活費相当額を支給するようになり、支援規模は1万人前後まで拡大しました。「授業料を払いながら3年間無収入」という最大の参入障壁が、一部の学生については外れた形です。
問題を三つの層に分けると、何が変わって何が変わっていないかがはっきりします。
- 在学中の生活費 ― SPRINGで明確に改善。進学者増という結果も出た
- 修了直後のポスト ― 2004年の国立大学法人化以降、運営費交付金は削られ続け、若手のポストは任期付きが常態化。むしろ悪化したまま
- 生涯にわたる処遇 ― 新卒一括採用と年功序列という本体が残るため、初任給を上げても、3年遅れて入社した分は生涯賃金で取り返せない
人口100万人あたりの博士号取得者は124人で世界6位。この指標が2000年代以降に長期低下していたのは、主要国の中で日本だけでした。3年連続増といっても、下がりきったところからの反発にすぎません。
そして、ここが中国との差の核心です。中国のAI人材が国内に残るようになったのは、中国が三つ目を用意したからです。給与も研究環境も国内で成立するようになった。
日本が一つ目だけを整えて二つ目と三つ目を放置すれば、育てた博士が国外の受け皿に流れるという、これまでより悪い形になり得ます。人材を育てる力が足りないのではなく、育てた人材が力を発揮できる場所を用意できていない。日本が向き合うべきなのは、教育改革よりも雇用と研究資金の設計です。人材を育てる競争は、すでに人材を留める競争に変わっています。
(本記事は『週刊 Life is beautiful』2026年8月18日号の一部抜粋です。「今週のざっくばらん」のその他の記事や「私の目に止まった記事(中島氏によるニュース解説)」、読者質問コーナーなどメルマガ全文はご購読のうえお楽しみください。初月無料です )
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