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誤算、後悔、すれ違い…216億円の名画購入をめぐるドタバタ劇

フランスの名門ロチルド家が、ある絵画2点を売却することにしました。それは画家・レンブラントの描いた貴重な肖像画。絵画は最終的にオランダとフランスが共同購入することになりましたが、そこに至るまでにはさまざまなドラマがあったのです。『出たっきり邦人【欧州編】』では、そのドラマを詳細に紹介しています。

名画の影にドラマあり・前編

18世紀後半に銀行業で成功し巨万の富を築いた、名門ロチルド家(英語読みはロスチャイルド)。

現在もロンドンとパリの2拠点で、富裕層などを対象に銀行業を営んでいるが、19世紀に始めたワイン業も着実に発展させ、ボルドーワイン5大シャトーのうち2つを所有することでも知られている。

いまから遡ること1年半前。

フランスのロチルド家は、140年近くにわたって所蔵してきた絵画2点を売却することにした。

1634年にレンブラントが描いた2枚1組の肖像画である。レンブラントの肖像画と言えば、ほとんどが上半身だけだが、この2点は頭頂から爪先まで、立ち姿を等身大で収めた、レンブラントの肖像画にして最大の作品であり、希少価値が極めて高い。

また、裕福ながらも一般市民である若き男女が、自らを王侯貴族のごとく描かせたこの肖像画は、オランダの黄金時代に中産階級が台頭したことを裏付けており、歴史的価値も大きい。

しかも長年にわたって一般公開されたことがほとんどないのだから、「夜警」を筆頭に数々のレンブラントを擁するアムステルダム国立美術館としては、なんとしても手に入れたい作品である。

しかし2枚1組の価格は1億6000万ユーロ、日本円にしておよそ216億円だ。

レンブラントに詳しいディーラーの中には「2枚でその額ですか? 1枚当たりじゃないんですか?」と聞き返す人もいたそうで、お買い得だという専門家もいるが(笑)、莫大な金額であることに変わりはない。

当初から共同購入を検討していたオランダ・フランス両国の交渉が、半年にわたって一向に進捗しなかったのも、資金調達がネックだったものと思われる。

しかし去る9月30日、両国の文化相は、この肖像画2点の共同購入を正式に発表した。両政府が108億円ずつ拠出し、2枚の絵画の半分ずつ(!)を所有する。

実は、この結末に至るまでの半年間に、絵画を巡ってさまざまな人間模様が展開されていたのである。

大臣とレンブラントと美術館

この物語の第一幕は、パリのロチルド家の寝室ではじまる。寝台に面した壁には、オーピェン・コピット婦人とその婚約者、マールテン・ソールマンスを等身大で描いた、2枚の肖像画が掛けられている。

この半年間、2人の肖像画の行き先は定まらないままだった。アムステルダムか、パリか、はたまた中国の大富豪の元に引き取られるのか?

とりあえずはっきりしていたのは、フランスのロチルド家がこれらの絵画を売りに出していたことだけ。

この作品の輸出許可を発行したフランス文化省も、これらの作品を国の財産とはみなさず、自国で購入するつもりもなかった。

これが、フランスの文化相ペルラン女史の大きな誤算であり、これから起こるゴタゴタの発端となる。やがて「1877年以来、ロチルド家の所蔵品としてフランスに在った2作品を、みすみす他国に譲り渡してよいのか?」と国内の各方面から批判を浴びることになり、ペルランはなんとか仕切りなおしをしたいと考えはじめた。

そんな彼女にとって、これらの作品を虎視眈々と狙うオランダのアムステルダム国立美術館は、邪魔者以外の何者でもない。しかも同館長のペイベス氏は、持ち前の不屈の精神と名誉心を発揮して、ロチルド家が提示した216億円をかき集めようとしていた。

ここで登場する第3の役者が、オランダの文化相ブッセンマーカー女史である。

彼女は、急にそれだけの資金を集めようとする館長の試みをさすがに無理と見て、フランスの「同僚」、ペルラン文化相に相談をする。

代わりに両国で共同購入したらどう? それぞれが1枚ずつ所有すれば…。

しかしこれも、後に誤算であったことが判明する。

ブッセンマーカーにとって「意向」にすぎなかったこの提案が、ペルランにとっては「拘束力を持つ取り決め」だったのだ。

フランス文化の守護者たる我が身の名誉を挽回する絶好のチャンスだったので、ペルランがそう主張するのも無理はない。

重要にして稀少なレンブラント作品は、仏蘭共同購入のおかげでヨーロッパにつなぎ止められ、フランスでは無敵の概念「文化振興」の象徴となるのだ…!

2人の文化大臣がタッグを組んだことで、ペイベス館長の熱意と目標達成衝動に拍車がかかる。

だが、半年間資金調達に奔走してきた彼も、国の助けがなければ実現は無理だという事実と向き合っていた。そこで、民主66党の党首を介して、下院議会に協力を求めることにした。

この党首は、学生時代に美術史と考古学を専攻し、しかも競売人としての学もある、ユニークな経歴の持ち主である。今回の壮大な絵画購入劇で、館長に一役買ってくれと請われたときには、決して悪い気がしなかっただろう。

そして、この党首の呼びかけに応じて、7人の党首が秘密裏に会合した。場所はハーグのビネンホフ(オランダの永田町)の真横に建つ、マウリッツハウス美術館である。

フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」など、世界的名画に囲まれた独特の雰囲気の中、民主66の党首は同僚たちの気分を盛り上げ、ペイベス館長が雄弁をふるった。

文化相がフランスと交渉中であるのを知る党首もいたが、蘭仏共同購入のシナリオに元から賛成でなかった党首もいて、賛成多数で協力が決定した。

2作品の購入に必要な額の半分、108億円を政府が拠出することになった。

この場に呼ばれていないブッセンマーカー文化相は、非常に厄介な立場に追い込まれる。

突然、美術館と政府が資金を半分ずつ出し合って2枚とも購入するという話になり、その一方で、フランスのペルラン文化相と交わした約束にあいまいなところがあり、さまざまな解釈ができたせいで自らの首を絞めることになった。完全に板ばさみである。

悲劇が幕を開けた。ブッセンマーカーから「オランダ政府がアムステルダム国立美術館に資金援助する」と聞かされたペルランは激昂する。
そして、ここ半年は出てくる気配のなかった108億円を、フランス中央銀行からすぐに調達し、「“私”の取り分はいただきます」と要求したのである。さらには一方…ともすれば両方の肖像画の輸出を禁止する可能性までちらつかせた。ブッセンマーカーは、オランダでの展示が完全に不可能になる結末を恐れ、フランスとの共同購入に同意するしかなかった。万事休すである。

結果的にペイベス館長は、その大胆さで、フランスとオランダの両政府から108億円ずつを引き出しおおせたことになるが、2枚の肖像画を完全にアムステルダムに引き取るという、自ら描いた「現実的な夢」を台無しにしてしまった。ルーブル美術館にレンブラント展の開催権を提供するなど、もう少しうまく駆け引きをしていたら、今以上の成果が得られたかもしれない。

名声といらだち、自己顕示欲に駆られ、オランダは108億円を出して2枚組の肖像画の半分を獲得するに終わった。

この物語の最終幕では、若き婚約者たちの肖像画が引越しトラックに積み込まれ、アムステルダム国立美術館とルーブル美術館の間を未来永劫往復することになる。妥協と不運の結末である。

気がすまない党首たち

政府のテコ入れで2作品とも手に入れられる見通しが立っていただけに、関与した党首らは落胆の色を隠せない。

しかもアムステルダム国立美術館は一銭も出さないと言い出した。2点とも購入することを前提条件に、同美術館とオランダ政府が半額ずつ用立てる約束だったのだから、必然的といえば必然的である。館長も半年間奔走して各種財団から出資の約束を取り付けてきたが、蘭仏共同購入が決定して大前提が崩れたため、すべての財団が手を引いてしまった。最大の資金提供者だった、132年の歴史を誇るレンブラント協会(会員数約1万2000人)も6億7500万円の支援を撤回した。

オランダの政界では「まんまとペイベス館長にしてやられたのではないか」という憶測も飛んでいる。

秘密裏の会合で政府の合意を得た館長にしてみれば、とりあえず1枚は購入できる目処が立ち、うまくすれば両方を確保する展開も見えてきた。また、合意という既成事実によって、いつまでたっても資金を準備しないフランス政府に圧力をかけることもできた。もし彼が購入にこだわらず、2作品の自館展示を実現させることだけを目指していたのだとしたら、身銭を切らずに目標達成できた今回の結末は、彼の一人勝ちにも見える。

また、以前から共同購入の交渉を担当してきたブッセンマーカー文化相にも批判の眼差しが向けられている。フランスとの交渉が一向に進捗しないことは本人が一番よく把握していたはずで、それを理由にもっと前の段階で計画自体を凍結させる決定もできたはずだ、というわけだ。

この結末に、例外的に納得しているのは、例の会合をお膳立てした民主66党首くらいである。「2枚ともオランダで所有できたら申し分なかったけれど、両国で共同購入できたことも素晴らしい。国立美術館が資金を拠出できないのも、まったく無理からぬことだと思う。両国政府で半分ずつ出すのだから、民間資金の介在は必要ない」

オランダ政府の中では、文化省が40.5億円、財務省が67.5億円を捻出する見通しだ。ダイセルブルーム財務相は当初「なぜ国が全額負担しなくてはいけないのか」と、個人や財団にも出資を求める姿勢を見せたが、じきに態度を軟化させた。「前提と異なる状況になったので、美術館が手を引いたことは理解できるが、出資を求める考えに変わりはない。象徴的な額面でもいいと思う」

しかし、少なくとも数名の党首が、文化相から事実関係の説明を聞いたうえで、美術館に対する見解を示したいと述べており、まだ火種が消えたわけではない。

ただそんな党首たちも、美術館と文化相をつつくことに気を取られていると、足元をすくわれるかもしれない。

美術史家である某美術商が、巨額の税金の使途を短期間で決めてしまった党首たちの判断について、専門的な見地から鋭い分析を加えているのだ。

いまどきの名画取引事情についても知ることのできる興味深い内容なので、後編でご紹介したいと思う。

(オランダ・アイントホーフェン郊外 あめでお)

image by: Shutterstock

 

『出たっきり邦人【欧州編】』
スペイン・ドイツ・ルーマニア・イギリス・フランス・オランダ・スイス・イタリアからのリレーエッセイ。姉妹誌のアジア・北米オセアニア・中南米アフリカ3編と、姉妹誌「出たっきり邦人Extra」もよろしく!
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