2006年、当時全国最年少の36歳で佐賀県武雄市の市長に就任するや、しがらみを排した大胆な市政運営で注目を浴びた樋渡啓祐さん。市立図書館の管理をTSUTAYAの運営会社に委託し成功を収めたニュースをお聞きになったことがある方も多いと思います。住民訴訟やリコールを受けたことなどもありましたが、一地方自治体に過ぎなかった武雄市の知名度アップや、刺激を受けた他の地方都市の奮闘を促したという功績は大きく評価されるものです。
そんな市長の職を投げ打って臨んだ2015年1月の佐賀県知事選では惜しくも落選。現在は地方創生アドバイザーとして様々な自治体から引っ張りだこという樋渡さんのメルマガが『樋渡啓祐の地方創生ここだけの話』で、毎月第1・第3月曜日に武雄市長時代、いやそれ以上の鋭さとユーモアをもって「SNSでは書けないこと」を配信中です。今回はいろいろと突っ込んだお話を伺ってみました。
元佐賀県武雄市長・樋渡啓祐さんが色々と本音を語る
ズバリお聞きしますが、落選からメルマガ開始までの1ヶ月半は何をしていたんですか?
まさか落ちるとは思ってなかったんですけど(笑)、落ちた翌朝には起業しようと思って動き出してましたね。5時間寝た後で。
ただ僕は会社を設立したことがないので、それからの1ヶ月半は一から勉強です。登記の仕方を人に聞いたり本を読んだりして。並行して会社のHPも作ってました。
僕は「過去は死体だ」と思っているから、今日は何をしようか、次は何をやろうかと考えながら1ヶ月半過ごしてきたんですよ。
ゆっくりしたいとは思われなかったのですか?
思いました。だからバンコクにも行ってたんですよ。それをメルマガに能天気に「今、バンコクにいます」とか書いたら、いろんな人たちがやってきましたね。「こんなにつながってるんだ」なんて驚きました。だからあんまりSNSは使わないほうがいいなとか思ったりしてね(笑)。
すごかったですよ、プールがあまりにも気持ちよかったからメルマガに書いたんですけど、翌日同じ時間にプールにいたら、けっこう日本人が来るんですよ。「落ちておめでとう」とか(笑)。そこで決まったビジネスの話もありました。
僕はこれまでいろんな選挙に携わってきたんですけど、負けた人はみんな石田三成のような落ち武者みたくなっちゃうんです。僕もそうなるかなと思ったけど、意外とならなかったんですよね。明るい落ち武者、浮浪人というか。それもあって、樋渡社中っていう会社を立ち上げてもいいなと思いました。
そうは言っても選挙に落ちた日陰者だから、絶対に誰も賛同してくれないよなとも思っていたんだけど、日本人って義経が好きなんだね。判官びいきというか、それはすごく感じますね。
>>次ページ 樋渡さんがこのタイミングでメルマガを始めたワケは?
自分が「市長の像」を変えたと思っている
市長在職時代からSNSを駆使されてましたが、このタイミングでメルマガを出されたのにはどういった経緯があったのですか?
僕は割とメルマガが好きで、堀江貴文さんのも津田大介さんのも読んでいるんです。メルマガっていうのは単なる情報発信の手段じゃなくてコミュニケーションツールだと思うんですよ。お金払ってまで読んでくれるというのはそれだけ書き手に関心があるわけですし、書き手もそれに応えようとするから、一方通行じゃないんですよね、講演とかとは違って。
そしてもう1つ、メルマガの会員さんたちとサロンとか勉強会をどんどん開きたいんですよ。何百人相手にする講演みたいなものじゃなくて、20~30人くらいの小さい規模で相手の顔が分かるような、1人1人コミュニケーションを取りながらやるっていうもので、これなら一石五鳥くらいあるなって思って。だからすぐにメルマガを始めようと思いましたね。
さっきも話しましたけど、メルマガは本当のコミュニケーションツールだと思いますね、別におべんちゃらで言っているわけではなくて(笑)。選挙に落ちた時に最初に「起業する」って決めて、次に決めたのが「メルマガを出す」ってことなんですよ。
市長を辞められた時にTwitterを一度閉じられていますが、何か狙いがあったのですか?
twitterはバカばっかですから、もうやめた(笑)。なんていうのかな、僕が向いていなかったっていうのもあるんでしょうけれども、メディアとして終わってるなーと思って。ただ、ニュースや地震の情報を読んだりっていう「受け手」としては使っています。
僕はHPでブログも書いているし、それにメルマガとFacebook、この3つを連動させてメディアミックスをやろうかなと思っていますね。
市長時代に苦労したことはありますか?
ないねー、すごく楽しかった。僕はリコールも21億円っていう巨額な住民訴訟も受けたけど、苦労したってことはないですね。エキサイティングで毎日面白かった。「リコールよ、来い来い!」って思ってましたよ(笑)。バーッと集まってきたメディアの前で辞表をバンって出して選挙に持ち込んだ時なんか、「よしやった!」なんて思ったり。ある意味人生が舞台だと思っているから、そんなに深刻に考えないのかもしれないですね。自分がミュージカルの1人の役者みたいな感じで。
僕は8年8ヶ月市長をやったんですけど、「市長の像」を変えたと思っているんですね。当時最年少の36歳で登場してから、千葉市長とか横須賀市長とか次々と若い市長が登場しましたし。今度は民間人として会社を経営する立場になったので、会社で社会を変えようと思っているんです。その最強のツールがメルマガですよ。
やっぱりブログとFacebookっていうのは本音を書けないんですよね。すぐに炎上しますし。僕も何回も炎上させて黒焦げになったことあるから。それが怖い、っていうのではなく、ちゃんと書けないのが不満なんですが、メルマガは好きに書けるのがいい。
自殺未遂にまで追い込まれた沖縄・米軍基地担当時代
失礼ながら市長時代は敵が多いイメージでしたが、どうしてそんなに敵ばかりいるんですか?
それはやっぱり、言いたい放題言うからだよね(笑)。
本当に刺されそうでしたよ、白い菊は届くは、脅迫状や怪文書とかも山のように来ましたからね。今度もう1つ怪文書集のメルマガ立ち上げようかな、すごいよホント(笑)。
でも敵を作ってたことが知事選には真逆に働いたっていう。まさか知事選に出るなんて思ってなかったですからね。出るって決めてたら4~5年前からもっといい顔してましたよ(笑)。急遽決まったことですし、仕方ないですよね。
ドラマの世界みたいですね。
日常茶飯事。僕みたいな既存の価値観や既得権益をぶっ壊すっていう人間は、蛇蝎のように嫌われる。
よく「出る杭は打たれる、出過ぎた杭は打たれない」っていうけど、あれはウソですよ。「出る杭は打たれる、出過ぎた杭はもっと打たれる」ですよ。
でも堀江貴文さんも僕も、そこでのびのびやってるから余計にムカつかれて「つぶしてやる」ってなるんですね。だから知事選でつぶされたと思っていますし。でももう市長でもなんでもないし、どんなことも好きにできるから、もっと彼らがイライラすることをやっていこうって考えてますよ(笑)。
嫌がらせにめげそうになったり心が折れたりしたことはなかったんですか?
全然ないですね。内閣府にいた時に、沖縄の米軍基地の担当をしていたんですけど、あの時だけは大変で本当に電車に飛び込もうと思いましたけど。
僕がいろんなことをガンガン言うもんで、自民党からも内閣府からも沖縄県からも地元の人からも嫌われて。まあ沖縄の人に関しては、僕が去って行く時に空港に200~300人見送りに来てくれたから最終的にはシンパシーを持ってくれたみたいなんだけど、それまでは四面楚歌だと思ってたんですね。
当時、31歳の時ですね、中央線の国分寺駅のホームに電車が入ってきた時にフラッとなって、後ろの人に羽交い絞めにされて助かりました。眠れなかったし大変だったんで精神安定剤を服んでいたんですけどね。
>>次ページ 追いつめられた樋渡さんを救った海兵隊員のひとこととは?
悲しい役を演じていると思えばいい
そんなことがあった後に基地関係のある会議があって、海兵隊だとかいろんな人が来ていたんですけど、その席上で「僕はもう死にそうだ、電車に飛び込みそうにもなった」って言ったんですね。そうしたら海兵隊の人が机をドンッって叩いて、「F●CK YOU!」って言ったんですよ、僕に向かって。政府の会議で普通は「F●CK YOU」なんてありえないんですよ、禁句中の禁句なんですね。僕が「なんだー」と思っていたら、「お前はいいじゃないか、どんなに打たれようと死ぬことはない。だけど俺たちは背後から撃たれたら死ぬんだぞ。俺たちの死亡率知ってるか?」って。たしかに僕が家族ぐるみでおつきあいしていた海兵隊員もけっこう亡くなっているんですよね。複雑な心境でいると「人生はしょせんミュージカルのようなものだ、だから今は悲しい役を演じていると思えばいいじゃないか」って言うんですよ。それを聞いた瞬間にすごく楽になりましたね。そこから変わりました。どんなに辛いことがあっても死ぬわけではないし。
ですから、どんなことがあってもミュージカルを演じていると思えばめげたり心が折れたりするようなことは全然ありません。どんなに非難されても死にはしないし、お給料減らないし(笑)。今回も知事選に落ちて一瞬心が折れそうになりかけたけど、考えたらまた違う舞台があるんだからそこでエンジョイすればいいって思ったら楽しくなりました。演じる舞台が帝国劇場から青山劇場に変わっただけ。それを知らせるツールがメルマガだと思っています。
では最後に、メルマガの読者にメッセージをお願いします。
こちらからの一方通行ではなくて、ぜひ意見が欲しいですね。いちゃもんでも何でもいいですから(笑)。僕はメルマガを本当に双方向のコミュニケーションツールだと思っていますから、できるだけ応えようと思っているんですよ。勉強会とかサロンとかも開きたいですしね。
もうひとつ、メルマガを購読している人たちというのはお互いいろいろな共通点があると思うので、僕と購読者だけでなく、購読者同士もつながれるようにしていきたいですね。
『樋渡啓祐の地方創生ここだけの話』
著者/樋渡啓祐
大好きな地方活性化の今までの取組やこれからの話など、ここだけでしか書けない話をどんどん発信していきます。様々な同士の方にも参加いただき、地方創生に興味ある方に役立つ情報を届けていきます。メルマガ会員限定の少人数講演会なども積極的にやりたいと考えています。
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