自殺未遂にまで追い込まれた沖縄・米軍基地担当時代
失礼ながら市長時代は敵が多いイメージでしたが、どうしてそんなに敵ばかりいるんですか?
それはやっぱり、言いたい放題言うからだよね(笑)。
本当に刺されそうでしたよ、白い菊は届くは、脅迫状や怪文書とかも山のように来ましたからね。今度もう1つ怪文書集のメルマガ立ち上げようかな、すごいよホント(笑)。
でも敵を作ってたことが知事選には真逆に働いたっていう。まさか知事選に出るなんて思ってなかったですからね。出るって決めてたら4~5年前からもっといい顔してましたよ(笑)。急遽決まったことですし、仕方ないですよね。
ドラマの世界みたいですね。
日常茶飯事。僕みたいな既存の価値観や既得権益をぶっ壊すっていう人間は、蛇蝎のように嫌われる。
よく「出る杭は打たれる、出過ぎた杭は打たれない」っていうけど、あれはウソですよ。「出る杭は打たれる、出過ぎた杭はもっと打たれる」ですよ。
でも堀江貴文さんも僕も、そこでのびのびやってるから余計にムカつかれて「つぶしてやる」ってなるんですね。だから知事選でつぶされたと思っていますし。でももう市長でもなんでもないし、どんなことも好きにできるから、もっと彼らがイライラすることをやっていこうって考えてますよ(笑)。
嫌がらせにめげそうになったり心が折れたりしたことはなかったんですか?
全然ないですね。内閣府にいた時に、沖縄の米軍基地の担当をしていたんですけど、あの時だけは大変で本当に電車に飛び込もうと思いましたけど。
僕がいろんなことをガンガン言うもんで、自民党からも内閣府からも沖縄県からも地元の人からも嫌われて。まあ沖縄の人に関しては、僕が去って行く時に空港に200~300人見送りに来てくれたから最終的にはシンパシーを持ってくれたみたいなんだけど、それまでは四面楚歌だと思ってたんですね。
当時、31歳の時ですね、中央線の国分寺駅のホームに電車が入ってきた時にフラッとなって、後ろの人に羽交い絞めにされて助かりました。眠れなかったし大変だったんで精神安定剤を服んでいたんですけどね。