百田尚樹氏の沖縄メディアなどに対する発言が世間を賑わせています。世論を二分しているこの騒動について、京大大学院教授の藤井聡さんが『三橋貴明の「新」日本経済新聞』の中で、誰が読んでもわかるような平易な解説と、百田氏、政治家、新聞社それぞれの発言がアウトなのかセーフなのかジャッジをしています。
メディアへの「批判」と「弾圧」は似て非なるもの
今回は、百田氏の自民党での発言に端を発する一連の「騒動」についてお話したいと思います。ただし、この件は結構ややこしいものなので、極めて基本的な理論のお話から始めたいと思います。
少々長文となりますが、じっくりとお付き合いください。
スタンダードな道徳心理学理論では、
「道徳水準には客観的なレベルがある」
という事が知られています(コールバーグの道徳性発達理論)。
ざっくり言うと、善い行いをする理由が、
・そうしないと「怒られる」から(レベル1)
・そうする「ルール(規範)がある」から(レベル2)
・そうすることが「正しい」と感ずるから(レベル3)
のいずれかによってレベルが分かれます(細かく言うと各レベルは2つずつに分かれますが、それはさておきます)。
この「道徳レベル」で重要なのは、次の2点です。
- より上位レベルの人は、下位レベルの人の判断が、「手に取るように分かる」。同時にそれが「単に低いレベルの判断である」ということもまた「瞬時に分かる」。
- 一方で、より下位レベルの人は、上位レベルの人の判断が全く理解できず、自分よりも劣る判断だと勘違いしたり、理解できないから「いらついたり」する。
つまり、レベルが高い人は低い人の言うことがよく分かるが、レベルが低い人は高い人の言うことがさっぱり分からず、いらついたり、怒ったり、挙げ句には「憎んだり」する事になるのです。
具体的に考えてみましょう。
例えば、「レベル2」にとどまっている人々の典型的な主張は、
「民主主義は絶対だ!」
「戦争は絶対悪だ!」
というサヨク的言説や、
「君が代は絶対歌わにゃいかん!」
「靖国にお参りする人は立派な人だ!」
というホシュ的言説です。
これらの発言は、一見正しいように思いますが、これらは皆、「胡散臭いもの」に過ぎません。
これらに「レベル3」の視点から1つずつツッコミを入れると次のようになります。
- 「民主主義は絶対だ!」
→ いやいや、全体主義に陥った民主主義は最悪だろ。 - 「戦争は絶対悪だ!」
→ いやいや、ならずもの国家がせめて来たら戦争せにゃいかんだろ。 - 「君が代は絶対歌わにゃいかん!」
→ いやいや、だからって、どっかの学校みたいに口が動いてるかどうかチェックして処罰するってのはやりすぎだろ。だいたいこの歌で歌われている方が、そんなチェック望まれると思うか? - 「靖国にお参りする人は立派な人だ!」
→ いやいや、中には、「靖国にお参りする人は立派な人だ!」って言ってるバカが山ほどいる、って事を知ってるから、人気を得るためだけに行ってるバカもいるに決まってんだろ?
つまり、レベル2とは、
・自らのお気に入りのルール(規範)を、すべての状況に当てはめようとしている、
一方で、レベル3とは、
- レベル2で言われているルール(規範)や言説を全て理解した上で
- それぞれのルールが正しくなる「条件」「状況」は何なのかまできちんと理解し、文脈(状況・TPO)にあわせて、様々なルールを使いこなすことができる「能力」がある、
という水準なわけです。
つまりレベル3とは、現存するルール(法律ももちろん含みます!)を「超越」した「普遍的な善悪判断の能力」が養われている状態にあることを言うわけです。
だから、レベル3の人にとってみれば、レベル2の人が言ってることは全部意味が分かるし、同時に、それが、如何なる意味で間違っているかも正確に、かつ瞬時に理解できるわけです。
>>次ページ レベル2の人がレベル3の人につっこまれるとどうなる?
一方でレベル2の人々は、レベル3の人からは、自らが信じ込んでいるルール(例えばイデオロギー)を否定された格好になってしまいます。つまり、自らの存在を全否定されたように感ずるわけです。
そこで素直な方なら、あれこれ考えて、レベル3へとステップアップしていく契機を得ることができるのですが……多くの人は、そんな面倒な(茨の)道を歩もうとしません(だから、そういう人々はずっとレベル2にとどまっているわけですねw)。
だから、多くのレベル2の人は、レベル3の人からツッコまれると、レベル3の人を、
「こいつは、分かってない」
と、逆に「上から目線」でバカにしたりするわけです。
ただし、多くのレベル2も完全にバカではないですから、レベル3の言動の端々に、自分よりも正しい事を言っている臭いをかぎ取る程度のことはできる……ので、実際には多くの場合、過剰にいきり立り、いらだって、
「こいつは、何も分かってない単なるバカだ!!」
と叫び始めたり、「憎悪」したりするわけです(※こうやって、ソクラテスは殺されたわけです。つまりレベル3の人は、昔から弾圧され続けてるんですね)。
以上の話は、単なる一般論ですが、この話は、今回の自民党の勉強会での百田発言に端を発する「自民党若手議員勉強会のマスコミ言論封じ問題」を巡る、その後の世論の反応に如実に見て取ることができます。
そもそもこの問題は、
(A) 悪い奴らは、「公権力」を使ってでも潰したり弾圧するのが善だ
という意見(あるいはルール・規範)と
(B) マスメディアの報道の自由は必要だ
という意見(あるいはルール・規範)の対立構造になっています。
主として(A)はホシュ勢力が、(B)はサヨク勢力が主張しています。
通常は、これらの「ルール」は互いに抵触しあうことは無いのですが、今回は、
「マスメディアが望ましくない振る舞いをしている」
という状況だから、話がややこしくなっているのです。
だからこの問題は、「与えられたルールに従ってりゃそれでいい」と考えるレベル2の人々には、手におえないのです。
レベル2のホシュは、「メディアが悪いんだからつぶせばいい!」と叫びます。これが言論弾圧です。
一方でレベル2のサヨクは、「メディアの言論の自由は神聖不可侵なものなのだから、メディア批判は絶対許さない!」と叫びます。これがメディアの暴走を生みます。
だから、この問題(マスコミが望ましくない振る舞いをしている、という問題)をのり越えるには、レベル2の発想ではなく、
「いずれのルールを、それぞれの状況で適応すべきなのか?」
というレベル3の人々が持つ能力が求められているのです。
そうしたレベル3の視点で考えるなら、この問題は、次のように整理することができます。
「言論に基づくマスコミ批判」は、公権力者であろうがなかろうが、徹底的にやるべきである。
しかし、
「権力を使ったマスコミ弾圧」だけは、公権力者であろうがなかろうが絶対に避けねばならない。
(ただし、公権力者の場合は、弾圧となる危険性が高いため、特に慎重に対応すべきである)
ただし、この(条件分けを含んだ)「ハイパールール」を運用するためには、
「批判」と「弾圧」
の線引きを厳密につけなければなりません。
インターネットの言説を見る限り、この「批判」と「弾圧」の線引きがついていないものが大量に存在しています。
たとえば、
「政治家であろうと、特定のメディアの偏向を指弾する」
のは、弾圧ではなく「批判」であり、推奨されるべきものだと、当方は考えます(しかし、ネット界ではそれすらも叩く声がある)。
一方で、
「民間人・私人であろうと、自らの言説に影響力のある者が、特定メディアの弾圧を奨励する」
のは、批判ではなく「弾圧」となり、非難されて然るべきだと、当方は考えます(しかし、ネット界ではそれを称賛する声も大量に! ある)。
いずれにせよ、こうした「当方の考え方」に基づくと、今回の一連の発言についてのジャッジメントは、以下の様になります(つまり、以下は完全な当方の「私見」です)。
>>次ページ いよいよジャッジ、政治家、民間人、新聞の発言はアウトかセーフか
- 政治家発言1
「マスコミをこらしめるには広告料収入がなくなることが一番だ。われわれ政治家には言えない。ましてや安倍晋三首相は言えないが、文化人、民間人が経団連に働き掛けてほしい。」
⇒アウト(公権力者からの発言である点を鑑みれば、アウトとしか言いようがないと思います) - 政治家発言2
「経団連も商工会も「子どもたちに悪影響を与えている番組ワースト10」とかを発表して、それに(広告を)出している企業を列挙すればいい。」
⇒アウト(これも先と同様です) - 政治家発言3
「関連だが、沖縄の特殊なメディア構造をつくってしまったのは戦後保守の堕落だった。左翼勢力に完全に乗っ取られている。」
⇒セーフ(公権力者からの発言であったとしても、セーフの可能性がかなり高い。ただ、前後の発言に依存するので、これだけの情報では断定は難しい)
[政治家発言 参照] 百田尚樹氏ら自民若手勉強会での発言要旨
- 民間人発言1
「沖縄の2つの新聞社は絶対つぶさなあかん」
⇒アウト(としか言いようがない。社会的影響力の強い私人の公党の勉強会での発言であり、かつ、壁耳は一般には知られていないが──かつ、当方もかつては知らなかったが──党内では常識だからです)
[参照] 沖縄の尊厳・報道の自由を威圧 放言飛んだ自民勉強会
- 民間人発言2
沖縄の2つの新聞「本気でつぶれたらいいと思う」
⇒セーフ(「つぶさなあかん」と「つぶれたらいい」には雲泥の差があります。「つぶれたらいい」は、個人の希望の表明に過ぎないもので、批判の範囲内の言説だと考えます。これは、「悪い人」がいた時に「死刑になったらいいと思う」という発言は許されても「殺さなあかん」は公的には許されない、というのと同様です)
[参照] 沖縄の2つの新聞「本気でつぶれたらいいと思う」 百田氏が大阪で発言
- 新聞社発言1
「百田尚樹氏の『沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない』という発言は、政権の意に沿わない報道は許さないという『言論弾圧』の発想そのものであり、民主主義の根幹である表現の自由、報道の自由を否定する暴論にほかならない。百田氏の発言は自由だが、政権与党である自民党の国会議員が党本部で開いた会合の席上であり…」
⇒セーフ(というか、『百田氏の発言は自由だが、政権与党である自民党の国会議員が党本部で開いた会合の席上であり』と丁寧に書かれていることから、この主張には、大いに同意します) - 新聞社発言2
「政府に批判的な報道は、権力監視の役割を担うメディアにとって当然であり、批判的な報道ができる社会こそが健全だと考える。」
⇒もちろんセーフだが……(新聞社それ自身が、『強大な政治権力』を有しているという自覚が乏しいところに疑問を感ずる。「新聞社なら何をしても許されるのか?」といえば断じてそうではない。この社説の中には本来、そういう自覚も記載されるべき。それがあれば、この抗議社説はより説得力あるものとなったものと思います)
[新聞社発言 参照] 百田氏発言をめぐる琉球新報・沖縄タイムス共同抗議声明
……以上、いかがでしょうか?
以上についてのご判断は全て読者各位にお任せいたしますが、いずれにしても、サヨクやホシュの別や、自らの「立ち位置」などは度外視しつつ、こういう
「是々非々」
の判断を、常に持ち続けることが必要であると、当方は考えます。
さもなければ、人々はすぐに安直な規範やイデオロギーで判断し、言説を吐き続けるようになり、早晩
「思考停止」と「全体主義」
に社会全体が覆われてしまうようになるでしょう。
以上、長文となりましたが、皆様の是々非々の判断の「考えるヒント」になりますことを祈念しつつ、お話を終えたいと思います。
では、また来週!
藤井聡@京都大学大学院教授
image by: 百田尚樹オフィシャルウェブサイト
『三橋貴明の「新」日本経済新聞』より
経済評論家・三橋貴明が責任編集長を務める日刊メルマガ。三橋貴明、藤井聡(京都大学大学院教授)、柴山桂太(滋賀大学准教授)、施光恒(九州大学准教授)、などの執筆陣たちが、日本経済、世界経済の真相をメッタ斬り!日本と世界の「今」と「裏」を知り、明日をつかむスーパー日刊経済新聞!
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