バブル崩壊後、未だ長い暗闇の中から抜け出せない日本。むしろあがけばあがくほど、状況は悪化の一途を辿っているようにすら感じられます。なぜ我が国はここまでボロボロになってしまったのでしょうか。無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者・北野幸伯さんが「アイデンティティー・クライシス」をキーワードに分析しています。
権威喪失~なぜ日本はボロボロになったのか?
ある読者さんから、「なぜ日本はここまでボロボロになったのでしょうか?」というご質問をいただきました。私なりの考えを書かせていただきます。
社会には、「権威」が必要
まず、基本的な話として、社会には「権威」が必要です。権威とは、小室直樹先生によれば、
「何が正しいか、何が正しくないかを決める存在」
世界を見渡すと、大変しばしば「宗教」が「権威」の役割を果たしています。たとえばユダヤ教の神様は、モーセに「十戒」を与え、「これをしたらいかんぞ!」というルールを示しました。キリスト教では、イエスが、生き方の規範を示しました。カトリックには、ローマ法王がいて、神様、イエスの代理者としての務めをされています。それで、カトリック教会で、ローマ法王は大変な権威ですね。プロテスタントは、ローマ法王の権威を否定し、自分自身が直接神様、イエス様につながることを目指しました。ですから、プロテスタントの信者にとって、神様、イエス様、聖書は権威です。
彼らが作った国が、アメリカ合衆国。個人個人を見れば、「俺には権威なんて必要ないね!」という人も多いでしょう。しかし、社会全体でみれば、権威はなくてはならない存在です。
権威を否定された国では…
社会には権威が必要。しかし、その権威がなんらかのきっかけで否定されることがあります。私は、その現場をこの目でみました。そう、ソ連崩壊です。
1917年のロシア革命から1991年のソ連崩壊まで、ロシア人も含むソ連人は、「共産主義」という宗教を信じていました。「共産党」は天地のごとく盤石で、永遠の存在と信じられていた。
ところが、1991年12月、ソ連は崩壊してしまった。要するに、ソ連国民は、「あなたがたが信じていた共産主義教は『大うそ』だったのですよ!」と宣言されたのです。
新生ロシア国民はみな、「アイデンティティー・クライシス」状態になりました。
『日本人のための憲法原論』の中で小室直樹先生は、「権威が否定された社会」について、こう書いておられます。
こうした権威が否定されたときに、その人間は、その社会はどうなるか?
そこに起きるのは、まったくの無秩序です。何が正しく、何が悪いのかが分からなくなるのだから、それは当然すぎるほど当然の結果です。
ある人は暴力的になり、またある人は何をしていいのか分からなくなって無気力になる。
(p465)
これ、私はソ連崩壊後のロシアで、実際目撃しました。「まったくの無秩序」というのは本当です。90年代のモスクワ、外国人はロシアの警察官をとても恐れていました。ことあるごとに職質され、パスポート・ビザに問題がなくても、いちゃもんをつけられ、「金」を要求されるから。ある時など、「あなたのパスポートに問題ないが、ヴォッカを飲む金がない。おごってくれないか?」と正直に言われたこともあります。もちろん、おごりましたが。
こうして、アイデンティティーを喪失したロシア人は、それぞれ、「自分探しの旅」に出たのです。とても多くの人が、共産主義時代否定されていた伝統宗教(ロシア正教、イスラム教、チベット仏教など)に回帰しました。今、ロシア人は、びっくりするほど信仰的です。
ある人は、「金儲け教徒」になりました。あるいは、「欧州人道主義教徒」になった人もいます。しかし、「全ロシア的権威」は現れず、混乱が収まる雰囲気はありませんでした。
ところが新世紀が始まるころ、ロシアに新たな「権威」が現れた。それがプーチンです。ロシア経済は急成長し始め、秩序は回復しました。
日本、権威の変遷
江戸時代、日本国民は、「将軍様と幕府は、天地のごとき存在である」と考えていました。それで、日本は、世界史上まれに見る長期の平和を実現します。学問も盛んで、日本の識字率は当時、世界一だったと言います。
しかし、明治維新で幕府の権威は否定されました。代わって権威になったのが、明治天皇です。天皇は「現人神」とされ、臣民に対し、「こんな風に生きなさい」と指針を示されました。それが「教育勅語」です。内容は、
- 父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
- 兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
- 夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
- 朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
- 恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
- 博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
- 學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
- 以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
- 德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
- 進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
- 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)
- 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)
読み返してみると、「何が問題なのかわからない」立派な内容ですね。
ところが、敗戦で天皇の権威は否定されました。GHQの命令で、「現人神」が「人間」にされた。権威を否定された日本人は、当然アイデンティティー・クライシスになったことでしょう。
その後日本は、何を心のよりどころにしたのか?私が考えるのは、「会社」です。社長さんは、「権威」であり、二つのことを約束しました。
- 一所懸命働けば、絶対首にしない。(終身雇用)
- 一所懸命働けば、毎年給料を増える。(年功序列)
これで、日本は、1950~1990年まで、もの凄い勢いで成長することができた。
ところが、「権威」であり、「おやじ」でもあった社長さんたちは、「こどもたち」である「社員」を裏切ります。長い不況に耐えかねた経営者たちは、「リストラ」を始めたのです。その傾向に火をつけたのは、日産のゴーンさんでしょう。社長さんたちは、自らの行いによって、その権威を捨て去ったのです。
幕府を否定され、天皇陛下の神性を否定され、会社を否定され…。日本には権威がなくなり、再びアイデンティティー・クライシスの時代がやってきました。
最近、「戦前回帰」がトレンドになっています。これも、会社という権威が否定された国民が、新たな権威を求めている動きなのではないでしょうか(「あらたな」というか、「昔の権威」への回帰ですが)。
ロシアでも、ソ連崩壊後は、多くの人が革命前に盛んだったロシア正教に回帰しました。
戦前回帰は解決にならない
とはいえ、戦前回帰は、根本的解決になりません。
戦前に関して、「よかった」「悪かった」いろいろ意見があります。これまでは「悪かった派」が圧倒的に多かった。しかし、近年「よかった派」が力を増しています。
とはいえ、「よかった派」も決して否定できない厳粛な事実があります。それは「戦前の体制で日本は『負けた』」ということ。戦前の体制で負けたのに、また戦前の体制に戻せば、『また負ける』に違いありません。
負けても「自虐史観」から脱却できるでしょうか? できるはずがありません。日本がまた孤立し、また敗戦したくなければ、世界の趨勢に従わなければなりません。それは、「自由」「平等」「民主主義」「人権」などです。これらを否定する国は、孤立します。
どんなに中国の経済力が上がっても、あの国が「不自由」「不平等」「独裁国家」「人権無視国家」である限り、世界で尊敬されることはないでしょう。
今中国は、東シナ海で日本を圧迫しています。南シナ海では、哀れな東南アジア諸国(特にベトナム、フィリピンなど)をいじめ抜いています。しかし、世界から見れば、異質な巨大怪獣であり、「みんなでがんばって退治しなければならない存在」になりつつある。
今は、「中国の金力は魅力的だぞ!」「中国に逆らうのは怖いぞ!」と、多くの国がユラユラしている。また、アメリカの衰退が著しく、中国を有利に見せています。しかし、05年から一貫して書いているように、中国の繁栄はもう長くありません(05年出版の『ボロボロになった覇権国家』には、中国は08年~10年に起こる危機を乗り越えるが、成長は2020年までに終わると書いている。実際、中国は、08年からの危機を乗り越え独り勝ち状態になった。そして、今年から減速が顕著になっている)。
私たちは、「自立」しなければならない
かつて、父親は、家族の中で「権威」として存在していました。父は、「あれはよいこと」「これは悪いこと」と教えてくれた。しかし、学校を卒業し、自分で金を稼ぐようになると、両親も知らない世界に私たちは突入していきます(たとえば、私の両親は、ロシアのことを何も知らない)。
そうなると、人は自分自身で学び、経験し、自分自身を頼りに生きていくようになります。もちろん、尊敬する人たちからアドバイスは受けるでしょうが。
「自分のことは自分で決める」
これが「自立した人間」の条件です。日本人は、「幕府」「天皇陛下」「会社」の権威を否定され、あたかも「孤児」のようになってしまいました。しかし、「俺は自分自身の足でしっかり立ち、生きていく」と決意する人は、生き残ります。生き残るだけでなく、日本を復活させる原動力にもなるでしょう。
image by: cowardlion / Shutterstock.com
『ロシア政治経済ジャーナル』
著者/北野幸伯
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