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機動隊員が沖縄県民へ「土人」と発言する空気は誰が作ったのか?

沖縄県で市民デモの鎮圧に当たった、大阪府警所属の機動隊員が市民に向けて「土人」と発言したことが大きなニュースとなっています。「差別発言」として報道されているこの発言について、メルマガ 『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者で、ジャーナリストの引地達也さんが持論を語っています。引地さんはこの発言を「オオサカの環境で培われたもの」と語り、侮辱する意図はなかったのではないかと機動隊員個人を責める論調を疑問視しています。むしろ問題の本質はこのような発言が生まれる「空気」を作り出した日本政府にあると指摘しています。

「土人」なる言葉を発する空気は誰が作ったのだろう

沖縄県東村高江で、ヘリパッド建設に抗議する市民に、現地に派遣され警していた大阪府警所属の機動隊員が「土人」と発言したことは、菅義偉官房長官がコメントし、金田勝年法相が差別用語との認識を示し、松井一郎大阪府知事がねぎらいの言葉をツイッターで発信したことなどで、大きな波紋を広げている。

放送禁止用語として、メディアでは取り扱われなくなったこの言葉が、問題の本質としてメディアを飛び交っているのは何とも皮肉のような現象である。これを「言葉と思想・社会」という面からとらえると、どうしてもわれわれに存在する既存の差別意識の問題として考えてしまう。

ちょうど私は、この週末は大阪にいて、久しぶりに盛況な難波の街を歩き、たこ焼きや串カツを食べ、吉本新喜劇を観賞した。その時々で耳に入る「オオサカ」の人たちの会話、やりとりに、通算約7年過ごしたことで得た「オオサカ感覚」は懐かしさ、親しみやすさとともに、差別も区別もごちゃまぜで表現してしまう空気を思い出してしまう。

そして、今回の発言は、国家権力によって抗議を抑え込もうとする「大きな力」と、その力を「行使させられている」庶民の内在化した差別とのアンバランスによって生み出されたのではないかと、考えてしまう。

吉本新喜劇は面白い。コメディは人の愚かさを嘲ることでもあり、そのどうしようもない人間を包み隠さず表現するところに醍醐味がある。庶民劇の中心だから、行きかう言葉も庶民が普段使う会話となるから、それは放送コードとはかけ離れた庶民コード。そこには差別的な言葉も残ったままだ。残ったままなのは、社会には差別意識が残ったままだから、であるが、この線引きが難しい。

「マスクをしたままマスクの真ん中に穴をあけてタバコを吸っとるおかしいおっさん」

「電車の中で隙間8センチなのにお尻を入れて席を確保しようとするおばはん」

「スキニージーンズをはいて足の血が止まりそうになっている太った女の子」。

劇中や漫才で口から表現されるそれらのキャラクターやエピソードはすべて「おかしい」、そして「面白い」。これは「普通」と思われることとのギャップであり、笑いの中に「普通」の設定がある。それはごく自然に出来上がった庶民感覚の「普通」と「変」の境目である。これを巧みに表現するのが、お笑いの世界。

ブレヒトの「三文オペラ」がそうであるように、時にはその庶民の発言の一つひとつが権力に対峙する言葉だと受け取れなくもない。

大阪府警の若い機動隊員の「土人」発言は、その「オオサカ」なる環境で培われたもので、受け手からすれば由々しき「差別発言」ではあるが、その脈絡は琉球処分以降の沖縄の歴史を紐解いた上でなされたものではない。

政府という権力により治安維持の名目で「対峙」させられた立場の中で、相手と実際に肉体的に対峙する中で出た感情的な言葉である。この感情とは、相手を侮蔑するよりはむしろ、邪魔をする行動を嫌悪するところから生まれたもので、彼は警備をしなかったら、そんな言葉は出なかっただろうし、沖縄に観光に来て、現地の案内人に土人などと発言はしないのだろうと思う(勿論、本人の性格も分からないが、概ね常識的な線として考えたい)。

使えない言葉が増えたことで、差別はなくなったかもしれないが、その努力も虚しく、対立構図の中には、差別や優越の思想が入り込みやすい。

政府は現在、沖縄県辺野古地区への基地移転方針を粛々と実行する考えで、方針を貫こうという姿勢は、現場での対立を助長するだけである。人は人を踏みにじり、力で片一方を抑え込もうとする。このエネルギーは平等の中からは生まれない。差別と偏見こそが排除のエネルギー。立場によって醸成されたエネルギーの衝突は、双方にとっても悲劇である。

機動隊の土人発言はそういった排除のエネルギーが口から出たものであり、責任は排除の命令をした側にある。

警備をさせたという責任ではなく、警備をせざるを得なくなった政治の問題である。政府と沖縄の対立構造は深刻化している。この構造を解消するのが政治の知恵。武器携行が法律上許されている警察組織が暴走しないためにも、政府は直接的な通達により事態をコントロールするのではなく、平和な空気の醸成に向けた方策に知恵を絞るべきであろう。

沖縄が混乱の中にあり、基地反対運動の中で、住民の行動がエスカレートするのは、権力側が絶対的に強いのがわかっているから。小さな衝突の繰り返しは、やがて誰かの命の代償を払うことになる。それは抗議側、治安側に限らず、悲しい出来事になるはずで、その前に出来ることを政治プロセスの中で進めなければならない。

 

メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』より一部抜粋

著者/引地達也
記者として、事業家として、社会活動家として、国内外の現場を歩いてきた視点で、世の中をやさしい視点で描きます。誰もが気持よくなれるやさしいジャーナリスムを目指して。
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