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【書評】部下の育成に悩む人に教えたい、さかなクンの「夢中力」

今や日本一有名な「お魚博士」となったさかなクン。2006年には東京海洋大学の客員准教授として迎えられていますが、幼少時代は学校の勉強などまったくできなかったといいます。何が彼の才能を伸ばしたのでしょうか。無料メルマガ『ビジネス発想源』の著者・弘中勝さんは、さかなクンの著書を紐解きつつその秘密を探るとともに、人間の一番の「勉強材料」について記しています。

夢中を止めるな

最近読んだ本の内容からの話。

魚に関する豊富な知識とそのキャラクター性でテレビタレントとしても人気のさかなクンは、小さな頃から何かに夢中になる性格だった。赤ちゃんの頃から絵を描くのに夢中で、3歳の頃は公園に行って砂場で泥だんごを作ると砂場の縁全部に置けるまで帰らない。

絵本でトラックを知ってからは、道路でトラックを見ては夢中でその絵を描いていく。そして幼稚園の時には、トラックの中でもゴミ収集車に興味を持って、いつも追いかけていた。母親はそんなさかなクンを連れて、東京都のゴミ収集車の車庫に連れて行った。さかなクンはどんな遊園地や大きなおもちゃ屋さんよりも魅力的な楽園に見えて、日が暮れるまで楽しみ、初めて「感動」というものを体験した。

そして小学2年生の時、同級生がイタズラで描いたウルトラマンと戦うタコの絵に衝撃を受けて、学校の図書館や本屋でタコの図鑑を読み漁り、近所のお魚屋さんのショーケースに張り付いた。さかなクンの毎日のように夕食にタコをおねだりしたが、母は嫌な顔一つせず、お刺身、煮込み、酢の物など味付けを変えて毎日タコ料理を作り続けた

そして、日曜日になるたびに水族館に行き、タコだけではなくあらゆる魚に興味を持ち始め、閉館時間までずっと水槽の前から離れないさかなクンに、母は一緒になって最後まで楽しんだ。やがてさかなクンは、水族館の職員と顔見知りになり、近所の魚屋さんと魚の知識対決ができるほど、どんどん魚に関する知識を吸収していった。

さかなクンは学校の授業中にはノートに魚の絵を描き、休み時間は図鑑を見て、常に魚のことばかり考えていた。同級生は最初は「魚バカ」とからかっていたのに、次第に「そんなに魚っておもしろいのかよ」と声をかけてきて、話を聞いてくれるようになり、学校の中でお魚好きとして有名になっていく。

しかし、そのせいで学校の成績が悪くなるばかりで、算数のテストでは数字を見ていると数字がお魚の模様に見えてきて、答案用紙には答えの代わりに魚の絵を描いて、先生からこっぴどく叱られてばかりだった。

家庭訪問で、担任の先生からは「彼は絵がお上手で、彼の描く絵は素晴らしい。ただ、授業中も魚の絵を描いてばかりで授業に全く集中していません。もう少し家庭でも勉強のご指導をしていただけませんか」と毎年同じことを言われたが、母はいつも、言い返した。

「あの子は魚が好きで、絵を描くことが大好きなんです。だからそれでいいんです

「しかし、いまのままでは授業に全くついていけていません。今後困るのはお子さんなんですよ」

「成績が優秀な子がいればそうでない子もいて、だからいいんじゃないですか。みんながみんな一緒だったらロボットになっちゃいますよ」

「では、絵の才能を伸ばすために、絵の先生をつけて勉強をさせてあげたらいかがですか」

「そうすると、絵の先生と同じ絵になってしまうでしょ。あの子には、自分の好きなように描いてもらいたい。今だって、誰にも習わすに、自分であれだけのものを描いています。それでいいんです」

母は先生に語ったこの言葉どおり、「勉強をしなさい」「お魚のことは、これくらいにしときなさい」などと言ったことは、一切なかった。「お魚が大好きなんだから、好きなだけ絵を描くといいよ」と、いつも背中を押してくれた。これが、さかなクンが今まで一度たりとも、お魚好きを自分自身で恥ずかしいとか変だと思うことがなかった理由と言える。

そして小学生のさかなクンは、図鑑やNHKの動物生態番組で出てくる、タコなど軟体動物の権威である東京水産大学の奥谷喬司教授を知ってファンになった。「将来、奥谷先生のような立派なタコの博士になりたいです」と、タコの絵を描いて東京水産大学へ送った。すると、奥谷先生のやさしそうな直筆で、「お手紙ありがとう。日本にはタコの研究者は少ないので、一生懸命勉強してタコの先生になってくださいね。がんばってね」という返事のお手紙が返ってきた。

さかなクンは奥谷先生からの返事に感動し、卒業文集の「将来の夢」にクラスメイトたちがプロ野球選手やサッカー選手などを描く中、「将来の夢は東京水産大学の先生になることです。そしてお魚についてみんなに伝えてあげて、自分の絵でみんなのためになるお魚の図鑑を作りたいです」と、大好きなお魚の絵とともにつづった。

やがてさかなクンは、中学3年生の時に全国でも珍しいカブトガニの人工孵化に成功し、新聞にも取り上げられた。さらに高校生の時から出場し始めたテレビ東京の『TVチャンピオン』の「全国魚通選手権」で怒涛の5連覇を達成し、ハコフグの帽子をトレードマークにして、全国にその魚の博識ぶりが知れ渡った。

2006年、さかなクンは、東京水産大学を前身とする東京海洋大学に客員准教授として迎えられ、名誉教授の奥谷喬司先生からもお祝いの手紙をもらった。そして、各地での講演やテレビ出演などで全国の人たちにお魚の魅力に伝える仕事を続け、さらに自分の絵でさかなの魅力を紹介する本も出版した。大学に進学して先生になるという正規のルートとはまるで違う道で、小学校の卒業文集に書いた「将来の夢」を叶えた。

勉強ができず諦めかけていた夢を叶えられたのは、好きなことをずっと続けてこられたことそれを支えた家族の存在だとさかなクンは語る。お魚を夢中になって観察して絵を描くために、お魚は一匹丸ごと買い、水族館や海に連れて行き、学校の勉強に関しては厳しく言わなかった母。厳格だけれど魚への興味は止めなかった父や、毎日がタコ料理やお魚料理ばかりでも文句ひとつ言わず付き合った兄の存在もある。

子どもが夢中になっている姿を見たら、「やめなさい」とすぐに否定せず、「そんなに面白いの? 教えて」と聞いてあげたら、子どもはきっと喜んで話をしてくれるはず。その小さな芽が、もしかしたら将来とんでもなく大きな木に育つかもしれない、と、さかなクンは述べている。

出典は、最近読んだこの本です。日本を代表するお魚博士、さかなクンの自叙伝。小中学生の頃の話は教育理論としても参考になります。

さかなクンの一魚一会』(さかなクン 著/講談社)

小中学生の教育は「他の子のように伸びないといけない」「他の子のように勉強していかないといけない」という教育のやり方です。それは、小中学校の先生や教育委員会の方々が、別にビジネスの世界に飛び出したわけでもなくみんなそういう勉強をしてきたからで、その教育こそが一番だ、と信じて疑いません。

でも、子どもの最大の勉強材料は夢中です。勉強をすることに対しては夢中になれなくても、夢中になることがあれば、勉強をするのです。

その夢中になる環境を守ってあげられるのは誰か

学校の先生がみんなと同じ教育をしたがるなら、夢中の大切さを教え、夢中を止めない環境を作れるのは、親や家族です。社会に出たら、それは会社の経営者や上司の役目かもしれません。

確かに、一般的な仕事は苦手そうだけれども、「でも彼は、これにはやたら夢中だよな」というところに気づき、伸ばしてあげる。その夢中から能力が爆発して、自社の中に新しい事業が生まれるほどのパワーに育っていくかもしれません。

「夢中」を止めない。とことん夢中になってもらう。それが、「教育」や「育成」のもっとも手っ取り早い方法と言えるのではないでしょうか。

【今日の発想源実践】(実践期限:1日間)

  • 自分の子ども、甥や姪、部下、後輩など自分が何かを教える相手が「夢中」になっているものをノートに書く。
  • その「夢中」を時間を忘れてとことんやらせてあげるような日を作るとしたら、自分は何をしてあげられるか。ノートにまとめて、必ず近日中にやってあげる。
 image by: Shutterstock
 
 
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