毎週京都の魅力を届けてくださる無料メルマガ『おもしろい京都案内』。今回紹介されているのは、マンガや映画で一大ブームとなり、今も女性を中心に大人気の陰陽師・安倍晴明と、彼に由来する「晴明神社」です。安倍晴明とはどのような人物だったのか、そして近年パワースポットとして注目を浴びる晴明神社の成り立ちや御利益などが詳しく記されています。
平安時代のスーパースター陰陽師・安倍晴明
数年前、マンガや映画などでブームになったので「陰陽師(おんみょうじ」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか? この陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)に由来する神社と言えば、晴明神社です。
平安時代、月や星の動きなどから読み取る天文現象は天からのメッセージとされていました。国を治める天皇は、天災などを回避する方法としてその意味を陰陽師から聞いていたのです。陰陽師はいわば権力者に大事な助言をする重要な立場だったのです。その陰陽師の中でも歴史上最も有名だったのが、安倍晴明だったのです。
かつてそれほどまでに重要だったポストは一体どのようなものだったのか? 実際に「陰陽師」は何をしていたのか? 今回は陰陽師・安倍晴明と晴明の邸宅跡に建てられた晴明神社などをご案内します。
幼いころから優秀だった晴明は、陰陽師の弟子として陰陽道や天文道を学びます。陰陽道とは、古代中国で発明された陰陽五行説に基づいた学問です。それは、陰陽の二つの気と木・火・土・金・水の5元素が万物の原理だとする考え方に基づいています。
晴明が生きた平安時代には朝廷に陰陽寮(おんみょうりょう)という役所がありました。この役所で晴明は役人として働いていたのです。天文陰陽博士として星や雲の動きから宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当て、天皇に報告するといった仕事をしていたのです。晴明は陰陽寮の専門職として朱雀(すざく)天皇から一条天皇まで6代の天皇の側近として仕えていました。そしてどの天皇からも絶大な信頼を集めていたと伝えられています。
晴明神社
晴明亡き後、邸宅があった場所に晴明神社が建てられました。今でも「魔除け」「厄除け」の神社として人気があります。近年は晴明を主人公としたマンガや映画などのブームによりパワースポットとしても注目を集めています。そのため比較的若い方人が参拝に来ています。修学旅行生などがグループで来ているのを見かけたこともあります。
1005年、晴明が亡くなると、一条天皇はその偉業を讃え、1007年に晴明を祀る社を創建しました。当時は、東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は中立売(なかだちうり)という広大な敷地を誇っていたと伝えられています。
戦国時代の秀吉による都市整備や度重なる戦火などによって縮小され、衰退した時期もありました。しかし、江戸末期の式年祭以降、氏子が中心となって復興が進められました。昭和になってからは現在地の堀川通りに面して境内が拡張されました。
晴明神社から南へ100mほどのところに、堀川に架けられた一条戻り橋があります。漢学者・三好清行の葬儀の列がここを通りかかった際に、一瞬生き返ったという伝説がこの橋の名前の由来です。
嫁入り前の女性は嫁が実家に戻って来てはいけないという意味から、京都ではこの橋に近づかないという習慣があります。また、太平洋戦争中に兵役を召集された男子とその家族が無事に戦争から戻ってくるようにとこの橋を渡り願ったと言います。晴明神社の境内にはこの橋のミニチュアが置かれ、欄干の柱は平成7年に掛け替えられる以前のものが使われています。
豊臣秀吉が京都の大邸宅・聚楽第を建てた頃、この辺りには千利休の屋敷があったようです。利休は、秀吉の怒りを買い、切腹を命じられていますが、この地で切腹させられ、一条戻り橋で首をさらされたのです。
晴明神社の境内には五芒星(晴明紋)が描かれた井戸があります。五芒星は桔梗の花に似ていることから別名、桔梗門と呼ばれています。夏の季節には境内にも色鮮やかな桔梗の花が咲いています。
この井戸は晴明が霊力によって湧き出すようになり、「晴明水」と呼ばれ無病息災にご利益があると伝えられています。この地に居を構えていた利休もこの水を茶の湯として用い、秀吉もその茶を愛飲していたといいます。
境内には「厄除桃」が置いてあります。古来、陰陽道では、桃は魔除け、厄除けの果物といわれてきました。参拝者は自分の厄をこの桃に撫で付けて厄を除くというものです。「桃太郎」もこれに由来するものです。鬼を退治出来たのも桃から生まれた彼だったからこそ成しえたことでした。柿やリンゴなど他の果物から生まれていたら鬼に殺されてしまっていたでしょう(笑)。
アクセス
JR京都駅、阪急四条河原町駅、地下鉄四条駅からバスで「一条戻り橋・晴明神社前」下車
又は、京阪三条駅からバスで「堀川今出川」下車
堀川今出川の交差点を少し下がって西に入ったところです。交差点の角にある西陣織会館のすぐ近くです。
そして実はもう一つ、大阪にも晴明神社があるのをご存知でしょうか? 神社の名前は「安倍晴明神社」とフルネームが入っているそうです。最近はここもパワースポットということで注目を集めているようです。天王寺駅から路面電車の阪堺電車に乗り換えて3つ目の駅・東天下茶屋駅から徒歩5分ほどらしいです。
住宅街の静かなエリア「阿倍野」という地名と安倍晴明の「安倍」は深い関係があります。この地こそが、安倍晴明が生まれたと伝わる場所なのだそうです。ちなみに京都の晴明神社の場所は安倍晴明がこの大阪の場所から移り住んだ邸宅跡ということです。
阿倍野がこざとへんの「阿」になった理由は分かりませんが、大「坂」から大「阪」に変更されたことに関係があるのでしょうか? それか、元々、阿部だったのが安倍になったのかどちらなのでしょう?
大阪の阪は江戸時代ぐらいまでは「坂」が使われていました。しかし、「坂」という字は縁起が悪いということで変更されたのです。「土」に「反(か)」えるとか、「坂」だと転げ落ちることを連想するという理由から、「阪」を使うようになったようです。
いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。
image by: 京都フリー写真素材