「天は二物を与えず」という慣用句がありますが、実際に二物を与えられているように見える人、大勢いますよね。しかし、そんな人の長所や才能は、本当に天が与えたものなのでしょうか? 無料メルマガ『ビジネス発想源』の著者・弘中勝さんは、そういった才能に対して「不公平だ」と愚痴を言う人に「寝言を言うな」と活を入れています。
二物を取りに行く
たくさんの方面で活躍している人や、才色を持ち合わせているような人を見て「天は二物を与えず、っていうけど、二物を与えられている人はいるもんだね。不公平だよね」みたいなことを言っている人がいます。
完全に、ひがみです。
その人の能力は、本当に天が与えたものなんでしょうか? 天というものが本当に存在していて、この人にこれを与えよう、みたいなことを決めているのでしょうか?
天が二物を与えたのではなくて、その人が二物を鍛えたり磨いたりしたのです。「スポーツ万能で、成績も優秀」という人は、スポーツを頑張っているし勉強も頑張っている。「美人だし、仕事もできる」という人は、美容にも気をつけているし仕事も真剣にやっている。それは、天が与えたものではなくて、自分が頑張って取りに行ったものなのです。
それを考えると、「あの人は天から二物を与えられているなあ」と不公平を感じている人は、ただ自分が二物を取りに行っていないだけです。「これも頑張ろう、こっちも頑張ろう」と、二つのことに真剣にならなかっただけで、自分が頑張っていない、真剣になっていないことを「天が与えてくれなかった」と言っているのです。
もっとイケメンだったらよかった、と言う人に、「じゃあ500万円で顔を整形してみたら?」と勧めても、やろうとしません。もっと頭がよかったら、と嘆く人に、「じゃあ今から700時間勉強してみたら?」と勧めても、やろうとしません。
自分がやらないということを選択しているだけで、それを「天が与えてくれない」というのは、寝言にすぎません。
大抵の人は、「得意なこと」と「好きなこと」、「昔からやってること」と「憧れていること」など、やりたいなと思うことは必ず二つ以上出てきます。その複数のことを一生懸命やる人と、複数のことはやらないよ、という人がいるだけ、というわけですね。
「天は二物を与えず」という慣用句は、「一人の人間に複数の才能は与えない」という意味の言葉ですが、本当は、「いや、もともと与える天などいない」というのが本質なのかもしれません。
あなたは、どんな二物を磨いていきますか?
【今日の発想源実践】(実践期限:1日間)
- 「人よりも絶対に自信があること」をノートに書く。
- 2つ未満の場合は、どのような分野で人に負けない実力を持ちたいか、2つまでノートに書く。2つ以上かけた人は、もう1つ追加するとしたらどんな勉強や経験をしたいか、追記する。
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