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政府主導の「外国脅威論」にダマされるな。日本人が幸せになる方法

北朝鮮問題が長引くにつれ、日本国内からも「先制攻撃すべき」などといった過激な声が一部で上がっています。この現状について、無料メルマガ『グローバル時代、こんな見方も…』の著者、スティーブ・オーさんは、「庶民が恐怖を煽ることで利する勢力に扇動されている」と断言。さらに、日本人に染み付いた「アメリカ・ファースト」が、事態をより深刻にしていると分析しています。

分断が奪う地域独自の発展力──新局面を迎える朝鮮半島情勢

北朝鮮情勢で緊迫が増すにつれ、日本国内では武力に頼る声が勢いを増している。対話による解決を訴える声は今にもかき消されそうで、まるで世の中が戦争好きで溢れかえっているのではないかと錯覚してしまう。

北は攻撃してくる、武力衝突不可避、といったものも少なくない。その発信力、労力をもって緊張緩和、戦争回避に努めればよさそうなものであるが、恐怖を煽ることで利する何かが彼らにはあるのだろう。

いきなり友好とまでいかなくても、最低でも地域分断論から距離を置き、融和の方へ視線を向けるだけでも事態は全く違って見えるはずであるが、そう願うサイレント・マジョリティの至って素朴な思い──「安寧な人生」を願う声は届きそうにない。

ただ、国内の衝突論をよそに、他の国や地域では例え「射程距離内」であっても、北朝鮮の核保有を緊迫した脅威だとは捉えていない

外からの目線は非常に冷静な韓国という印象に対し、熱を帯びた発信の日米政府と、その支持率上昇を冷ややかに捉えている。

中国脅威、ロシア脅威、過去のアメリカ脅威等、幕末以降の日本には国家主導の外国脅威論が常時はびこっている。日本にはやはり何か固有の事情がありそうである。

アメリカ・ファーストは今も有効か

朝鮮半島の統一、または欧州のような共同体の実現は、東アジア地域の安定と発展へ大きく貢献するものである。

しかし、それを望むメンバー国と、分断維持が国益に叶うと位置付けるメンバー国との間で駆け引きが激しさを増していて、半島状勢を巡っては不安定さに収まりが見られない。当然のことながら、分断で利する勢力が政権と共にある国は対話による和平の道を遠ざけがちである。

しかし、朝鮮半島情勢の恒久的な解決──世代を超えたしこりを残さない円満解決──には、双方の平和的な再会以外にない。それには、北朝鮮を硬化させる最大要因となっている在韓米軍の撤退が欠かせない。これは同時に中ロの思惑を取り除き、地域情勢を大きく改善させる扉を開くものとなる。

半島から目と鼻の先にある日本には、これまでのアジア・中東地域の戦争へ一早く出陣した世界最強の開戦突撃部隊が常時スタンバイしている。半島有事の際も同じく、同部隊が第一陣を切るわけで、通常の半島常駐は韓国軍単独で十分機能する。

親米親日の韓国前大統領の失脚は、分断の歴史に終止符を打とうとする側にとって大きな前進である。しかし、そこから始まる地域の安定と繁栄に向けた第一歩は、親北政権の誕生とその安定運営を待つ必要がある。

仮に韓国で親北政権が誕生し、米トランプ政権が「日本重視」な姿勢を強調することがあれば、それは戦略的な半島からの撤退と、その後の半島共同体KUに向けた動きへのサインかもしれない。

KUが実現段階に入れば、トランプ政権は韓国との良好な関係を示しつつも、コスト削減を掲げた在日韓米軍の一本化で、国外より国内=アメリカファーストの健全性を示そうとするかもしれない。

周辺国とのイガミ合いに増税

東アジアは世界最大級の武器市場である。幕末前後、日本に提供された欧州製の武器から、終戦までアジア広域で使用された日本製のもの、そして戦後の日米共同製造のものまで膨大な量の兵器が行き交う歴史ある武器市場である。

日米政府は中国の軍拡を取り上げてはいるものの、それは「市場活性化に向けた広告のようなものであって、これまで日米が地域で取り扱ってきた規模には遠く及ばない。

また、東アジアは明治に始まる日本の本格的な世界デビュー以降、地域外勢力の関与をもって分断と緊張の歴史を綴っている。それまで数千年の均衡を保ってきた地域のバランスに、外部の支援をもって大きな「変更」が加えられ、それが今に続く地域間紛争の原点となっている。

マット・リーヴス監督の映画、猿の惑星「新世紀」では、併存か戦争かの駆け引きや、対立によって失われる和平、それによって利する者などが、「人類vsエイプ」を通じて見事に映し出されている。

歴史(=相手)を知らず、また知ろうともしない若者が、対立主義者に「愛国心」をかき立てられて戦争へと向かい、多くの仲間を犠牲にしてようやく間違いに気付くのである。

映画の外の我々の世界では、第三の勢力も加わって事態はもっと複雑であるが、共通して言えることは、地域分断によって利する勢力に支持される政権は対外的な緊張関係を和らげる外交に尽力しないという点である。

分断を扇動する者は、分断対象の民族や地域の未来へ責任を負う立場にない場合が多そうである。彼らは、自身や所属団体等を何らかの形──経済的、政治的、イデオロギー的など──で、利する目的が第一にある。

分断された地域は弱みを植え付けられ、そこを突く隙を外部へ提供し、その隙間に入り込む国家の枠を超えた資本が利権構造化し、地域主体の問題解決を遠ざけるという負のスパイラルに陥る。

その先にあるものは、周辺国とその市民らに対するヘイトであり、国際社会はそのような地域の分断を世界中で嫌というほど見てきた。

結局のところ、そうした地域の分断と緊張は、政治とそれを支援する国内外勢力の都合に終始すると言っていい。それは、武力傾注を意味し、増税、社会保障費増等が正当化され、当然その分、市民生活は質の低下を強いられるのである。

その一方で、外部勢力と共にグローバルな成長を遂げたエリート企業や、いわゆる保守、エスタブリッシュメントなどと呼ばれる層は、国際資本との強い結び付きの中で、現在、この上ない蓄財環境を謳歌している。

これが、東アジアが目指した本来の姿だったとは到底思えない。最終的に、大局的に見た地域の繁栄は共存共栄を基礎とする発展以外にあり得ない。現在のような地域分断──どちらへ付くかといった情勢にあっては、地域外勢力に力を与え続け、それらが存在感を示し、アジア本来の独自発展は抑制を解かれることがなさそうである。

未来の世代へ残したいもの

強力な外部の関与が地域独自の発展を遮断し、日本は今も欧米追随のレジームにどっぷり浸かっている

地域とは、共に文化を育み、長い年月を経て独自の発展を遂げた民族の誇りであって、それは本来家族同然である。これを基盤に世界と向き合ってこそ、地域の盤石な発展と、後世に恥じない地域固有の財産を育むことができる。

脱亜入欧に始まる白人社会への日本の想い、それは今も非常に強い。

しかし、日本人がどれだけ白人社会に寄り添おうとも、彼らは日本人の肌の色を見間違うことはない。各国で右傾化著しい保守の台頭が示しているものは、彼らにとって日本はせいぜい「アジアの良きコンタクト」までである。

残念ながら、心底から日本人を同等と考える右派の白人に私は出会ったことがない。中国がダメならアジアはそこまで──日本の欧米フォローは終わりを見ない。

後世への誇りを考えるとき、残したいものは地球の裏の大国に寄り添ってでも脱亜入欧欧米フォローの発展を貫くことではないはずである。

禅も、調和も、おもてなしも、数千年に渡る地域の営みが築いた精神である。欧州がそれを忘れ、米国がそれをよく知らないのはいたしかたないことだ。

しかし、漢の国の文字を使用し、呉の国の衣服を正装と扱い、京都から江戸に至るまで、風水を基礎に都市を築いてきた日本が、自らの出自を遠ざけ地域分断の未来をゆくのが東アジアの正しい方向であるとは思えない

一歩立ち止まって振り返れば、地域ならではの繁栄を目指す未来もまだ大きく残されている。未来世代に限らず、日本を造った建国来の祖先はどちらを望んでいるだろうか。

ただ、日本が地域共生共栄の発展を望まなくとも、中国がそれをあきらめることはなさそうである。習氏の中国の夢」とはそういうことなのだろう。

地域の分断が世代をまたいで「人生の満足度」を左右する

国土の発展を一定水準終えた国では、その政治は役割の大半を終え、国家の権限や規模を縮小させる方へと向かうものである。

北欧などがそうであるように、成熟国では政府と市民の距離は縮まり、同時に地域隣国との共存共栄を目指すようになる。そして、そのような地域の市民は、そうでない国の市民より人生の満足度が高い

他国やその市民を憎むことに人生の時間を費やす無駄と、結局はそれが自らを不幸な結果へと導くパラドックスであること、そしてそれらを避ける努力を怠らないことの重要性を教育を通じて理解する必要がある。残念ながら、日本の教育の場では、必ずしもそのような価値観を育むことへ重きが置かれてこなかった。

生れながら隣人との競争教育にさらされ、社会に出れば隣国とのいがみ合いが待っている。それは地球の裏の大国や、国際利権の「下請け人生」を全うするにはうってつけの環境かもしれないが、外から見るそのような国家国民は最終的にどこまで信頼に値するだろうか。

国際社会では広く正しい世界観を身につけていることが何よりも役に立つ。それは客観的な見地に立って史実を学ぶことで、国内にいながらも十分習得可能な国際感覚である。言語力も必要だが、時にそれ以上に重要な場合すらある。

隣接する国々との良好な関係は個々の人生に広がりを与えてくれるものである。地域間の国々との自由な往来は、それらの国々を超えてさらに先にある民俗や文化へと導いてくれる。

そこで人々は、自らの地域本来の姿を顧みて世界観を広げ、それがさらに個々の人生の枠を広げていく。最終的に、そのような市民の充実した人生観が自由度の高い社会の発展を支えていくのである。

一つ確実に言えることは、周辺国との不仲は国民不幸であり、それは当事者が気付かないほど大きな不幸なのである。

image by: Shutterstock

『グローバル時代、こんな見方も...』

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グローバル時代、必要なのは広く正しい世界観。そんな視点に立って私なりに見た今の日本の問題点を、日本らしさの復活を願い、滞在先の豪州より発していきたいと思います。

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