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非民主主義者になっている自己矛盾を認めぬ日本のリベラルたち

最近、盛り上がりを見せている憲法改正論議ですが、そこで積極的に憲法9条の改正案に異を唱えているのが、いわゆる「左派(リベラル)」と呼ばれる人たち。月刊正論「ネットバスターズ」に連載中のITジャーナリスト宮脇睦(みやわき・あつし)さんは、自身のメルマガ『マスコミでは言えないこと』で、平和主義者というイメージの強い「日本の左派」について、フランス、旧ソ連の歴史などと比較しながら、リベラル派の抱える自己矛盾を鋭く指摘しています。

左派は亡霊派と定義すべきではないか

ルペン氏が敗れ、エマニュエル・マクロン氏のフランス大統領就任が決定しました。

英国のEU離脱=ブレグジットのフランス版「フレグジット」も懸念されましたが、最初の投票で過半数を制さなければ、上位2名による決選投票となる仕組みから、そこで過半数か、限りなく近い得票を得られなかったルペン氏の勝利は事実上消滅していました。

対ルペン氏になれば、他の候補の支持者が、野合することは明らかだったからです。

マクロン氏は中道左派に位置づけられ、「極右政党」と紹介される「国民戦線よりはマシという判断です。

もっとも「極右政党」という呼称は、すでにレッテルやネガティブキャンペーンフェイクニュースに近く、ルペン氏の父、ジャン=マリー・ルペン氏が「創業」したときは排外主義も鮮明でしたが、娘に代替わりしてからは現実路線に切り換え、反ユダヤ的発言を繰り返す父ちゃんを2015年に党から除名しています。

EUからの離脱は掲げていますが、それが「極右」の証明とするなら、英国は極右の巣窟となってしまいます。保守とまではいかずとも、せいぜい「右派」というべきでしょう。

ルペン氏による、フランスの国境と価値観を守る自らを「ナショナリスト」として、EU理念を遂行しようとするマクロン氏を「グローバリスト」との分類のほうが、「極右」のレッテルよりは近いでしょう。

ただし、伝統を守るのが右、改革を求めるのが左ならば、そもそもフランスには「左右」の分類はすでにない、とは竹田宮さまの末裔、竹田恒泰氏のネット番組での指摘。

「フランス革命で王様の首をちょん切っちゃって、伝統なんてくそ食らえだってやっちゃった国」

確かに。

左右の分類そのものが、ソ連の崩壊という現実の前に再定義されないまま今に至り、各種の問題を起こしているのではないか。というのが本稿のテーマ。そして左派とはすなわち亡霊ではないかと。

日本で左派といえば、憲法9条を愛する護憲派で、日本への核攻撃を示唆して威嚇する北朝鮮相手でさえ「対話」を求める平和主義者のイメージがあります。

いわゆる「お花畑」と揶揄されるほどですが、左派の出発点をフランス革命とするなら、王様の首を跳ねるまでの暴力を用いての革命すら正当化するわけで、血の轍の果てにあるお花畑とは、まるでライトノベルの描写です。

国内左派の雄たる日本共産党が公安からいまだにマークされているのもこれが理由です。「敵の出方論」として、暴力革命を捨てきっていないとみられています。

また、しばらく話題になっていた「SEALDs」は、特定政党との関わりを否定していますが、賛同者をはじめとする状況証拠から左派であることは明らかで、それは脱原発も護憲も、安保法制も、特定秘密保護法にいまでは「テロ等準備罪」でも以下同文。ついでにいえば「保育園落ちた。日本死ね」も同じく。

こうした左派やそれに連なる人々はデモを民主主義であるかのように語りたがりますが、ネットを漁った浅学で恐縮ながら、デモはデモクラシーではなくデモンストレーションの略語で、つまりは「示威活動」であり、昭和のヤクザがみかじめ料を効率よく徴収するため、恫喝を繰り返し、繁華街を肩で風切っていたアレと同じです。

もちろん、表現や言論の自由としてのデモンストレーションを否定はしませんが、デモ参加者を上回る選挙結果を覆すものであってはならず、それが可能ならヤクザのアレも合法化されてしまいますし、一部のクレーマーのわがままが「消費者の声」となってしまいます。

彼らは民主主義を殊更さけびますが、選挙結果という民主主義の手段に訴えず結果に従わないということならば、左派を「非民主主義派」と定義しなければなりません。

知識や経験の少ないSEALDsのような若者だけではなく、また公安にマークされている日本共産党はともかく、野党第一党の民進党の有力議員までもが、共産党と連携するに至り、デモに出向きマイクを握り、採決を暴力による妨害で阻止する。

左派やそれに歩調を合わせる勢力は、そもそも「民主主義」を否定する信条だから、彼らにとっては当然のことをしているということです。

国内だけならば、島国で村社会で、GHQに押しつけられた民主主義と矮小化もできますが、世界各地で確認されている現象です。

ちなみに民主主義は日本には古くから存在します。再び竹田恒泰氏の言葉を引けば、

日本の民主主義は明治憲法からすでに始まっている

とのこと。

私は、さらに作家・井沢元彦氏が、今月の月刊正論で、聖徳太子の十七条の憲法」の十七条で「話しあいの大切さを説いていることを指摘していますが、これに日本型の民主主義の原型を見つけます。

トランプ大統領が決定したとき、暴徒化したのはヒラリー支持派です。トランプも実際には「右」ではないとはいえ、左右の対立構造で配置したときの「はヒラリー・民主党陣営です。

対して「反オバマ=人種差別主義者」という構図も作られた、かつてのオバマフィーバーの選挙結果に対して、「ティーパーティー」などの草の根保守や右翼は、ただひたすらにうなだれただけでした。

個人レベルでのいざこざはともかく、芸能人が芸能の場を私物化してまで選挙結果に異議を唱えることはありませんでした。

レディ・ガガにせよ、これらの米国国民は、民主主義の結果を否定したのです。すなわち「非民主主義派」ということ。

そして今回のフランス大統領選挙でも、デモが暴徒化した事案が発生。暴徒化したのは「急進左派」です。極右政党の支持者ではありません。

右と左と、カウンターパートが存在するかのように、理解しようとするアプローチは、そもそも「民主主義」という同じ土俵に立っている前提だから成立するのであり、そもそも論で民主主義を否定している左派との間に議論が成り立つわけがないのです。

旧ソ連における共産革命とは、特定の思想=共産主義でのみ価値観を塗りつぶそうとしました。共産主義をグローバリゼーションやポリティカル・コレクトネスに置き換えれば、いまの左派の目指す地平と同じです。

多様な価値観と言いながら、非ポリティカル・コレクトネスという価値観を完全否定して見せます。是々非々で論じ、歩み寄るということを拒否します。

壮大すぎる社会実験の果てに崩壊したのがソ連」であり「共産主義」。その実現を目指す左派とは「非民主主義派」でありますが、むしろ「亡霊派」と呼ぶべきと考えます。

ありえない幻を追い、またそれに怯える。

image by: Shutterstock

 

メルマガ『マスコミでは言えないこと』

著者/宮脇 睦

月刊正論「ネットバスターズ」連載中のITジャーナリスト宮脇睦(みやわき・あつし)が氾濫するメディア情報から社会のホントを指摘しています。マスコミは本当の「全部」を話しません。嘘つきとは言いませんが、誠実な正直者でもありません。そして「情報」はその裏に隠されている「真実」を伝えているとは限らないのです。

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