瀕死の国会。「共謀罪」可決は強行採決なのか、採決強行なのか?

 

記憶に残る「強行採決」

記憶に残る過去の「強行採決」は、昭和44年、1969年8月3日、大学運営臨時措置法が採決されたときに遡る。筆者は14歳になったばかりだったが、いわゆる東大闘争をはじめ、各地の大学紛争で世情が騒然とするなか、中学生の筆者でもよく覚えている大事件だった。因みに、その年は、東大入試が中止になっていた。5年の時限立法で、大学に対する政府の管理を強めようとする「大学運営臨時措置法」(通称「大管法」)を推進しようとしたのは佐藤栄作内閣で、当時の自民党幹事長は田中角栄だった。

このときの「強行」ぶりは凄まじく、参議院の委員会は実質審議ゼロで採決、本会議では、野党側が出した副議長に対する不信任案の審議中、議長が突然に審議日程を変更すると言いだして採決を宣言し、可決させている。

翌日の新聞がどんな書き方をしていたのか、朝日新聞のデータベースを利用して確認してみた。

朝刊1面トップは「大学措置法抜打ち成立」との大見出しで、1面のほとんどが、天声人語も含め、関連する内容で占められている。ところが、不思議なことに「強行という言葉が見つからない。2面になると、「ついに強行した自民」などという表現も出てくるが、こうした「手法」を「強行採決とは名付けていなかったようだ。むしろ、解説記事の中には「4年前の『日韓方式』そのままの非常手段」という表現があり、1965年、激しい反対運動の中で、日韓条約の批准承認案を可決させたときのやり方に準えていた。つまり、「強行採決」ではなくて「日韓方式」。

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