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まだ「3.11」は終わってない。少しも先が見えて来ない南相馬の今

先日掲載の記事「『3.11は復興』という誤解。現役教師が見た、南相馬の過酷な現状」で、「被災地に学ぶ会」のボランティア活動を通して知り得た福島県南相馬市の状況を伝えてくれた、無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教諭の松尾英明さん。そんな松尾さんが2ヶ月ぶりに当地を再訪、ボランティアの数がますます減り未だ復興という「先」が見えない被災地の現状を報告してくださいました。

みんなで少しずつやれば、できる

被災地に学ぶ会」に参加してきた。今回も、学んだことは広げるという会の使命のもと、レポートする。

今回も、場所は南相馬。2ヶ月前は、一部地域に避難勧告が解除されたばかりの頃で、まだ戻ってきている人は少なかった。その頃に比べて、全体的に良くなってきている印象である。崩れていた建物がきれいに直されていたり、すれ違う車が増えたり、住民の方々の姿もちらほら見えたりした。

ここがポイントなのだが「じゃあ、良くなってきたらからボランティアはもう大丈夫ね」となりがちだが、これが真逆である。住民が戻り始めたということは、「人手がより必要」ということである。つまり、助けて欲しい人が増えたということである。

事実、ボランティアセンターへの依頼は、増えることはあっても減ることがないという。ボランティアセンターは基本的に無償のため、依頼が増えれば触れるほど経営が大変である。そこに加えて、被災地へのボランティアの数はここ最近ますます減っているという。需要が増えてきているのに供給が追いつかないのである。

「できる時に できる人が できることをする」

が合い言葉なので、少しの気持ちがおありの方は一度でいいから被災地に足を運んでいただきたい

ボランティアの実務の内容は多岐にわたる。個人宅のことが多いが、神社やお寺といった文化財に関わることもある。引っ越しの手伝いや敷地整理が多い。以前から何度かレポートしているが、敷地の「竹」をどうにかしてくれというのはすごく多くて、かつ手強い。

どれも、大型の機械ではできず、行政からは支援がもらえず、ボランティアに頼るしかない仕事ばかりである。特別な技術者のいる団体には、大きな木を切る依頼がくることもある。今回我々の団体は大学生が過半数で、他団体に比べてかなりパワーのある集団となっていた。

今回は午前と午後で2件の依頼をこなし、草刈りと側溝の泥のかき出しをしてきた。まず1件目は個人宅の草刈り。夏らしく、草が伸び放題で足下が全く見えず、密林状態である。かなりの広さがある上、大きな石やブロック、井戸のようなものの後や切り株などが多数あり、草刈りするには危険である。各々が草刈り機をもち、慎重にやっていった(こういう時、学校の教職員は強い。学校での夏の奉仕作業といえば、草刈り機。手慣れたものである).

広い土地だったが、15人で協力したらあっという間に終わった。掘り返した木の根元から生きたセミの幼虫が見つかり、妙にはしゃいでしまう40前のおっさんの私。「この子、出てきた時に切り株じゃどっちにしろ残念だったろうなぁ」と思いつつ、土の中に返した。

大学生&中学生のペアは、手強い木の根を引っこ抜こうと、ひたすらがんばっていた。周りの大学生たちも加わり「おおきなかぶ」状態。十数分の格闘の末、やっと引っこ抜けて、大歓声&記念撮影。妙な連帯感である。

被災地のボランティア」だからといって、必ずしも悲壮感を漂わせながらやる必要はない。少しでも明るく楽しみを見つけながらやって続けていけることの方が大切である(無論、被災地の皆様への配慮は大切である。前向きにやるということである)。

今回も鍵山秀三郎先生ご提供の美味しいお弁当をいただき、午後の作業へ。次は、田んぼの側溝掘り&草刈りである。現地に行ってみると、完全に埋まっていて、どこが側溝なのかさっぱりわからない状態。数十メートルということだが、水が流れないで溜まっているために土地も沼のようになっており、作業は難しそうである。加えて、震災前からある長い小屋が邪魔で、人が入っての作業スペースの確保も困難。機械ではできず人の手を借りてしかできない仕事である。

とにかく、探しながら掘ってみることにした。この泥が、思いの外、重い。本来流れるはずの水をたっぷり含んでいる。そのせいで足場が悪い上に、植物の根がばっちり絡んで、スコップが入らない&持ち上がらない。とにかく腰が痛い。

土手を押さえていたはずのネットも倒れて絡んでいる。おまけに、濁った水を含んだ、独特の臭いがあり、三重苦、四重苦である。一緒にやっていた会の主催者の村田先生も「これは、今回少しでも進めて、次の団体にリレーかな…」とのこと。私もひいひい言いながら作業を進めつつ、「これは、今日中には終わらんな…」と半ば諦めかけていた。しかし、「とにかく、できることをする」と念じつつ、ひたすら続けた。

すると、ちょうど「これは無理だぁ~」とかぶつくさ言いかけてきた時に、依頼主の方が様子を見にきてくださった。今日ボランティアに入ってもらえると思っていなかったらしく、急いで駆けつけてくれたようである。俄然、やる気が出る。みんなでがんがん進めていったら、何か終わりそうな雰囲気が出てきた。両側から掘り進めてきた側溝の道が、合流するのが見えてきた。そして、道がつながった。水が「ザア~~~」と音を立てて流れる。みんな、満面の笑みである。依頼主の方もとても喜んだ表情を見せてくださった

依頼主さんの感謝の言葉とともに、差し入れの飲み物をいただく。とにかく道をつなげたくて、ひたすら作業をしていたため、喉がカラカラである(というより、手も顔も泥まみれで、作業途中で飲めない状態だった)。葡萄ジュースを選んで、真っ青な空を仰いで一気に飲んだ。最高にうまい。耳を澄ますと、水の流れる音が聞こえる。やった甲斐があるというものである。

今回、一番の学んだこと。それは、無理だと思う状況、先が見えない状況でも、「みんなで力を合わせるとできる」ということ。その「みんな」が集まるには、核となる部分に正しい志があること。たった一人の正しい行為には自然と多くのフォロワーがつく

無理だとか言ってる暇があったら、体を動かして、少しでも前に進めること。できた時の達成感は、次へのエネルギーになる。まだまだあるが、そんなことを感じた次第である。

結局、人様のためにやっていたはずのことがすべて自分のためになる。前回述べたように、人間の遺伝子は利他的で利己的、利己的で利他的である。主催者の村田先生は、小さく会を立ち上げて、結果的に数百人もの仲間を巻き込んできた。被災地の方だけでなく、助ける側にとっても生きる希望になっている。影響の輪で言えば、数千人規模である。そして、帰りのバスの中で、仲間と今日のことについて語り合う姿が、本当に嬉しそうである。利他的な行為が、結局自分自身にも返っている

被災地の復興は先が見えない。しかし、見えなくても多くの人の手で少しずつ進めれば確実に見える時が来る。私の大好きな、上杉鷹山の次の言葉で今号を締める。

「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」

「被災地に学ぶ会」で自分ができることは本当に少ないが、この会がある限り、これからもここで学び続けたい。

 
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【著者】 松尾英明 【発行周期】 2日に1回ずつ発行します。

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