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「クリームパン」誕生のきっかけは、あのスイーツだった

どこか懐かしい食べ物を愛情込めて紹介する無料メルマガ『郷愁の食物誌』。今回は、著者のUNCLE TELLさんが、おやつの定番「クリームパン」と「ジャムパン」の誕生秘話を紹介しています。最近は少し他の菓子パンに押され気味ですが、これを読んだらきっと食べたくなりますよ。

クリームパンとジャムパン

クリームパンは、明治38年(1905)、またジャムパンは、明治33年(1900年)に、それぞれ登場しているから、まさに一世紀の歴史を刻んでいるわけである。そういう意味でも、あんパンとともに日本における菓子パン発達の軸になった三巨頭(!)であるわけである。

しかし、現代のように菓子パンも発展し、バラエティに富み、新顔も続々登場してくるとなると、消費者の好みもより多様化しグレードの高いものへ。相対的にその比重も低下するのも致し方ない。クリームパンとジャムパン、というわけでやはり売り場での影はかなり薄くなっている。クリームパンはまあまあ見かけるがジャムパンは目にすることが少なくなっている。ジャムパンなど、あまりに今の世ではシンプル過ぎるのかもしれない。人々特に若い人はより高級志向、パンについても美味・複雑多様な味を求めているのであろう。

としても、ジャムパンはともかくクリームパンは菓子パン中の名作傑作。パンの地とあんともいうべきクリームが実にぴったりフィットしてうまいのである。最初に売りだした東京・中村屋がクリームパンで財をなしたとしても不思議ではない。

東京・中村屋の創始者相馬愛蔵は信州・安曇野の人。今の安曇野の池田町の旧家の息子だった愛蔵は、妻、良の願いもだしがたく上京、700円の大金で本郷のパン店を買いとって、ささやかな店を開いたのがが明治35年(1902年)、二人のパン屋はけっこう売れ行きもよく、ここで日本最初のクリームパンが誕生したのは、開業3年目の明治38年(1905年)だった。このクリームパン誕生秘話が「小麦粉博物誌」(文化出版局昭和62年刊)という本に紹介されている。

相馬愛蔵の追憶によると、そもそものきっかけはシュークリームだったという。ある日、彼は、シュークリームを食べ、そのおいしさに驚く。と同時に、日頃何とかと新製品をと考えていた頭にひらめいたのは、このクリームをあんパンのあんのかわりに使ってみては、というアイデアだった。

さっそく試しに作り、店へ出すと好評だ。気を良くして前から出していたジャム入りワッフルにも応用してみると、これも売れ行きがいい。折りから来店した衆議院の議員にも試食してもらうと評判がいい。こうしてクリームパン、クリームワッフルは、開業間もない中村屋の目玉商品になっていく。

なお、相馬愛蔵の妻は、後に文名黒光。彫刻家萩原碌山の絶作<女>のモデル。あるいは大正期の若き新進芸術家たちを集めたサロンの女主人としても有名になる。

ところで、クリームパンの伝統的、オースドックスなスタイルは、何故かあの野球のクローブ型。このカタチは果たして、相馬愛蔵の代からなのかわからない。

もしまんじゅう形のあんパン、かしわもちスタイルのジャムパンに対抗して、このグローブ型を考案したとしたら、愛蔵夫妻は相当なアイデアマンだろう。

 

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団塊の世代以上には懐かしい郷愁の食べものたちをこよなく愛おしむエッセイです。それは祭りや縁日のアセチレン灯の下で食べた綿飴・イカ焼き・ラムネ、学校給食や帰りの駄菓子屋で食べたクジ菓子などなど。

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【著者】 UNCLE TELL 【発行周期】 月刊

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