どこか懐かしい食べ物を愛情込めて紹介する無料メルマガ『郷愁の食物誌』。今回は、和食の定番「納豆」の起源に関する話を、メルマガ著者のUNCLE TELLさんがいくつか紹介しています。ジャワから伝来した説、中国から渡来した高僧が伝えた説など、ほかにもいくつか興味深いエピソードがあるようですよ。
納豆の起源
納豆については、この「郷愁の食物誌」で、2003年の6月から7月にかけて「納豆ネバネバ物語」と題し、3回に渡って書いたことがある。その中でも触れたが、日本では文献など、室町時代に糸引納豆が現われるので、もしかしたらその頃鉄砲やカボチャなど南蛮物の一つとして、ジャワから伝来した可能性もあるという。
ところで、納豆は特に日本だけのものではないという。中尾佐助著「料理の起源」(NHKブックス)という本に、ナットウのトライアングルというのが出てくる。日本の糸引納豆に似たものが、ジャワ、ヒマラヤの中腹である東ネパール、シッキムブータン辺りにあるというのである。ジャワのものはテンペ、ヒマラヤのものはキネマと呼ばれる。この辺が、納豆がジャワから伝来したのではないかともいわれる所以である。
ところが、前にも紹介したことがある「食べ物のヒソヒソ話」(青春出版社刊)という本に、納豆のルーツについても記載があったので、その中からいくつか紹介してみよう。もっともこれは、確たる証拠にもとづくものでなく、みな伝説に類するものである。
まず、鑑眞和尚説。鑑眞は数度の難破に遭いながら、754年(天平勝宝6年)日本に渡来した中国の高僧。その鑑眞が納豆の製法を伝えたというもの。
また一方、平安時代後期、源義家(八幡太郎)が納豆誕生に関わったという説があるとか。納豆菌の発見は、義家が1083年~1087年に起きた後三年の役を平定した頃のこと。陣中で兵糧として集めた大豆を煮ている最中に敵に襲われた。
そのため、義家は、煮た豆をワラに詰め馬の鞍に付け応戦、数日後、戦いが終わり、ワラをあけて見ると、 納豆菌が大繁殖、煮豆が糸引納豆に変化していた。兵士の多くは「腐った豆」として捨てていたのだが、義家をそれを口に運んでみて、食べられるものと気づく。それ以来、納豆が兵糧にされるようになったというのだが..。
そのほか、千利休が厩(うまや)のワラに落ちていた味噌豆のカビから、納豆を発明したという説もあるとか。先に書いた通り、以上の説に、確たる証拠があるわけではない。
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