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なぜ信州のスローフード「おやき」が、全国区の味になったのか?

「おやき」といえば、信州・長野の名物として全国的に知名度が高いご当地グルメの一つですよね。しかし、無料メルマガ「郷愁の食物誌」によると、実はおやきは長野県内でも食べる地域とそうでない地域があるのだとか…さらに、おやきが長野だけの食べ物でもない、という驚きの事実を伝えています。知られざる「おやき」の真実が明らかに!

信州のスローフード「おやき」

--信州には、行事や仏事に因んだ“ハレの日”におやきを食べるという習慣がありました。また、日常“ケの日”に食べられていたおやきもあり、“ハレ”“ケ”共におやきが食卓には欠かせない食べ物だったのです。現在もお彼岸やお盆にはおやきを食べるご家庭は多いのですが、歴史を掘り返すとまだまだたくさんの【おやきを食す日】があるのです。--

これは、”信州のスローフード おやき”をキーワードに検索して出てきたあるおやき専門店のホームページに載っていた記述である。

確かに信州の”おやき”は、野沢菜漬けとおなじように全国的に有名となり、海外へ進出したという話もあったが、その後どうなったか。また先の1998年の長野オリンピックで、信州のおやきを味わいファンになった各国の選手も中にはいたのでは。

ということで今やおやきが、信州を代表する伝統の郷土食ということにもなっているようだ。しかし冒頭の記述に少々異議を唱えたいのだが、おやきが、何世代も前の昔から信州一円で作られてきたのように思われがちだが、実はそうではない。おやきという呼び方も含めて、それはあくまで北信(信州の北部地域)と東信の一部で伝承されてきたのものだと、私は思っている。

事実、中信の松本の近郊育ちの私は子供時代、今にいうおやきなど口にしたことはなかった。母親が良く作ってくれたのはふかしまんじゅうだった。伊那地区にも北信と中身と作り方が同じものがあるが、それはおやきとは呼ばなかったという。

むしろ伊那・木曽地で盛んだったのは五平餅の方だが、おやきに較べて今も全県的な広がりは見せていない。

信州おやきは名物へ

おやきが全県的に広がったというのは、作り方が容易で一般家庭に普及したというよりは、店で売る商品として好評でヒットしたからである。”信州名物おやき”は、かくたる次第で、信州のどこへ行っても売っていて、貴重な観光資源にもなっている。

信州の各市町村がその物産を持ち寄る市が毎年、長野・松本で開かれている。(松本では今も続いているが、長野市では途絶えたかもしれない。)そこでもむろんおやきも登場する。町々村々でみな、おやきの製法等が異なっていて面白い。昔ながら各地で作られたという麦焼き餅、ソバ焼き餅も分類すればおやきなのだろう。

長野県短期大学教授(現名誉教授)の三田コトさんによれば、日経新聞に、「信州のおやき」・愛情こめた「スローフード」と紹介されたことがあったとのこと。地域で採れる食材をおいしくつくる工夫をし、手間を惜しまず作られてきた郷土食おやきが内容の良い記事で全国版に載って良かったと喜んでいた。三田さんによれば、この種の食べものは、名前こそ違え昔から全国にあったといい、その食べもの”おやき”が生き残った県が信州だというのである。

切り干し大根のおやき、鉄火ナスのおやき、丸ナス輪切りのおやきなど、実にユニークでおいしく好きだ。おやきは、1983年(昭和58年)、長野県選択無形民俗文化財の「味の文化財」のひとつとして指定されている。

写真提供:長野県観光機構

image by: Shutterstock

※本記事はジモトのココロに掲載された記事です(2017年7月11日)

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団塊の世代以上には懐かしい郷愁の食べものたちをこよなく愛おしむエッセイです。それは祭りや縁日のアセチレン灯の下で食べた綿飴・イカ焼き・ラムネ、学校給食や帰りの駄菓子屋で食べたクジ菓子などなど。

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【著者】 UNCLE TELL 【発行周期】 月刊

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