故田中角栄氏の長女・田中眞紀子氏はかつて、その歯に衣着せぬ物言いやユーモア溢れる強烈なキャラクターもあって、政治家のみならず「お茶の間の人気者」でした。しかし、メルマガ『上杉隆の「ニッポンの問題点」』の著者で元ジャーナリストの上杉隆さんやTV局関係者が知る彼女の姿は、全く異なるものだったようです。田中眞紀子氏の実像と、「忖度」を繰り返したマスコミについて、元鳩山邦夫氏の公設秘書でもあった上杉隆さんが真っ向から切り込んでいます。※この原稿のオリジナルは「草思」2002年8月号に掲載されたものです。
テレビ報道の忖度
「筑紫は騙されているのだと思います。私たちが打ち合わせする段階では田中さんは非常に不機嫌で傲慢です。しかし筑紫と会った瞬間に人が変わったように、気が利いてユーモアにあふれた素敵なおばさんになっているのです。筑紫はその部分しか知らないから、批判報道を信じないのです」
テレビ朝日の関係者が答えた。
「久米さんはより大きなものを叩くというスタンスからそうしているのだと思います。早稲田大学時代に弱みを握られたという話もあるようですが、まぁ関係ないと思います。誰だって学生時代、しかもサークルの友だちを批判するのは躊躇するでしょう。大して深い意味はありませんよ」
テレビ局といえども民間企業であり、当然利潤の追求はなされてしかるべきだ。スポンサーと視聴者の意向に沿うような番組作りも一向に構わない。それがビジネスであり、視聴率のためであると割り切っているのならば、批判の対象とはならないと思う。
だから、ワイドショーに対して私は本心では仕方ないと思っているし、田中外相の報道が始まった時点で、テレビ局の当然の仕事のひとつだと割り切ってもいた。
しかし報道番組は違う。免許制事業で政府の圧力がかかりやすいという微妙な立場にあっても、権力側からの邪な圧力を跳ね返すだけの精神が必要だった。視聴者からの批判や苦情が殺到してもジャーナリストを自任するのならば、「友情」よりも「事実」の前に謙虚であるべきだった。
番組を観ていて哀しいのは、尊敬するジャーナリストたちが、こと田中眞紀子問題に関しては、次々と、ワイドショーが育てた「勧善懲悪の構図」の前で思考を停止してしまうことだった。新潟に行く必要はない。出勤前に目と鼻の先の永田町に寄って、誰でもいいから彼女のことを取材すれば「事実」は明らかになる。それを怠っていたとしたら、彼らはジャーナリストとして単に職務を放棄していたことになる。
一方で、キャスターの中にも事実に忠実であろうとする者もあった。『ザ・スクープ』の鳥越俊太郎氏と『サンデー・モーニング』の蟹瀬誠一氏だ。鳥越氏はかなり早い段階から田中外相の資質に疑問を呈する番組を作っていた。番組を担当したTプロデューサーが語る。
「苦情だらけでした。放送終了後、すごい反響があったのですが、95%ぐらいは番組に対する批判でした。鳥越さんもその雰囲気に危機感を感じていたと思います。だから敢えてまたやろうといういうことにしたのです」同じテレビ朝日の蟹瀬氏は、内部から直接圧力があったことを認め、自身のホームページに次のように書き記している。
「『蟹瀬さん、お願いしますよ』先日、渋い顔で私にこう話しかけてきたのは、私がキャスターを務めているテレビ朝日『スーパーモーニング』のYプロデューサー。田中真紀子外相に対する私の発言が辛口のため、視聴者から批判のファックスなどが入っているので批判的なことはあまり言わないで欲しいというのです。外相就任以来、とにかく番組に対する『真紀子応援団』からの反応はすごくて、少しでも批判的なことを言おうものなら、『私の真紀子のどこが悪いの!』というファックスが、洪水のように押し寄せます。真紀子人気は視聴率に如実に表れていて、私の番組でも『田中外相ネタ』を扱うと、その部分だけ視聴率グラフが跳ねあがっていることがほとんどです。ですから、プロデューサーとしては応援ムードに便乗して、視聴率を上げたい気持ちになるのは理解できないことではありません」
テレビはラジオなどと比べて、クールなメディアといわれる。出演者の表情、言葉使いなどがダイレクトに画面に流れるため、視聴者が冷静に観察できるという点からそう評されるのだ。
だがそこに陥穽がある。実際は画面に流れる番組の大半は事前に録画されたものであり、番組制作者の恣意が容易く入ってしまう余地があるのだ。都合の良い場面やコメントを切り取り、視聴者の求めていると思われる番組作りを繰り返す。それが冒頭の田中眞紀子外相就任会見や私自身が体験したコメントカットなどの放送スタイルに繋がっているのではないか。もちろん同様のことは活字メディアにも言える。しかし視覚でその対象を見ることの訴求力はペーパーの比ではない。しかもこれもテレビの特性として、同じ画像を何度も流すことでより一層インパクトを強める傾向もある。この部分に、テレビが育てる「田中眞紀子像」と彼女の「実像」とのギャップが芽生えたのかもしれない。(所属・役職は当時のまま)
※この原稿はメルマガ『上杉隆の「ニッポンの問題点」』に3回に渡って掲載された原稿のうち第3回目の一部を掲載したものです、第1回、第2回の原稿をお読みになりたい方は、メルマガにご登録の上、バックナンバーをお買い求めください。
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